閉じたもの
第二十話 閉じたもの
暗闇は静かだった。
雨もなかった。
踏切の音も消えていた。
さっきまで耳が痛くなるほど鳴っていたはずなのに、今は何もない。
静かすぎた。
私は黒い傘を見ていた。
向こうも動かなかった。
何かを待っているみたいだった。
足元に広がっていた黒い水は、ゆっくり揺れている。
その水の表面には、色々な景色が映っていた。
高校の教室。
昼休み。
誰もいない机。
窓際。
夜の部屋。
スマホの明かりだけがついた天井。
全部、私だった。
全部、知っていた。
『ほら』
黒い傘の声がした。
『ずっとそうだった』
水面が揺れる。
次の景色が映る。
教室。
何人かが笑っていた。
私は少し離れた席に座っていた。
誰とも話していない。
視線だけが何度もそちらへ向いていた。
『輪に入ろうとした』
景色が変わる。
教室移動。
前を歩く誰か。
後ろを歩く私。
『でも入れなかった』
また変わる。
昼休み。
机。
パン。
一人。
『居場所なんてなかった』
私は何も言わなかった。
言い返せなかった。
全部本当だったからだ。
『だから楽だったんだ』
黒い傘が少し揺れる。
『誰もいなければ』
『失わなくて済む』
『傷付かなくて済む』
黒い水が少しずつ広がってくる。
足元へ。
靴の先へ。
冷たかった。
『お前は最初から分かってた』
『期待しなければ、苦しくない』
『独りなら終わらない』
私は黙ったまま、水面を見た。
そこに映っていた。
小学生の頃の帰り道。
雨。
白い傘。
長髪の子が笑っている。
『でも』
黒い傘が言う。
『終わった』
『結局いなくなった』
その瞬間だった。
私は顔を上げた。
初めてだった。
黒い傘の言葉が嫌だった。
今までの言葉は全部、自分の中にあったものだった。
でも今のは違った。
何かが引っかかった。
私はゆっくり言った。
「……違う」
黒い傘が止まる。
「終わったんじゃない」
声が少し震えた。
「俺が勝手に閉じたんだ」
暗闇が少し揺れた。
水面が波打つ。
黒い傘は動かなかった。
でも初めてだった。
何も言い返さなかった。
そして。
暗闇の向こうで、小さな音がした。
チリン。
私は止まった。
青い猫のキーホルダーだった。
雨の中で見た、クロのキーホルダー。
何もない暗闇の中に、それだけが落ちていた。
第二十話 閉じたもの 終




