何者
「…き…。」
「ご…。」
私の祖父母の家は山の中にあった。良く言えば自然豊かだけど、悪く言えば交通の便があまりにも悪い。でもちゃんと電気や水道、ガスは通ってた。誰もいない空き家となった今はどうかわからないけど。
車一台分しかない道を踏みしめて山を登って行く。鳩やカラスの鳴き声がよく響く。少し肌寒い。
十数分が立つと、瓦の屋根を備えた、古臭い家が見えて来た。あれが祖父母の家。我ながらよくこの場所を覚えていたなと感心した。
早速玄関に向かった。正面に立つ。異質な雰囲気。明かりのない中は、日陰に建っていることもあって真っ暗になってる。
引き戸に手を掛ける。開かない。当然だろう。ただただ好奇心だけで私はここまで来たのだ。どうして何の準備もなしに来てしまったのか。
せめて中を軽く覗いてみようと掃き出し窓から様子を見てみる。窓を割るか。いや、それはできるだけしたくない。何せ私は別に命が懸かっているわけではない。そこまでする義理はないと思う。
にしても家の中は真っ暗だ。カーテンがボロボロになっているおかげで見えなくもないけど。ん?どうしてカーテンがボロボロになってるんだろう?私の祖父母はペットを飼ってなかったはず。そんなことを考えながら暗闇を覗いていると、中で何かが蠢いているのがわかった。
「フガフガフガフガ。」
「っ!」
人ではない何かがこの家の中にいる。私は咄嗟に身を屈めて息を殺す。
「フガフガフガフガ。」
「…?」
何かがいる事はわかるが、それが何なのかはっきりしない。
「フガフガフガフガフ……。」
「ん?」
何かの動きが止まった。闇の中で鋭い眼光がわずかな光を反射してギラついている。
「…。」
「…。」
「…。」
ドドドドドドドドド。私に気付いたのか、その何かが真っ直ぐに突っ込んで来た。
「…ギイイイイイイイイイィィィィィィィィィィィ!!!!!!!!!!」
「うわっ!」
私は横に跳んだ。バンッ!という音と共に窓ガラスを突き破って出て来たのは、猪だった。
私はすぐに立ち上がって構える。猪に背を向けてはいけない。幾度と危険な目に遭っていたからなのか、今の私はかなり冷静な判断ができた。猪の牙に掛かっているものが視界に入るまでは。
鍵。それも普通のドアに使うような見た目ではない、明らかに特別な鍵だ。それを見た瞬間、私の脳裏に星詠神社の本殿がよぎった。もしかして本当にあの鍵が本殿の鍵なのだろうか。奇跡のようなめぐり合わせだった。どうやって取れば。
チャリチャリ…。
「あっ、ちょっ。」
野生動物の行動は本当に予測ができない。まさか目当ての鍵を飲み込んでしまうとは思わなかった。何をしたら猪は食べたものを吐き出してくれるのだろうか。猪は動揺した私の隙を見て突進して来た。
「ギイイイイイイイイイイィィィィィィィィ!!!!!!!!!」
「はっ!」
私は家の角を曲がって猪の視界から消えるように動いた。
ドンッ!私を直線的に追った猪は、減速しきれず家の角に激突した。猪が上りづらい高いところを目指して、私は掃き出し窓のところまで走った。猪によって割られた掃き出し窓から土足のまま家の中に入る。
外で猪が枯葉を踏む音が聞こえる。私は家の中を見渡した。ここはリビング。電気が点かないか、試しに引き紐を引っ張ってみるが、もちろん点かなかった。仕方なく、私は持っていたスマホのライトを使って家の中を調べた。猪に荒らされて部屋の中は散らかっている。私は最初に祖霊舎を探した。仏教が仏壇であるなら、神道は祖霊舎だ。それらしきものを見つけるまでそこまでかからなかった。おそらく猪によって本来乗っていたであろう物品が落とされたり、倒れていたりしていた。どうしてだろうか、私はそれをちゃんと元の位置に戻しておいた方がいい気がした。神鏡、榊立て、平皿。お供え物は乗っていないが、とりあえずスマホで確認した通りの場所に置いた。
「…あれ?」
霊璽がない。ご先祖様の御霊が入っている木札がない。それだけがなかった。外で猪が嗅ぎまわる鳴き声が聞こえる。
「…まさか。」
猪って木をかじるっけ?だとしても霊璽だけを狙って食べたりするものなのかな?
