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名前のある場所

第三十二話 名前のある場所


ゴォォ……


電車は静かに走っていた。


揺れているはずなのに、不思議と音は少なかった。


窓の外は真っ黒だった。


景色は何もない。


電柱も。


街も。


空も。


ただ黒だけが流れていた。


俺は窓から視線を外した。


さっき映っていた笑う俺も、いつの間にか消えていた。


代わりに、窓には普通の俺が映っている。


少しだけ安心した。


凪原は向かいの席で、本を閉じていた。


パタン。


しばらく静かだった。


でも気になっていた。


さっきからずっと。


「……なあ」


凪原は顔を上げる。


「何」


「何なんだよ、ここ」


少し間。


「夢想空間」


「それは聞いた」


「そうじゃなくて」


俺は窓の外を見る。


「何でこんな場所があるんだよ」


凪原は少し考えた。


そして窓の方を見る。


「知らない」


「は?」


「全部知ってるわけじゃないから」


相変わらずだった。


でも今度は続きがあった。


「ただ、ここには名前のある場所がある」


「名前?」


「うん」


「苦悩の名前を関する残響域、ロスト・エコーと呼ばれる場所がある。」


俺は眉をひそめた。


「……残響域?」


凪原は頷いた。


「孤独」


「視線」


「後悔」


「本音」


「人によって違う」


「その概念に対して恐怖心を持つ人はその名を持つ場所に行けて、その場所ではその人の中の記憶の宿痕(ロスト・フラグメント)が具現化するみたい。」


俺は止まった。


「……待て」


数秒黙る。


「なら、俺がさっきいたのは残響域だったって事か?」


凪原がこちらを見る。


「そう。」


「俺がいた場所」


黒い雨。


黒い腕。


黒い傘。


全部頭に浮かぶ。


「名前あったのか、あれ」


「うん。」


凪原は言う。


「あなたがいたのは多分、『孤独』」


「一人でしか入れないステージ」


一人でしか入れない。


だから誰もいなかったのか。


だから黒い傘しかいなかったのか。


ポケットの中でクロのキーホルダーが揺れた。


チリン。


「……じゃあ、お前は?」


俺が聞いた。


凪原は少し黙る。


窓を見る。


黒い景色を見たまま言った。


「私は『本音』」


「本音?」


少しだけ笑う。


でも寂しそうだった。


「何考えてるか分からなくなってたから」


静かだった。


電車が小さく揺れる。


そして数秒後。


凪原が続けた。


「でも、一人じゃなかった」


俺は顔を上げる。


「最初に会った人がいたから」


「その人が教えてくれた」


「夢想空間のこと」


「ステージのこと」


「出る方法のこと」


俺は少し考える。


「……じゃあ、その人は?」


凪原は黙った。


さっきまで普通だった空気が少し止まる。


俺も何も言わない。


そして凪原は窓を見たまま言う。


「あなた頑張ったね。」


「『孤独』は深淵級の残響域だから。」


話を逸らされた。


そんなことより俺が聞いたことのない概念だ。


「深淵級?」


「夢境空間の残響域の等級は観測級 、 接触級 、侵食級 、 閉鎖級 、深淵級 、崩壊級の6つの段階に分かれてる。」


「深淵級の難易度は上から二番目。」


「深淵級の残響域は完全に周囲から断絶された空間で、自分の記憶の中のピースである記憶遺物(メモリー・レリック)が奇跡的に出現しないとクリア出来ない。」


なるほど、白い傘やクロのキーホルダーはそれだったのか。


「だから、深淵級から出られる確率は5%ってところかな。」


「少なくとも、私は深淵級の残響域をクリアした人を一人しか知らない。」


「私に色々教えてくれた人が深淵級をクリアしたって言ってた。」


「ここには、沢山の人がいるのか?」


「場所によると思うよ。」


「私がクリアした『本音』には50人ぐらいいたかな。」


「『本音』は閉鎖級の残響域だけど多人数での挑戦が出来た。」


「でも、クリアしたのは私含め20人」


「『本音』による攻撃で仲間割れしちゃったんだ。」


「30人はステージに取り残された。」


「そうなるとどうなるんだ?死ぬのか?」


「うーん、多分厳密には、死じゃない。」


「取り残された人はその残響域に飲み込まれる。」


「どうなるのかは、私もよくわかってないんだ。」


「私に色々教えてくれた人は飲み込まれた。」


頭に緊張が走る。深淵級をクリアした人でも低級の残響域に取り込まれることがあるのだ。


「じゃあクリアした20人はどこに行ったんだ?」


「クリアした後は3,4人と一緒に進んでたんだけど、途中で皆見失ったよ。」


「多分、その人に必要な残響域に飛ばされるんだと思う。」


「しばらく歩いたら駅について、あなたと会った。」


俺は少し黙った。


カン――


前方の掲示板へ文字が浮かぶ。


「視線」まもなく到着します


第三十二話 名前のある場所 終

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