第74話 アフター球技大会
球技大会の片付けを終えた涼と椿姫が二年D組の教室に戻ると、まだ大半の生徒が残っており室内はいつも以上に賑やかだった。
「涼ちん、つばきち、お疲れ~」
「お疲れさま!」
自席で話していたらしい皐月と澪が、涼と椿姫に労いの言葉を掛ける。二人は既にジャージから制服に着替えていた。
「みんなまだ帰ってなかったのか?」
球技大会の閉幕式の後は、特にSHRなどもなく順次解散の予定となっていた。涼と椿姫は球技委員のため三十分ほど片付けに追われていたのだが、ここまでクラスメイトが残っているとは思わなかったのだ。
涼の疑問に、澪が答える。
「このあとカラオケで打ち上げしないか、って話になってたの」
澪は涼の様子を窺うように尋ねてくる。
「えっと、……涼は打ち上げ、行く?」
潔癖症になってからというもの人の多い場所は避けてきた。しかし、克服練習が進んだ今なら、いや心が少しだけ強くなった今なら行ってみてもいいのかもしれない。涼はそう思えるようになっていた。
「……そうだな、たまには行ってみるか」
涼の返答に、澪だけでなく皐月さえも驚いたように目を丸くした。
「やったぁ! 行こ行こ!!」
「珍しいな、涼ちんが打ち上げに参加するなんて……」
目を瞬かせていた皐月だが、すぐに相好を崩しいつもの爽やかな表情へと戻る。
皐月には、澪と行っている潔癖症克服練習の話はしていない。しかし全貌は分からないまでも皐月は気が付いているのかもしれないと涼は薄々思っている。澪の言葉を借りるなら、「潔癖症を克服して、皐月くんを驚かせちゃおう!」であるが、皐月は普段へらへらしているが他者の感情の機微に聡い。これも澪との潔癖症克服練習の成果だと気が付いているかもしれない。その証拠に、涼の顔の次に椿姫を見た皐月は、椿姫に優しく問い掛けた。
「つばきちも、打ち上げ来るだろ?」
椿姫はトラウマを払拭したのか、晴れやかな表情を浮かべて頷いた。
「はい、是非参加したいです!」
「おっしゃ、決まりだな! 幹事に伝えておくから二人は制服に着替えて来いよ」
皐月に促され、涼と椿姫はそれぞれ更衣室に向かった。
「いやあ、良かった良かった!」
皐月の呟きに、澪が首を傾げる。
「え? なに? 何が良かったの?」
「いや? よく分からんけど、多分良かったんじゃないかなーって」
皐月のぼんやりとした返答に、澪はますます首を傾げる。
「なにそれ? 皐月くんってたまによく分からないこと言うよね」
「かもな」
からからと笑う皐月を澪はますます疑問に思うのだった。
涼達の通う津田森高校には最寄り駅が二つある。一つは徒歩二十分ほどのところにある東京へと繋がる路線。涼と澪の家はこの路線の方にある。もう一つは、涼と澪の使う路線方面の間反対にあり、主に工場地帯が多い高校から徒歩三十分ほどにある駅だ。辺りにはどこかの企業の工場施設があるが、駅からまた更に少し歩くとアミューズメント施設があった。主にボウリングやカラオケ、ダーツやスポーツなどを楽しむことが出来る有名なアミューズメント施設である。
到着した涼は、初めて来るアミューズメント施設を興味深そうに見回した。
「初めて来たな」
「私もです……!」
涼の言葉に同意した椿姫は、目を輝かせながら施設を見つめる。
「こちらの駅に来たのも初めてかもしれません」
涼も頷く。涼達の最寄駅からここまで市営バスが出ているとはいえ、訪れたことはなかった。
「椿姫さんの家は、門限とか大丈夫なのか?」
球技大会を終え、施設に到着した時点で午後四時を回っていた。涼との勉強会の時も遅くても午後五時には学校を出ており、明日は土曜日とあってクラスメイトは夜遅くまで遊ぶ気満々である。と言っても高校生なのだから夜遅くと言っても限度があるが。
涼の問い掛けに、椿姫は微笑みながら返答する。
「ご心配ありがとうございます。今日は遅くなる旨、母親に伝えてありますので全然大丈夫です!」
「それならよかった」
バスも出ているはずだし、最悪涼が送っても問題はない。椿姫はお金持ちのお嬢様ではあるが、家は然程厳しくはないようだった。
受付を済ませたらしい幹事に続き、2Dご一行はカラオケ施設の大部屋にやって来る。参加人数その数三十人。クラスは総勢四十二人であるから、ほとんどの生徒が参加していることになる。
部屋に着くと涼はひとまず室内奥の端の方へと腰を下ろそうとして、澪がぱたぱたとついて来た。
「私、涼のとーなりっ!」
にっと笑った幼馴染は、何故か心底嬉しそうだった。
「カラオケ、来たかったのか?」
「違うよっ! 打ち上げに涼が来てくれたのが嬉しいんだよっ! もうっ、涼ってやっぱり鈍感?」
不満そうに頬を膨らませるも、澪はやはり嬉しそうに笑いながら涼の右隣に腰掛ける。
「じゃ、反対側の隣は、俺が、」と皐月が座ろうとして、さっと涼の左隣に座ったのは椿姫だった。
「辻堂くん、ごめんなさい。私も涼くんの隣がいいです」
「お、おう……」
