5月24日
第十四話 5月24日
頭の奥を鈍い痛みが走った。
ズキッ、と。
鋭い痛みではなかった。
もっと嫌なものだった。
忘れていたことを無理やり引っ張り出される時みたいな感覚だった。
私は思わず頭を押さえた。
雨音が急に大きく聞こえる。
ザーッ——
さっきまで静かだった雨が、今は耳元で叫んでいるみたいだった。
視界の端が少し揺れる。
道路。
白い傘。
黒い傘。
全部が水面越しに見ているみたいに歪んでいた。
「……っ」
私は目を閉じた。
その瞬間だった。
知らない景色が頭の中へ流れ込んできた。
教室だった。
窓の外は雨。
黒板の上には時計。
四時二十分。
ランドセルを背負った子供たちが帰る準備をしている。
笑い声。
机を引く音。
誰かが走る音。
そして。
『5月24日』
声が聞こえた。
私は目を開いた。
雨の帰り道へ戻っていた。
でも、何かが変わっていた。
長髪の子が止まっていた。
白い傘を持ったまま、動いていない。
小学生の私も止まっていた。
黒い傘も。
雨だけが降っている。
まるで誰かが一時停止ボタンを押したみたいだった。
その中で動いていたのは、クロだけだった。
クロはゆっくり道路へ出ていく。
濡れることも気にせず、黒い傘の方へ歩いていく。
「クロ……」
呼んだ。
もちろん聞こえない。
クロは黒い傘の前で止まった。
少しだけ匂いを嗅ぐ。
そして急に耳を伏せた。
後ろへ下がった。
クロが露骨に怯えた。
私は黒い傘を見る。
何もない。
誰もいない。
なのに。
傘の下だけが暗かった。
雨の日だからじゃない。
周りより少し黒い。
光が届いていないみたいだった。
その暗さを見ていた時だった。
頭の奥で、また声がした。
『明日も、一緒に帰ろ』
私は息を止めた。
前にも聞いた。
でも今度は違った。
少し続きがあった。
『明日も、一緒に帰ろ』
『約束ね』
約束。
その言葉が落ちた瞬間、胸の奥が重くなった。
何かが引っかかった。
5月24日。
雨。
約束。
何かが繋がりそうだった。
あと少しで。
本当にあと少しで。
その時だった。
小学生の私が突然顔を上げた。
ゆっくりと。
何かを見つけた人みたいに。
私はその視線を追った。
道路の先。
雨の向こう側。
信号機が見えた。
赤だった。
その赤だけが、やけに鮮明だった。
世界から色が消えているみたいな景色の中で、その赤だけが異様に浮いていた。
そして私は気付いた。
ずっと聞こえていた雨音に混ざっていた音に。
カン……
カン……
カン……
踏切だった。
遠くで鳴っていた。
静かに。
ずっと。
最初から。
第十四話 5月24日 終




