行き先
第三十話 行き先
静かだった。
駅なのに、人の気配がなかった。
アナウンスもない。
電車の音もしない。
ただ、遠くで風が流れる音だけが聞こえていた。
俺はベンチへ座ったまま、少し横を見る。
青髪の女は相変わらず本を読んでいた。
ページをめくる音だけが小さく響く。
パサ。
俺は少し迷ってから言った。
「……何で知ってるんだ」
ページをめくる手が止まる。
「何を?」
「雨」
「ここ」
「全部」
女は少し考えた。
それから本を閉じる。
パタン。
「全部は知らない」
俺は黙る。
「でも、ここが何かくらいは知ってる」
少し間。
そして、ホームの向こう側を見る。
「夢想空間」
俺は眉をひそめた。
「夢……想空間?」
「うん」
「名前は誰が付けたのか知らない」
「でも、みんなそう呼んでる」
「……みんな?」
初めて聞く言葉だった。
俺達以外にもいるのか。
女はホームの先を見る。
「あなたも少し前まで、もっと奥にいたでしょ」
「黒い雨とか、変なのとか」
俺は止まった。
黒い傘。
黒い腕。
雨。
全部頭に浮かぶ。
「それを抜けたからここに来た」
「……抜けた?」
その女は小さく頷いた。
「ずっと同じ場所にいる人は、ここには来れない」
「独りとか」
「後悔とか」
「そういう場所から出た人が来る」
ポケットの中でクロのキーホルダーが揺れた。
チリン。
俺は何も言えなかった。
何か大きく変わった感じはしなかった。
でも。
前の”私”なら、知らない女の隣へ座ることなんてなかったと思う。
その時だった。
カン――
音だった。
俺は顔を上げる。
真っ暗だった電光掲示板へ、文字が浮かんでいた。
2番線
「視線」まもなく到着します
俺は眉をひそめた。
「……視線?」
ゴォォ……
遠くから風が吹く。
真っ白だった線路の向こう側に、小さな光が見えた。
電車のライトだった。
女は立ち上がる。
制服の裾を軽く払う。
「ちょうど来た」
「……何が」
「次」
俺は黙る。
女は数歩歩いてから止まった。
それから振り返る。
「そういえば」
少し間。
「名前言ってなかった」
初めて、少しだけ笑った。
「凪原 澪」
黒に近い青髪が揺れる。
「同じ行き先だから」
「よろしく」
俺はしばらく黙っていた。
それから少し遅れて言う。
「……え?」
ホームへ、電車が滑り込んできた。
第三十話 行き先 終