積極的な女子二人に目をぱちくりさせた皐月は、やれやれと浅くため息をつきながら涼の目の前に座った。
「ええっと……」
右側ににこにこと触れそうな距離でくっついてくる幼馴染の澪。
左側に品の良い笑みを浮かべながら、これまた距離感が可笑しい親友の椿姫。
クラスの男子が涼達をちらちらと一瞥する。悔しそうな、不快そうな表情を浮かべているように見える。
(なんか……居心地悪いな……)
そんな涼の様子を見た皐月は豪快に笑う。
「涼、楽しそうで何よりだぜ!」
どこをどう見たら? と文句を言いたい気持ちを抑え涼は親友に返答する。
「……お陰様で」
友人達と過ごせるというのは実に嬉しい事なのだが、どうにも視線が突き刺さる。しかしそれもカラオケが始まってしまえばすぐに気にならなくなった。部屋にはたくさんの料理が運ばれて来て、楽しそうに歌う者、それにタンバリンやマラカスを振る者、友人達と雑談に興じる者など、それぞれが自由に打ち上げを楽しんでいた。
「乾杯しよ! 乾杯!」
澪がアイスティーの入ったグラスを持ち上げる。涼もそれに倣って烏龍茶の入ったグラスを持ち上げた。椿姫と皐月もそれに続く。
「かんぱーいっ!!」
澪の音頭で四人はカチンとグラスをぶつけ合う。
「涼、椿姫ちゃん、球技委員本当にお疲れ様っ!」
「ああ」
「ありがとうございますっ!」
「球技委員に選ばれた時はどうなることかと思ったけど、椿姫さんのおかげで何とか何事もなく終われたよ。ありがとう」
「いえいえっ! 涼くんも頑張っていたじゃないですかっ! 私も涼くんがいたからやり遂げられたと思ってます。こちらこそありがとうございましたっ」
涼と椿姫の間に流れるお互いを信頼しているかのような空気に、澪は少しむっとした表情になる。それを知ってか知らずか、皐月が話題を変える。
「そういえば、岬さんと佐久間は来てないのか、打ち上げ」
「心海はバイトあるんだって。行きたかった~って最後まで駄々こねてたよ」
「そりゃあ残念だ」
(佐久間くんは打ち上げとか、来なさそうだよな……)
そう涼は内心で思う。佐久間も涼と同じタイプでクラスの集まりに参加するのは苦手なタイプと見える。佐久間に関しては謎な部分も多いが、彼は彼なりに自分の楽しみを見つけるタイプであることは涼も知るところだった。
暫く四人で雑談に興じていると、澪も皐月もクラスメイトに呼ばれてしまい席を離れてしまった。二人残された涼と椿姫は、運ばれてきた料理に口を付けながら、ぽつぽつと話す。
「あ、涼くん、こっちの抹茶のわらび餅、とても美味しいですよ!」
「うわ、本当だ。すごい美味いな」
などと他愛もない話をしていると椿姫が急にくすくすと笑い出す。
「どうした?」
「あ、いえ、嬉しいなって思いまして」
「何がだ?」
「友人と一緒に行事を精一杯頑張って、そのあとに打ち上げとしてこんな風に過ごすのは初めてだったので。嬉しいな、と」
椿姫の穏やかな笑みに、涼も自然と笑みが零れる。
「そうだな」
椿姫の気持ちは涼にもよく分かる。かつてこんなにも学校行事に真面目に取り組んだことはないし、その上友人達と打ち上げに来るなど、去年の涼なら想像もつかないことだった。
「涼くんのおかげです。改めて、ありがとうございます」
椿姫がぺこりと頭を下げる。それを制するように、涼は首を横に振った。
「別に俺のおかげじゃない。椿姫さんならきっとなるようになったさ」
「それでも、私は涼くんと親友になれたことが、一番嬉しいです」
椿姫にじっと見つめられて、涼は照れくさくなり視線を逸らす。
「……まぁ、俺もそうだな」
椿姫が涼に声を掛けてくれたからこそ、今の涼があるのだ。涼も椿姫に感謝しなくてはならない。
「こちらこそ、ありがとう、椿姫さん」
ふふっと椿姫が嬉しそうに笑い、涼もつられて笑みを零す。
そんな二人の間に、恐る恐る声を掛ける人物がいた。
「あのぉ~! 二人の世界に入ってるとこ悪いんだけど、ちょっといい??」
ひょっこりと顔を出したのは、八重だった。
「溝口……っ」
「溝口さんっ!」
驚いたように目を丸くする二人に、八重はじとっとした視線を向けてくる。
「二人、本当に付き合ってないの?」
「付き合ってない」
椿姫も苦笑を浮かべてそれに答えた。
「えー、お似合いなのにぃ……」と小さく呟いた八重は、涼に視線を向ける。
「ふじりょー、北白河さん借りてもいい?」
「どうぞ。ていうか俺に許可取るんじゃなくて、椿姫さんに聞いてくれ」
涼の言葉に、もじもじと八重は椿姫に問い掛ける。
「き、北白河さん、ちょっとお喋りしない?」
「は、はい……っ」
何ともぎこちない二人は友人とは思えないほどに緊張した様子でその場を離れる。振り返った椿姫と目が合った涼は軽く手を挙げた。椿姫はそれをどう受け取ったのか、胸の前で拳を二つ、ぎゅっと握った。
(頑張れ、椿姫さん)
涼は一人になり、少し風に当たろうとカラオケルームを出ることにした。




