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ない音

第三十四話 ない音


カタン。


電車が小さく揺れた。


窓にはまだ映っていた。


笑っている俺。


何人もの凪原。


全部気持ち悪かった。


でも、ずっと見ているのも嫌で、俺は視線を逸らした。


何となくポケットへ手を入れる。


癖だった。


考え事をしている時とか、落ち着かない時とか、無意識にやっていた。


指先が何かに触れる。


……はずだった。


俺は止まった。


もう一度探る。


何もない。


気のせいかと思った。


反対側も探る。


制服の内側も探る。


何もない。


「……あれ」


小さく声が漏れた。


凪原が本から顔を上げる。


「何」


「……いや」


もう一度探る。


今度は少し焦っていた。


いつもあった場所だった。


ずっと持っていた。


クロのキーホルダー。


それから——


白い傘。


ない。


俺は眉をひそめる。


座席を見る。


足元も見る。


落ちていない。


残っていたのは、隣へ立てかけていた小さな黒い傘だけだった。


静かにそこにあった。


何も変わっていないみたいに。


俺は少し黙る。


何か変だった。


なくしたとかじゃない。


そんな感じじゃなかった。


最初から持っていなかったみたいな、変な感覚だった。


「……どうしたの」


凪原だった。


俺は少し考えてから言う。


「クロがない」


数秒。


凪原は首を傾ける。


「クロ?」


「キーホルダー」


「あと白い傘も」


凪原は少し考える。


それから窓を見る。


「閉鎖級以上の残響域だからかも」


「……は?」


「前もなくなった」


俺は顔を上げる。


「何が」


少し間。


凪原は本を閉じた。


「私の時は、イヤホン」


「入ったらなくなってた」


「出たら戻ってたけど」


静かだった。


俺は少し安心しかける。


その時だった。


カリ……


小さな音だった。


俺は止まる。


後ろだった。


連結部分の扉。


俺はゆっくり見る。


何もない。


誰もいない。


静かだった。


気のせいかと思った。


でも。


扉の下の隙間だった。


ほんの少しだけ。


黒いものが見えた。


細かった。


何かの先みたいだった。


一瞬だけ揺れて——


スッと消えた。


俺はしばらく動かなかった。


「クロ?」


「……何」


凪原がこっちを見る。


俺は少し迷ってから言う。


「いや……何でもない」


カン――


車内の表示が切り替わる。


「視線」到着まで 10秒


窓の向こうで、笑っていた俺が少しだけ口を開いた気がした。


第三十四話 ない音 終

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