幸せ
私は神主さんに今日起きたことを説明した。星詠神社が祖父母の氏神であったこと。”腕”に襲われたこと。正敏さんや清史郎さんの記憶が見えたこと。神鏡が持ち出されていたこと。
「”神鏡を持ち出した”ねえ…。その清史郎とか言う男はとんでもないことをしてくれたようやね。察するに、そいつはお前さんの母親の家系が星詠神社の神主をやっていることを知っていて、別れた後に嫌がらせのために神鏡を持ち出した。だがその厄災が想像以上だった。あの男の霊、星詠正敏が神聖なものに対して耐性があったのは元々神主だったからか。納得が行くな。その神鏡がこの神社の磐座にあるってのか?」
「はい。最近私に起きる霊災が多いのもこれが原因かと。」
「…わかった。お前さんの話を信じる。磐座辺りを発くのは気が引けるがな。」
神主さんと社家を出た。
「おーい。もうすぐ帰るとこ悪いが手伝ってくれんか?」
神主さんは巫女に頼み込んだ。
「全然大丈夫ですよ。何の手伝いですか?」
「穴を掘るのは得意か?」
「え?」
私は磐座の裏を指差した。
「ここにあるんやな?」
「はい。」
年月が経って掘った跡もなくなってしまったが、神鏡を埋める光景を今も映像のように思い出せる。
「神鏡を割らないように外側から掘るぞ。」
3人がかりで穴を掘り始めた。
「こんな体験初めてですよ。貴重ですね。」
「呑気でいられる場合ではないぞ。命に関わるからな。」
「名前すら知らない人ですけど、昨日から本当に踏んだり蹴ったりですね。」
巫女の人は同情してくれた。でもそんな同情は今の状況では何の役にも立たない。
「…あったぞ。本当に出てきやがった。」
記憶で見た通りの包装された神鏡が発掘された。神主さんは手袋を付けて慎重に取り出す。
「いいかい?これはご神体そのものと思っていい。これを星詠神社に運ぶまでに多くの厄災が降りかかるかもしれない。慎重に動くんだよ。」
私も手袋を付けて神鏡を受け取る。これがすべての元凶。これを星詠神社の本殿に納めれば、神の怒りを鎮められる。
夕日も半分を超えて沈み、吹き始める夜風に山が大騒ぎしている。私は星詠神社を目指して走り出した。
「頑張ってくださーい!」
「お前さんも危ないから早う帰りな。これから幽宮神社の神に祈らなあかん。」
「はーい。」
どこからともなく視線を感じる。霊に見られているときの感覚だ。この神鏡のせいで霊たちが未練関係なしに私の下に集まってきている。私は脇目も振らずに走った。
神鏡は思ったよりも重かった。すぐに息切れして来て、神社までの道のりが遠く感じた。
意外なことに、神社に辿り着くまでに霊に襲われることはなかった。私の近くまで迫っていた気配はみな、すぐに離れて行った。まるで”正敏さん”が追い返してくれていたかのよう。
そしてついに私は本殿の前に来た。そして絶望することとなる。本殿に鍵がかかっていた。あの掃除担当の中年の男。あの人が戸を閉めて鍵を持ち帰ってしまったのなら、鍵を取り返さないといけない。まずあの人はどこに住んでいる?今から引き返すことになるのか?境内には入れないとは言え、霊たちは今も神社の外で私を待っている。私は立ち尽くした。
すると、ふらっと私の横を”正敏さん”が横切った。本殿の前に立ち、その右腕で本殿の錠を掴む。
ジジジジジジ…
「正敏さん!腕が!」
神の錠に触れた手が見る見る黒い炭に変わって行く。
「…ァァァァァァァァァァァァァァ…。」
バキンッ!という音と同時に、戸の錠が引き千切られ、本殿は開いた。ボロボロになった右腕は、崩れ去ってしまった。
「…ありがとう。」
私は何度この人に助けられているのだろうか。
”美咲は俺が見といてやるよ。向こうは俺のことなど知らないだろうが。”
霊体となってもなお、未練としてその意志を貫く者の勇ましさを、私はこの目で見た。
疲れ果てた体の残りの力を振り絞って、私は神鏡をあるべき場所に置いた。
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………。
残ったのは静寂だった。騒がしい山も、私に手を伸ばす霊たちの気配も、何もなくなっていた。同時に、私の意識も…。
「…ね…」
「お…ちゃ…」
「お姉ちゃん!!」
静香ちゃんの声が聞こえて来たと思ったら、激しく体を揺さぶられていた。
