第四話:馬車の上の約束と、黒鉄の砦の歓迎
王宮を脱出した私は、レオンが手配してくれた頑丈な軍用馬車に揺られ、国境へと向かっていた。
行きは死に物狂いで馬を飛ばしたというレオンだったが、帰りは私の体力を気遣い、一週間近くかけてゆっくりと進む行程を組んでくれた。
馬車の向かい側の席には、大きな体を少し縮こまらせたレオンが座っている。時折、彼が優しく視線をくれるたび、私は心臓の音がうるさいほどに鳴り響いていた。
「……体調は悪くないか、スミレ。窮屈だろう」
「いえ、全然! むしろ、こんなに快適な馬車を用意してもらって……。あ、あの、レオンさん。私のこの服……やっぱり、変ですか?」
王宮の神官たちに「破廉恥」と罵られた、日本のジーンズとスニーカー。私が不安げに尋ねると、レオンは真剣な青い瞳で私の足元を見つめ、それから大真面目な顔で言った。
「とんでもない。足さばきが良く、非常に機能的で素晴らしい衣服だ。君のいた世界は、実用性を重んじる洗練された世界なのだろう。私は、とても似合っていると思う」
「――っ」
さらに、夜になって冷え込んでくると、レオンは「風邪をひいては大変だ」と、自分の大きな白銀の騎士マントを私の肩に優しくかけてくれた。マントから香る、微かなお香と彼の匂いに、私は顔が熱くなるのを必死に堪えていた。
「スミレ、今回の旅路は長くて退屈かもしれないが、どうか辛抱してほしい。砦に着いたら、君が望む最高級の紙と絵の具を、私が死に物狂いで買い揃える。……だから、安心して私の傍にいてくれ」
さらりとプロポーズのような言葉を大真面目に投げかけられ、私はマントに顔を埋めた。東京の自室で孤独に締め切りと戦っていた私を、これほどまでに大切に扱ってくれる人がいる。それだけで、移動の疲れなんてすべて吹き飛んでしまうようだった。
そして一週間後。
果てしなく続く街道を抜け、ようやく見えてきたのは、山々の険しい崖にそびえ立つ、武骨で巨大な石造りの要塞。
国境の守り――『黒鉄の砦』だ。
馬車が城門をくぐり、中央広場に止まった瞬間、ものすごい地響きのような歓声が私たちを包み込んだ。一週間前から「隊長が女神様を連れて帰ってくるぞ!」と、砦中が今か今かと待ちわびていたらしい。
「隊長! お帰りなさい、そして……その方が!」
最初に駆け寄ってきたのは、顔に大きな傷を持つ、体格のいいベテラン騎士だった。
「スミレ殿! 俺は副隊長のギルバートだ! 貴女の描いた結界の絵のおかげで、魔獣に落とされかけたこの右腕が完全に元通りになった! この命、生涯を懸けて貴女に捧げる!」
ギルバートはガチガチと鎧を鳴らして深く頭を下げた。
「おいギルバート、スミレが驚いているだろう。……ようこそ、スミレ。私が衛生班長のミレイアよ」
次に現れたのは、白衣のようなローブをまとった、サバサバとした雰囲気の美人魔導医術師だった。彼女は私のジーンズ姿を見ると、パッと目を輝かせた。
「神殿の生臭坊主どもが貴女を冷遇したって聞いて、腸が煮えくり返る思いだったわ。でも、これからは私が体調管理から何から全部サポートするから安心して。……ところでそのお洋服、すごく素敵ね! あとでじっくり構造を教えて頂戴?」
「え、あ、はい……!」
「女神様――っ! 命の恩人の、絵師の女神様だぁ!」
さらに、パタパタと犬耳を揺らした少年兵が、両手にいっぱいの、見たこともない綺麗な色の鉱石を抱えて走ってきた。
「僕、斥候のトトです! 女星様の結界のおかげで、無傷で帰れました! これ、絵の具の原料になる魔石の粉です! 街の商人から一番いいやつを奪い合って買ってきました! 使ってください!」
「トト、女神様ではなくスミレ殿だ」とレオンが苦笑しながら嗜める。
王宮での冷たい仕打ちが嘘のように、砦の誰もが私を温かく、そして熱狂的に受け入れてくれた。
「スミレ、ここが君の工房だ」
レオンに案内されたのは、砦の最上階にある大きな部屋だった。
三方が巨大なガラス窓になっており、国境の雄大な山々と、地平線に沈みゆく美しい夕日が遮るものなく見渡せる。イラストレーターにとって、これ以上ないほどの『最高の自然光』が入る特別な空間だった。
部屋の机の上には、トトが集めてくれた魔力を帯びた最高級の羊皮紙や、色鮮やかな顔料がずらりと並んでいる。
「これからは、ここで君の好きなように絵を描いてくれ。君を急かす締め切りも、不当に評価する者もここにはいない。君の筆は、私と、この砦の全員が全力で守る」
夕日を背に浴びて、金色の髪を輝かせながら微笑むレオン。
そのあまりの神々しさと優しさに、私は胸がぎゅっと締め付けられた。
「……ありがとうございます、レオンさん。私、精一杯、みんなのために描きます!」
異世界に捨てられた元イラストレーターの、愛と奇跡のお仕事ライフ。
一週間をかけた長い旅路の果てに、私は新しい居場所にたどり着いたのだと、確信した。




