第9話 勉強会の終わり
椿姫との勉強会は、あっという間に過ぎていった。
数学を教えてほしいと言っていたわりに、椿姫は飲み込みが早く、涼が少し説明を加えただけで簡単に解けるようになってしまった。本当に数学が苦手だったのか疑わしいくらいだ。
図書室の閉館時間が近付いて、涼と椿姫は帰り支度を始める。
「藤沢くん、今日は本当にありがとうございました」
「いや、俺はほとんどなにもしてないよ。大体は北白河さんが自力で解いてたし」
「いえいえ! 藤沢くんの教え方がとっても上手だったからです!」
「役に立てたのならよかったよ」
「はい! ありがとうございます!」
椿姫はそう言ってくれたが、涼としては大したことはしていないので、これでよかったのかと少し疑問が残る。
図書室から一階の昇降口に向かいながら、椿姫が少し訊きにくそうに問い掛けてくる。
「あの、藤沢くん?」
「なんだ?」
「その……、桜坂さんにも勉強を教えていたりするんでしょうか……?」
「え? 澪?」
急に飛び出してきた幼馴染の名前に、涼は首を傾げる。
「いや、澪には教えたことないな。そもそも澪は勉強にそこまで熱心なタイプじゃないし、そこそこ自分でもできるだろうしな」
「そうなんですね」
椿姫の質問の意図がわからず、涼はますます首を傾げる。
澪は大抵のクラスメイトと仲が良い。しかし皐月の話だと、椿姫は特別親しい友人はいないという。
「澪とはあまり話さないのか?」
「あ、いえ! そんなことないです! 桜坂さん、すごく優しくて。私が一人でいるといつも声を掛けてくれたり、グループに入れてくれたりするんです。本当に素敵な方で……」
椿姫はなにかを思い出すように嬉しそうにそう語る。
「あの、藤沢くん。……もうひとつ訊いてもいいですか?」
「そんなに緊張しなくてもいいぞ。クラスメイトなんだし。ひとつと言わず気になることがあるならどうぞ」
椿姫があまりに気を遣ったようにおずおずと訊いてくるので、涼は思わずそんなことを言ってしまった。
「あ、ありがとうございます。あの、えっと、藤沢くんと桜坂さんは、お付き合いされているのですか?」
椿姫の質問に、涼は不意を突かれて変にむせてしまった。
「いやまさか! 澪とは幼馴染なんだ。因みに皐月も幼馴染」
「そうでしたか! ……よかった……」
(よかった……?)
ほっと胸を撫で下ろした様子の椿姫に涼は首を傾げる。
なにに安心したのか一瞬わからなかったが、もし彼女がいたら自分といて大丈夫だろうか、と不安になったのかもしれない。真面目な椿姫の考えそうなことだ。
上履きからローファーに履き替えて昇降口を少し出たところで、涼は足を止める。
「俺、自転車通学なんだ」
「そうなんですね。私は歩きです」
「そうか。じゃあ今日はここで解散だな」
春の午後五時過ぎはまだ明るい。そんなに心配することもないと思ったものの、一応訊いてみる。
「一人で帰れるか? 家まで送ろうか?」
「へ……?」
椿姫は驚いたように目を丸くする。
(少し出しゃばりすぎただろうか……)
しかし家が遠ければ途中で陽が落ちてしまうかもしれない。こんな美少女を一人歩かせるのも忍びない。
余計なことを言ったかな、と涼が半ば反省しかけていると、椿姫は嬉しそうに口元を綻ばせた。
「お気遣いありがとうございます! でもまだ明るいので大丈夫です!」
「そうか」
「でもまた今度、お願いするかもしれません……」
「今度?」
「また勉強を教えてください。藤沢くんがよければ」
「それは別に構わないけど……」
本当に俺でいいのか? という言葉が喉元まで出かかったが、椿姫が嬉しそうに笑うので、涼は大した手間でもないし、まあいいかと思うことにした。
「ありがとうございます! 藤沢くん。それでは、また!」
「ああ、また」
椿姫はぴんと背筋を伸ばし、校門の方へと歩いて行く。その様子を少し見守ってから、涼はグラウンド横にある駐輪場へと向かった。
(不思議な子だな、北白河さん。こんな俺なんかと一緒に勉強したいだなんて……)
しかしこれはもしかしたら、チャンスなのかもしれない。他人と関わることを拒絶し続けることはできない。潔癖症と付き合っていくのならば、少し他人との関り方も考えた方がいいのかもしれない。
(逃げ回ってばかりもいられないのかもな……)
そんなことを考えながら、今朝自分が自転車を止めた辺りにやってくると、人影があった。
「涼」
名前を呼ばれて、涼はぱっと顔を上げる。
ちょうど涼の自転車が止めてある場所に、澪が立っていた。




