第76話 暗闇の中の克服練習
「じゃあ、始めよっか! 潔癖症の克服練習!」
振り返ってにっと笑みを広げる澪に、涼は目をぱちくりさせた。
「ここでか?」
「うんっ!」
辺りに人気はなく街灯の明かりのみで薄暗い。しかしすぐそこのアミューズメント施設でクラスメイト達が打ち上げをしており、誰かにもし見られたらと思うと気が気ではない。
「だってここのところ、涼は委員会で忙しかったでしょ?」
「だからって今日やらなくても……」
「潔癖症、克服したいんじゃないの?」
涼は言葉に詰まる。その通りだ。涼は潔癖症を克服したい。それならば、克服練習に時も場所もないだろう。
「そういうことだから、始めよっか!」
強引に話を進める澪に、涼は小さく溜息をついて頷いた。
「分かった。始めよう。だが、手袋は持ってきているのか? 次も確か、何かしらの手袋を付けて手を握るんだったよな?」
いきなり人に直接触れる練習はあまりに難しいと判断した澪が、段階を踏んで触る練習をしたらどうか、と提案したのが、色んな生地を用いた手袋を装着して手を握るというものだった。
冬のもこもこ手袋、そして夏用のUV対策手袋での練習はなんとか無事に終えている。ということは、残すは薄手の手袋のみとなっており、そして、その後は直接触る練習だ。
先程までカラオケで打ち上げをしており、鞄はまだカラオケルームに置いたままだった。
勝山と話していた澪に涼が急に声を掛けただけで、準備など出来るはずもなかった。
しかし澪は、「むっふっふ!」と奇妙な笑い声を上げる。
そうして制服のスカートのポケットから、真っ黒の手袋を取り出した。
「じゃじゃあーんっ! いつでも克服練習が出来るようにちゃんと持ち歩いているのでしたーっ!」
ドヤ顔で手袋を見せつけてくる澪に、涼は呆れたように息をついた。
「いつでも克服練習が出来るように、って……澪、最近俺の潔癖症の克服練習を楽しんでないか?」
「ええっ! た、楽しんでなんかないよっ!? これは涼の潔癖症を治す大事な練習なんだからっ!」
涼がジト目で澪を見つめると、澪は小さく「ほんとだもん」と呟く。なんだかその様子が子供の頃の内気な澪を思い出させ涼はその可愛さから簡単に許した。
(まぁ、俺のために手伝ってくれてるんだもんな。どんな状況であれ、いずれやることになるんだ)
涼は居住まいを正すと、澪に言う。
「やろう。あまり遅くなると、クラスのやつに怪しまれるからな」
「うんっ!」
澪はいつもの明るい笑顔を浮かべながら、今回の克服練習について説明する。
「今回の克服練習も、
・他人に触れる
・他人と手を繋ぐ
の前段階的な練習だよ! 今回のこの薄手の手袋をつけて手を繋げれば、きっと直接手を繋ぐことにも、抵抗感が少なくなるはず!」
澪は説明しながら、黒い手袋を付け、それを涼に見せる。
「今日の手袋はこれ! ストッキンググローブって言って、めちゃめちゃ薄い手袋です!」
真っ黒な手袋に包まれているはずの澪の手は、公園の街灯の光で素肌が透けて見えた。手袋の中の細い指も桜色に塗られたネイルすらもよく見える。
「かなり薄そうだな……。これは本来は何に使う手袋なんだ? また日焼け対策か何かか?」
日焼け対策にしては薄すぎて肌を守れそうにないが、女性の使用する手袋に全く詳しくない涼は、何の気なしに聞いてみたのだが。
「あー……こ、これっ!?」
急に視線を泳がせ、落ち着きなく手をもじもじと動かす澪に、涼は首を傾げる。
「なんだよ?」
「えーっと、こういう手袋はあれだよ? えっと~、ほら! 舞台とか演劇で使ったりとか~あとはその~……こっコスプレとか~えーっと~……」
いまいち歯切れの悪い澪に訝し気な視線を向ける涼。澪はごにょごにょと向かいにいる涼に聞こえるか聞こえないかの声で呟く。
「……ぷ、プレイ用……的な……」
「………………」
澪の言葉に、脳内でストッキンググローブを付けた下着姿の澪がベッドに寝転ぶ姿が浮かびそうになって、涼は慌てて頭を振った。
「と、とにかく! 始めるか!」
「う、うんっ! そうだねっ!!」
涼と澪は互いに顔を真っ赤にしていたが、辺りが暗いおかげで相手には見られずに済んだことに内心ほっと胸を撫で下ろしていた。




