第九話:お飾り聖女の来襲と、圧倒的な格の違い
王都からの食料補給が止まってから、二週間。
黒鉄の砦は、飢えるどころか過去最高に潤っていた。
スミレが描いた『豊穣の結界』のおかげで、兵士たちは毎日、魔力を帯びた焼きたてのパンとジューシーな肉をたらふく食べている。おかげで肌のツヤは良くなり、訓練の効率も上がって、砦全体の士気は最高潮に達していた。
逆に、深刻な事態に陥っていたのは王都の教会だった。
国境を蔑ろにした報復として、レオンが王都への「魔獣の素材」の流通を完全に差し止めたのだ。さらに、国境の結界が弱まったことで、王都の周辺にまで微細な魔獣の呪毒が霧のように漂い始めていた。
「エレナ様の祈りが通じない! 街の井戸水が濁っていくぞ!」
「聖女様の治癒魔法を浴びたのに、傷口のただれが治らないなんて……!」
王都の平民たちの間で、教会とお飾り聖女エレナへの不信感が爆発寸前まで高まっていた。完全に追い詰められた教会が、最後の手段として送り込んできたのは――聖女エレナ本人だった。
――ジャララン、ジャララン。
砦の中央広場に、これ見よがしに鈴を鳴らし、何十人もの従者を従えたド派手な馬車が乗り込んできた。
馬車から降り立ってきたのは、ウェーブがかった金髪をこれでもかと盛り上げ、宝石を散りばめた純白の法衣をまとった美少女。この国の第一聖女、エレナ・フォン・ベルティア公爵令嬢だった。
「まぁ! なんて薄汚い砦なのかしら! 鼻が曲がりそうだわ!」
エレナは香水が染み込んだ扇子で鼻を覆いながら、周囲の騎士たちを蔑むように見回した。
その直後、彼女の視線が広場の中心にある『癒やしの泉』と、その奥にある瑞々しい大農園に留まり、その美しすぎる光景にピキリと顔を凍りつかせた。
「お久しぶりです、エレナ様。国境の荒れ地へわざわざ何のご用ですか」
レオンが冷徹な表情で前に出る。その背後には、いつものように私、そしてギルバートたちが控えていた。
「レオン守備隊長! 挨拶はどうでもよろしくてよ! それより、その奥にある不気味な泉と農園は何かしら!? 教会の許可なく、国境で不浄な魔術を使うなど万死に値しますわ!」
エレナはキィキィと甲高い声で叫び、レオンの後ろにいる私をビシッと指差した。
「そしてそこの貴女! 異世界から来たというただの『絵描き』の分際で、聖女である私を差し置いて奇跡を騙るなんて破廉恥極まりないわ! 貴女の描いた偽物の絵のせいで、王都の神聖な結界が狂って水が濁り始めているのよ! すぐにその絵を燃やし、私に跪いて謝罪なさい!」
あまりの理不尽な八つ当たりに、私は呆れて言葉も出なかった。王都の水が濁っているのは、自分たちの魔力が枯渇して結界を維持できていないからなのに、完全に逆恨みだ。
「おい、お飾り。いい加減にしろよ」
ギルバートが低く威嚇するような声を出す。ミレイアも冷たい目でエレナを睨み据えた。
「今の言葉、聞き捨てなりませんわね。スミレ様の絵は、我々の命を救い、この土地に神聖な恵みを与えてくださった本物の奇跡。それを偽物呼ばわりするとは、聖女の目は節穴ですか?」
「な、なんですってぇ!? 私に向かってそんな不敬な――」
エレナが顔を真っ赤にして怒り狂った、その瞬間だった。
――グオオオオオオオオオッ!!
