赤の音
第十六話 赤の音
白い手が、雨の向こうでゆっくり動いていた。
来い、と言うように。
指が曲がって、開く。
また曲がって、開く。
急かしているわけじゃない。
ただ静かに呼んでいた。
カン……
カン……
カン……
雨音の向こうで鳴り続けていた。
私は踏切を見た。
さっきまで黒い傘は、ただ不気味なだけだった。
でも今は違う。
見ているだけで嫌な感じがした。
胸が苦しいとか、寒気がするとか、そういう曖昧なものじゃなかった。
もっと単純だった。
近付きたくなかった。
理由は分からない。
でも、近付いたら駄目だと思った。
クロが低く唸る。
そして小学生の私の前へ出た。
珍しかった。
今までクロは私の隣にいることはあっても、小学生の私を守るようなことはしなかった。
でも今は違った。
毛を逆立てている。
白い手を睨んでいた。
小学生の私は動かなかった。
黒い傘を見たままだった。
顔色が悪い。
長髪の子が、不思議そうに顔を覗き込む。
「どうしたの?」
返事はない。
「ねぇ」
「……」
「大丈夫?」
小学生の私は、少し遅れて顔を上げた。
「……分かんない」
声が小さかった。
「何か……嫌だ」
長髪の子は黒い傘を見る。
それからまた私の方を見る。
「怖いの?」
少し考えてから、小学生の私は首を横に振った。
「違う」
「じゃあ何?」
また黙る。
しばらくして、小さく言った。
「……思い出しそう」
私は息を止めた。
長髪の子が首を傾げる。
「何を?」
小学生の私は答えなかった。
ただ踏切を見ていた。
カン……
カン……
カン……
音が少し大きくなる。
その時だった。
私は違和感に気付いた。
白い手だった。
動いていない。
さっきまで確かに動いていた。
来い、と何度も手招きしていた。
でも今は違った。
止まっていた。
ぴたりと。
私は目を細めた。
何かがおかしい。
そして気付いた。
手の向きだった。
さっきまでこちらを向いていた。
でも今は違う。
指先が踏切の方を向いていた。
来い、じゃなかった。
指差していた。
私はゆっくり踏切を見る。
点灯前の赤いランプ。
遮断機。
雨。
レール。
その向こう側。
そこに、小さな白い傘が落ちていた。
私は固まった。
今までなかった。
絶対になかった。
長髪の子も気付いていた。
「……あれ」
白い傘を見ていた。
そして、小さく言った。
「私の傘と同じだ」
カン……
カン……
カン……
踏切の音が、急に大きくなった。
まるで。
何かを思い出させようとしているみたいに。
第十六話 赤の音 終