……。私は、とりあえず手だけ合わせて、その部屋を去った。
別の部屋に入ってみる。ほとんどのドアが半開きとなって中は荒れていたが、タンスや引き出しの中は無事だった。寝室、キッチン、トイレ。漁っては見たが、特にこれといったものは見つからなかった。私は頭を抱えた。猪が飲み込んでしまった鍵、やはりあれしか…。”猪 鍵食べた どうする”。スマホでそう調べるが、獣医に診てもらえとしか書かれていない。
悩みながら家の中を歩いていると、ドアが開いていない部屋を見つけた。中を開けてみると、誰かの個室と思わしき部屋だった。お母さんか珠子さんの部屋だったのだろうか。ベッドやタンス、勉強机までも置いてあった。私はその勉強机の上のものに目が止まる。”日記”。表紙にそう書かれていた。誰のものなのかはわからない。気付けば私はページをめくっていた。白紙、何も書かれていない。なのに私は、瞬きもせずにページを凝視していた。鋭い頭痛と同時に、私の知らない記憶が蘇る。
「…を…」
「…を…が…」
「…き…を…が…」
「みさきをおねがい。」
そこは病室だった、私の知っている。目の前にはお母さんが病床に寝た状態でいて、私にそう言った。…私は誰?
「はあ。」
口が勝手に動いた。声も体の重さも身長も、私のものじゃなく、紛れもなく男だった。この体は私ではない誰かだった。
「ごめん。」
「別に聖子が悪いわけじゃない。」
「神主の後継ぎで大変なのに。」
「今は別にその話はいい。星詠の家系なら長男がみなそうなるから仕方ない。」
「…。」
星詠の家系。ということはこの男は私の親戚なのだろうか。でも私はこの人を知らない。
「問題は清史郎、あのクズ男が神社の神鏡を持ち逃げしやがった。」
「…ごめん。私があんな男と結ばれなかったら。」
「おかげで星詠神社の神の怒りを買ってしまった。聖子、お前は、あの男が殺したようなものだ。この件は俺がどうにかする。」
「…ごめん、やっぱりわすれて。」
「何が?」
「美咲のこと。珠子に任せることにする。」
「あいつも忙しいだろ。子供もいるし。」
「…。」
「美咲は俺が見といてやるよ。向こうは俺のことなど知らないだろうが。」
「…。」
お母さんはその言葉を聞いて俯いていた。私の感情か、この男の感情か、どちらにせよ、その表情を見るのはとても辛かった。
「ねえ。」
「…。」
「もし私が死んだらさ。きっと一人取り残された美咲を連れて行こうとしちゃうかもしれないから、その時はおねがいね。」
「…わかった。」
「…ありがとう。」
男は病室の扉に手を掛ける。
「正敏。」
お母さんは呼び止める。男は首だけ振り返った。
「あんたは私たちの自慢の弟だからね。」
「…最後の言葉がそれか?」
「うん。」
男が扉を締め切るまで、お母さんはこちらを見ていた。その眼には涙が浮かんでいた。
男は病院の廊下に八つ当たりするように強く踏んで歩いた。帰路だろうか、気付けば駅のホームに立っていた。男は繰り返し呟く。
「美咲…美咲…美咲…。」
ホームは人で溢れ返っていて騒がしい。
「ふんっ、”わすれて”か。無理だろ。…聖子。最後に俺にとんでもない呪いをかけやがったな。」
周囲の声がぼやける。
「…クソッ。落ち着け。」
頭皮に爪を立てる。周囲のどす黒い霧が男の背中に纏わりつく。かなり感情が揺らいでいる。
「列車が参ります。危ないですから、黄色い線の内側におさがり下さい。」
アナウンスがホームに響く。
「俺は、星詠正敏だ。」
列車の明かりが近付いて来た。
トンッ。黒い霧が男の背中を押した。
「…は?」
キィィィィィィィ…
列車のタイヤによって顔面が切断され始めた瞬間に、私は現実に引き戻された。まだ頭痛が続いている。でも色々わかった気がする。なぜ霊に襲われることが多かったのか。それはお母さんや正敏さんが死亡した理由と同じだと思う。星詠神社。私はそこの本殿を開けないといけない。
「キ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛!!!!!!!!!!」
グシャグシャッ…
外から猪の断末魔と同時に潰される音が聞こえて来る。
私は寝室の窓からこっそりと様子を覗く。そこには猪の頭を掴む大きな青白い腕があった。猪の返り血で赤く染まり、指の間から猪の眼球が飛び出ている。私は頭を動かして腕の主を探した。しかし、その腕には関節がいくつも繋がっており、どこまで目で追っても腕しか見えない。どこから来ているのだろう?少なくとも、これが私に対して何もしないわけがない。私はこれほど冷静に考えられている自分に驚いた。もう慣れて来てしまっているのだろう。こういう状況に。もっと目を凝らしてみる。血が日差しを反射して見にくかったが、よく見ると手の甲に耳が付いていた。不気味だ。
私は出口、玄関を目指して寝室を出た時、誤って地面に転がっている花瓶に足が当たってしまった。
