第六話:湧き上がる歓声と、王都の不穏な影
「冷えて固まっていた古傷が、嘘みたいに軽くなったぞ!」
「この泉の水、一口飲んだだけで魔力が全回復しやがった!」
窓の外からは、一日中途切れることなく兵士たちの歓声が響いていた。
私が描いた『癒やしの泉』の絵は、アトリエの壁に大切に飾られている。そこから溢れ出す琥珀色と青の魔力光は、今も砦全体を優しく満たし、張り詰めていた戦場の空気をすっかり和らげていた。
その日の夜、砦の食堂では、私を歓迎する臨時の宴が開かれた。
「スミレ殿! これ、俺の故郷の名酒なんだ。ぜひ飲んでくれ!」
「こらギルバート、スミレに無理をさせるな。スミレ、こっちの香草焼きの肉を食べなさい。体力をつけなきゃダメよ」
ギルバートが差し出そうとした酒瓶を、衛生班長のミレイアがピシャリと叩き落とす。私の両隣はすっかり二人のお気に入りの特等席になっていた。足元では、トトが「女神様、これ美味しいです!」と自分の皿からお肉を分けてくれようとしている。
東京にいた頃、私はいつも一人で、コンビニの弁当を食べながら画面に向かっていた。
こんな風に大勢の人に囲まれて、「美味しいね」と言い合いながら笑うのが、これほど温かいものだとは知らなかった。
「スミレ」
ふいに、少し離れた席から私を呼ぶ声がした。
振り返ると、騎士たちの喧騒から少し離れた場所で、レオンが静かにグラスを傾けていた。彼が手招きをするので、私は小走りでその隣へと向かう。
「皆さん、本当に優しくて……。私、この国に来て初めて、自分の絵が役に立って良かったって思えました」
胸の内を明かす私を、レオンはどこか切なげな、けれど深い愛おしさを湛えた青い瞳で見つめていた。
「いや、感謝しているのは我々の方だ。君が来てくれてから、砦の生存率は跳ね上がり、兵士たちの表情にも笑顔が戻った。君は本当に……素晴らしい『絵師』だ」
レオンはそっと、私のグラスに果実水を注いでくれる。その大きな手が、私の手と一瞬触れ合い、昼間のアトリエでの言葉――『絶対に、誰にも渡さない』という響きが脳裏をよぎって、心臓が跳ねた。
しかし、そんな温かな空気は、翌朝に届いた一通の「親書」によって一変することになる。
アトリエの机に広げられたのは、金箔で縁取られた豪奢な羊皮紙。王都の大神官のサインが入った、教会からの正式な呼び出し状だった。
「……やはり、嗅ぎつけてきたか」
レオンが冷徹な声で呟く。その表情は、昨夜の優しいものとは完全に別人の、冷徹な軍人のそれに戻っていた。
親書の内容は極めて身勝手なものだった。
国境の守備隊で「死者すら蘇らせる聖画」が描かれたという噂を聞きつけた教会が、それを『かつて教会に所属していた隠れ聖女の奇跡』として発表する、というのだ。そして、スミレを直ちに王都へ帰還させ、神殿の最高位聖女『エレナ』の管理下に置くように、と命じていた。
「隠れ聖女、ですって? 散々『ハズレ』だと罵って物置に捨てたくせに、よくもまあそんな嘘がつけるわね」
ミレイアが心底嫌そうに鼻で笑う。ギルバートも拳を握り締め、机をドカリと叩いた。
「今の第一聖女エレナ様の力じゃ、結界の維持すらままならねえからな。スミレ殿の『永久持続する聖画』を自分たちの手柄にして、教会の無能を隠蔽する気だ。浅ましいぜ」
「スミレ」
レオンが私の前に立ち、私の小さな両手を、包み込むように強く握った。
「君を王宮へ戻せば、奴らは君を軟禁し、死ぬまで絵を描き続けさせる道具として扱うだろう。お飾りの聖女どもの『奇跡の身代わり』としてな。……私は、そんなことを絶対に許さない」
レオンの青い瞳に、揺るぎない決意の炎が宿る。
「教会の命令は絶対だ。背けば、国境守備隊ごと逆賊として扱われる危険もある。……だが、私は君を守ると誓った。スミレ、私の傍にいてくれるか? 私は命に懸けて、君の筆と、君の居場所を守り抜く」
彼の手の温もりと、まっすぐな言葉。
王都の教会という巨大な存在への恐怖はあった。けれど、この人がいてくれるなら、私はどんな運命にでも立ち向かえる気がした。
「はい、レオンさん。私はどこにも行きません。私の絵は、私を必要としてくれたレオンさんと、この砦のみんなのためにあります」
私が力強く頷くと、レオンは一瞬だけ驚いたように目を見開き、それから、酷く愛おしそうに私の手を自身の額に当てて、忠誠の礼を捧げた。
王都の強欲な教会との、見えない戦いの幕が上がろうとしていた。