「お前さん大丈夫か!」
何時間意識を失っていたのだろう。目を開けると、私は神社の中央に倒れており、辺りは真っ暗になっていた。傍には静香ちゃんと神主さんの姿があった。
「良かった…良かったよおお!!」
目を覚ました私を確認すると、妹は九死に一生を得たかのように涙ぐんで歓喜した。
「…神鏡…神鏡は!」
振り合えると、本殿の奥で神鏡が、暗闇の中神々しく座っていた。
「無事神鏡は元の位置に戻せたようやな。」
「もう!お姉ちゃん全然帰って来ないから!幽宮神社の神主さんのところまで行ったんだよ!」
「山の騒ぎがなくなったから、神鏡はどうにかできたんだろうとはわかっていたが、ここまで意識が戻らなかったのは心配だったさね。」
「…私どれくらい気絶してたんですか?」
「少なくとも発見してから数十分やな。」
「早く帰ろう?お母さんたちが心配してる。」
「…うん。」
深夜になっても帰って来ない私に対して、”どこをほっつき回っていたんだ”と叱るつもりでいたらしい珠子さんたちは、私が静香ちゃんの肩を借りて帰って来た姿を見て心配してくれた。
後日、病院で軽く診てもらうことになったが、特に体の異常は見つからなかった。”何をしていたのか”と聞かれたが、神鏡を戻そうとしていたなどと言っても仕方ないだろう。友人と遅くまでカラオケにいたら疲れ果てたと苦しい言い訳をした。また私が単独で行動していたことに対して静香ちゃんはとても怒っていた。でももうそんなことはしない。すべて終わったから。
幽宮神社の社家。
「ん?」
ある日、神主が机を見ると、細長い木箱が置いてあった。中を開けると、”幽宮神 太上老君 勅 悪霊去霊界 急々如律令”と彫られた小刀が鞘にしまわれて入っていた。カスミソウを添えて。
「ふん、無愛想なこった。物を返すのに姿も現さんのか。…まあいい。」
神主は花瓶を持って来て、カスミソウを挿して机に飾った。
「ん?神主さん、その花は何ですか?」
「贈り物。」
「カスミソウなら、花言葉は”感謝”ですね。誰からの贈り物何ですか?」
「…物忘れの激しい不器用な男からやな。」
「…?」
あれから数年、霊災というものは一切なくなった。お母さんに加えて、神奈ちゃんの墓参りに今でも通っている。浄化してしまったことは申し訳ないと思っている。だからせめて苦痛が和らぐように、私は墓に祈っていた。
そしていつの日か、私は運命の人を見つけた。強くて、優しい。まるで正敏さんのような人。
「はい!撮りますよー!」
今日の天気は快晴だった。真っ青な空にぽつぽつと雲が見える。ウェディングドレスに包まれた私は、彼と並んで本当の笑顔を見せた。私は幸せだった。
ふと、遠くの方に男の人が見えた気がした。片腕のない霊の背中が。まるで役目を果たした騎士のように、白い光に包まれて綺麗な空に散って行った。
「…ありがとう。」
私は呟いた。きっと聞こえてはないだろうけど。
「ん?美咲、何か言った?」
「ううん、何でもない。早く行こ。」
「ねえ、この女の人誰?」
「仕事の同僚だよ。」
「一緒にご飯食べたの?」
「…仕事付き合いだって。」
「何で約束守ってくれないの?!」
「無理だろ!他の女見るなとか、関わるなとか。ちゃんと既婚者だって伝えてるし、この前の飯だって企画の話し合いのためのものなんだよ!そこまで束縛しなくてもいいだろ?!」
「何で!私はあなたが心配なだけなのに、どうしてそんなこと言われないといけないの?!」
「心配しすぎなんだよ!俺が別の女と付き合ってると思ってるのかよ!家族を養うためにこんだけ働いてるんだぞ!」
「あなたのことは信用してるけど…やっぱりダメ!他の女と一緒にいるところとか見たくない!」
「…もう無理、限界だ。自分が何のために仕事してるのかわからなくなって来た。しばらく実家に帰る。」
「はあ!どうしてそうなるのよ!」
「…。」
彼は何も言わずに準備し始めた。私に非があるのだろうか。もう家族を失いたくない。その一心でここまで心配してあげてたのに。別にあの人を疑っているわけではない。ただ安心したい。私の傍にいてくれるんだって。どこかに行かないって。そのために私は…私は…。
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私は包丁を取り出した。




