雨の中に残ったもの
第二十四話 雨の中に残ったもの
『触るな』
黒い傘の声が、暗闇全体に響いた。
今までとは違った。
静かな声じゃなかった。
初めて焦っていた。
私は白い傘を見た。
黒い水の上。
そこだけ雨が降っていた。
他は何もない。
空も。
地面も。
景色も。
全部黒かった。
なのに、その場所だけ違った。
雨が降っていた。
私は一歩前へ出る。
バシャッ!!
黒い水が大きく跳ねた。
腕だった。
今度はさっきより多かった。
一本じゃない。
十本。
二十本。
数えられないくらいだった。
教室の床から。
ベッドの下から。
電車の座席から。
腕が這い出してくる。
全部私の方を向いていた。
『戻れ』
『思い出すな』
『見るな』
腕が一斉に伸びる。
私は走った。
右から来る腕を避ける。
後ろから伸びる腕を振り払う。
でも避けきれなかった。
足を掴まれる。
肩を引っ張られる。
身体が傾く。
その瞬間だった。
チリン!
クロのキーホルダーが大きく鳴った。
青い光が指の隙間から漏れる。
触れた腕が崩れる。
ジュッ!!
墨を水へ垂らしたみたいに消えていく。
でも終わらない。
次が来る。
また次。
黒い腕は止まらなかった。
私は走る。
息が苦しい。
足が重い。
距離なんて大したことないはずだった。
なのに全然近付かない。
白い傘はずっと前にある。
少しずつ。
本当に少しずつしか。
近付かない。
『やめろ』
黒い傘だった。
今まで動かなかった黒い傘が、初めて一歩前へ出た。
黒い水が大きく揺れる。
『それを拾うな』
『思い出したら終わる』
私は止まらなかった。
あと少しだった。
白い傘まで、手を伸ばせば届きそうだった。
その時だった。
腕が足首を掴んだ。
強かった。
今までと違った。
私は前へ倒れる。
手の中のキーホルダーが離れそうになる。
チリン……
小さな音がした。
私は咄嗟に手を握った。
離さなかった。
そして、そのまま前へ手を伸ばした。
指先が白い傘へ触れる。
冷たかった。
でも次の瞬間だった。
ザーーー……
突然、雨音が大きくなった。
暗闇が揺れた。
黒い腕が止まった。
黒い傘も止まった。
私はゆっくり顔を上げた。
雨の向こう側に、誰かが立っていた。
白い傘の下だった。
第二十四話 雨の中に残ったもの 終