突如、砦の防壁の外から、鼓膜を震わせるような恐ろしい咆哮が響き渡った。
崖の向こうから現れたのは、通常の魔獣の数倍の巨体を誇る、全身が黒い呪毒の炎に包まれた変異種『ギガント・ウルフ』だった。防壁の遥か上空を飛び越え、凄まじい質量で広場へと飛び降りてくる。
「ひゃああっ!? ま、魔獣!? 聖殿騎士団、私を守りなさい!」
エレナは無様に悲鳴を上げ、従者たちの後ろへ隠れた。聖殿騎士たちが剣を抜いて応戦しようとするが、魔獣が放つ強烈な呪毒の瘴気を浴びた瞬間、彼らの鎧がジュウジュウと音を立てて溶け始め、その場に膝をついてしまった。
「おーほほほ! 見ていらっしゃい! 本物の聖女の力を見せてあげますわ! 神聖なる光よ、我が祈りに応え、穢れを祓いなさい! 『シャイニング・ヒール』!!」
エレナがここぞとばかりに前に出て、杖を掲げて呪文を唱えた。
彼女の指先から、確かにペカッと眩しい光の弾が放たれ、魔獣の頭部に直撃する。
しかし――。
「……きゅ、きゅぅん?」
魔獣は、まるで蚊に刺されたかのように首を傾げただけだった。それどころか、エレナの放った生ぬるい魔力をエネルギーとして吸収し、さらに巨大化して凶暴な目をエレナに向けた。
「え……? 嘘、私の極大魔法が効かない……!? ひ、ひぃっ! 助けて、死にたくないわぁっ!」
エレナは涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、尻もちをついて後ずさった。
完全に格上の魔獣を前に、お飾り聖女のメッキが無残に剥がれ落ちた瞬間だった。
「スミレ、下がっていてくれ。私が斬る」
レオンが長剣を抜き、前に出ようとした。しかし、私は彼のマントをそっと引っ張って止めた。
「レオンさん、大丈夫です。……ちょっと、私の『新作』を試させてください」
私は、この二週間の間にアトリエで描き上げていた、一枚の小さな羊皮紙を懐から取り出した。
それは、トトが集めてくれた攻撃属性の魔石の粉をふんだんに使い、東京のゲーム会社でカードイラストを描いていた頃のスキルを総動員して描いた――『聖なる神雷』のイラストだった。
「いきまーーす! 締め切り直前のクソクライアント(魔獣)に、必殺の全・力・投・稿!!」
私が羊皮紙を魔獣に向けて掲げ、心の中で「執行」と念じた、その瞬間。
――バリバリバリバリィィィッ!!!
砦の上空の雲が一瞬で引き裂かれ、イラストに描いた通りの、直径数メートルはある黄金の巨大な神の雷霆が、ピンポイントで魔獣の脳天へと突き刺さった。
「ギャウッ――!?」
魔獣は悲鳴を上げる暇さえなく、一瞬にして聖なる雷に灼かれ、呪毒の霧ごと完全に消滅して光の粒子へと変わった。
跡形もなく消え去った地面には、清らかな空気だけが残されている。
「……はえ?」
エレナは口をぽかんと開けたまま、完全にフリーズしていた。聖殿騎士たちも、あまりの文字通りの「神の雷」の威力に、剣を握ったまま石のように硬直している。
普通の聖女の魔法は、本人の魔力が出力の限界になる。
しかしスミレの絵は、描く時間をかければかけるほど、そして画材の質が良ければ良いほど、**「神の奇跡の出力を無限にストックして、一気に解放できる」**という、文字通りの戦略兵器だった。
「ね? 役に立たないハズレ職業なんかじゃないでしょ?」
私がにっこりと微笑むと、エレナは恐怖でガタガタと震え、そのまま白目を剥いて失神した。
「スミレ……。君は本当に、私の心臓に悪いな」
レオンは呆然とした後、心底愛おしそうにクスクスと笑い、私の腰を引き寄せて強く抱きしめた。
「これで、どちらが本物の『奇跡』か、完全に証明されたな。……さあ、エレナ様を馬車に放り込め。我々もこれより、王宮の法廷へ乗り込むぞ」
レオンの青い瞳に、勝利を確信した不敵な輝きが宿る。
お飾り聖女を完全論破し、いよいよ王都の腐った教会を叩き潰す、最終決戦の幕が上がろうとしていた。