コンッと冷えた音がかすかにした。まずい。一度下がろうと体重を後ろにかけた時、”腕”が花瓶目掛けて高速で伸びて来た。バシャンッ!花瓶が粉々に砕け散る。私は焦りで体が硬直した。逃げないとダメなのに…。でも、それが最も適切な行動であったことがすぐにわかった。この腕は壁を伝うように家の中を探っている。目がない。私が見えていない。耳が付いているということは音と触感を頼りに動いている。”腕”の弱点はわかったが、床を見ると、猪によって散乱した物が目に入った。こんな時に限って都合が悪いことが起きる。つきたくなったため息を肺に留め、ゆっくりと周囲を見渡す。”腕”がリビングから伸びてきている。可能性は感じていたが、やはりこの”腕”は祖霊舎から来ているのだろう。原因はおそらく、霊璽。あれがなかったせいかもしれない。とは言え、確認するまで決めつけるわけにはいかない。ここにずっと息を潜めていてもこの状況は変わらない。行動しないと。私は、”腕”の位置を確認しながら床を見て、物がぶつからないようにリビングを目指した。散らかった物と物の間に足を刺し込む。こんな動きをするのは久しぶりだったが、極限の状態になると人は底力を発揮するのだと感じる。祖霊舎の前まで来た。祖霊舎の中から”腕”が伸びていた。霊璽はどこに…。私の頭にはあの猪しか浮かばなかった。確かめるしかない。音を立てないように割れた掃き出し窓からゆっくり降りる。不意に欠けたガラスが右腕に突き刺さった。
「っ!」
軽く深呼吸をして声を押し殺す。今は少しの音も漏らすわけにはいかない。血がだらだらと腕から垂れているが気にしている暇はない。私は枯葉を踏む音を、風が木々を揺らす音と混ぜて誤魔化した。猪に辿り着くまでの数十秒が数分のように感じた。血塗れになって横たわる猪がそこにいた。まずは鍵を探す。雑菌を考えて、怪我をしていない右腕で飛び出た内臓の中に腕を突っ込むことにした。一度目を閉じて覚悟を決める。…よし。私はさっき腕に刺さったガラス片を手に持って、猪の胃袋に突き立てる。
「キ゛イ゛イ゛イ゛イ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛!!!!!!」
猪はまだ生きていた。私が触れたことで抵抗のスイッチが入ってしまった。危険を感じた私はすぐに地べたに体を押し当てて伏せる。
グシャア…。私の背後から体のすぐ上を飛んで来た”腕”が止めを刺すように猪の頭を地面に押し当てる。とてつもない怪力で押された頭はプレス機にかけられたように抵抗なく潰れ散った。私の後頭部に大量の血がかかる。ぬるくて冷ややかだった。”腕”がその場を去るまで私は頭を下げ続けた。気配を殺して。私が顔を上げると、中身が粉々になってズタ袋のようになった猪の頭部がそこにあった。目も当たられない光景に吐き気がしてくる。周りを見渡して”腕”が近くにいないか確認する。…いない。上半身をゆっくり起こして猪に近付く。もう一度、胃袋にガラスを突き立てる。なぞった傍から線が入り、胃袋の中が溢れ出る。充満する悪臭に反射的に顔をしかめてしまった。口呼吸をしてもなおむせ返りそうになる。ゆっくりと手を中に入れる。ヌチャヌチャとみずみずしい音がする。そして、私の手に硬いものが当たった。引っ張り出すと、猪が飲み込んだ鍵だった。本来の目的物は見つけた。だが霊璽が見当たらない。もう一度中を探るが、それ以上は何も見つからなかった。霊璽は猪が持っているわけではなかった。
…霊璽は諦めることにした。ひとまずこの鍵をもってこの家から離れることを次の目標にした。来た時と同じように音を誤魔化して家の反対方向に回る。掃き出し窓の前を通った時、ぞわぞわと嫌な気配を感じた。ゆっくりと頭を向けると、祖霊舎から”腕”がゆっくりとこっちに伸びて来ていた。私はすぐに原因を探った。音は隠せていたはず。この場所では速く動けない。このままだと見つかって死ぬ。鍵を投げて気を逸らそうと咄嗟に鍵を振りかぶった時、”腕”の軌道が少しずれた。…まさか。鍵を大きくずらすと、それを追うように”腕”も伸びる方向が変わった。鍵に反応している。私はすぐに鍵をリビングの中に放り込んだ。その音と鍵の気配に惹かれて、すぐそこまで来ていた”腕”は家の中へと再び入って行った。鍵を得るためにはあの”腕”をどうにかしないといけない。おそらく霊璽が必要になる。それしか考えられない。霊璽はどこにある?まだ調べられてない場所がある?ふと視界の端にキラキラと光る何かが目に留まった。それは男の霊が持っていた神具の小刀だった。家の壁に突き刺さっている。これを使えばあの”腕”を浄化できる。きっとあの霊が私を助けるために私に来たのだろう。…でも。
「ううん、いらない。」
私はささやいた。祖霊舎から出て来ているのなら、あの”腕”はきっと私のご先祖様だ。そんなものを浄化させるわけにはいかない。
断りと同時に1つの考えが私の思考を巡った。これは霊災だ。非現実的なことが起きている。普通の考えだけでは辿り着けない。霊璽があるなどと普通は考えない場所。ある。調べられてない場所。見てない場所。私は上を見上げる。屋根の上を。




