第73話 椿の花
溝口 八重は涼を睨み付ける。
「どうして藤沢までいるわけ? あたし、北白河さんを呼んだんだけど」
八重は涼を鬱陶しいものでも見るかのように目を細める。しかし涼は椿姫の前に立ち、平然と言ってのけた。
「知っていると思うが、俺と椿姫さんは球技委員なんだ。このあともまだ片付けや仕事が残ってる。それに、……俺達は親友なんでな。一緒にいるのは当たり前だ」
自分で『親友』などと言っておいて、涼は急に冷や汗が止まらなくなる。
(ちょっと言いすぎだったか? いやでも椿姫さんもさっき俺のこと親友だって言ってくれていたし……)
などとまごまごと格好付かずに考えていると、八重はドスの効いた声を発した。
「は? 親友? 藤沢が?」
その笑みは馬鹿にするように歪む。椿姫が思い切ったように前へと一歩踏み出した。
「み、溝口さん。私とりょ、藤沢くんは親友です。私に何か文句があるのなら、はっきり言ってください。私をいくら悪く言っても構いません。けれど、私の友人を馬鹿にするような、貶めるようなことをするのなら、私は貴女を許しません」
椿姫は八重を見つめ、そうはっきりと口にする。その足は少し震えていたが、涼が隣に並ぶと椿姫は一瞬安堵したような表情を浮かべ、また八重へと向き直る。
馬鹿にしたような表情を浮かべていた八重は椿姫の言葉に一変し、今にも泣き出しそうに眉を下げる。
「ち、ちがっ、あたしはただ、北白河さんと……」
急に強気な態度を崩し慌て始める八重に、涼は違和感をおぼえる。
(なんだ? この溝口の態度は。まるで椿姫さんに誤解されたくないかのような……)
「私は、溝口さんに何かしてしまったのでしょうか……?」
椿姫が尋ねると八重は首を横に振り続ける。
「ちが、違うしっ! 全然違うっ!」
「え?」
八重の態度に椿姫は目を丸くする。八重は頬を赤らめ思い切ったようにこう口にした。
「あたしはただ、北白河さんと友達になりたいだけだしっ!!!!」
「………………、え?」
たっぷり十秒固まった涼と椿姫は同じようにぽかんと口を開ける。八重は椿姫の手を握り、距離を縮めて来る。
「だって北白河さん、めっっっちゃ可愛いんだもんっ!! 肌も真っ白でつやつやで! あたし将来は美容関係に進むつもりなんだけど、北白河さん、どんな肌のお手入れしてるの!? マジ美白綺麗すぎっしょ! どんな化粧品使ってるのか超聞きたいし、それ以前に!!」
八重はそこで言葉を切ると、椿姫の瞳をじっと見つめる。
「あたし、北白河さんとお喋りしてみたかったんだよね!」
「え……?」
「だから、ずっと声を掛けたかった。でも最近いっつもふじりょーと一緒にいるじゃん? 声掛け辛くってぇ!」
「ふじりょー……」
突然略された自身の名前もそうだが、涼は八重の不器用さに呆れかえっていた。
八重はただ、椿姫に声を掛ける機会を窺っていただけにすぎなかったのだ。ただ、友達になりたかっただけなのだ。
「そう、だったのですか……」
椿姫は肩の力が抜けたように、目をぱちくりとさせている。
過去のトラウマからまたありもしない噂を流されるのではないかと心配していた涼と椿姫に、どっと疲労感が押し寄せる。
「ていうか、二人は親友なの? 付き合ってるわけじゃないんだ?」
八重の言葉に、涼は淡々と、椿姫は慌てたように言葉を返す。
「親友だよ、付き合ってない」
「親友です! けど……」
「けど、これからその……頑張りたい次第で……」と椿姫はもごもごとその先を口の中で呟いた。
「そうなんだ、へえ!」
八重は言葉の通り受け取り、からからと笑う。
「で、北白河さんっ! 友達になってくれる?」
八重はにっと八重歯を見せて笑いながら、椿姫に改めて右手を伸ばした。
差し出された手を驚いたように見つめた椿姫は涼を振り返る。涼は少し眉を下げ微笑んで見せた。
「こっ、こちらこそ! よろしくお願いしますっ!」
差し出した手を握り返された八重は、嬉しさを隠すこともなく盛大にガッツポーズを見せた。
「やったぁっ!! 北白河さんと友達になれるなんて超嬉しいっ!!」
「わ、私も……。で、でも溝口さんに謝らないといけないことがあって……」
「ん? なに?」
「私、溝口さんのこと知りもしないのに勝手に誤解していました……。ごめんなさい……」
椿姫が頭を下げると、八重は目をぱちぱちと瞬かせる。
「え? 何のこと?」
何が何だか分からないと言うように首を傾げる八重に、涼は溜息を一つついて椿姫の代わりに説明する。
「ずっと俺達を睨んでただろ? それで急に呼び出しなんてしてくるから、何か言われるんじゃないかと身構えてたんだよ」
「ええっ!! 睨んでた!? そんなつもりなかったんだけど!? ……あ、もしかして。あたし、あんまり視力良くないからもしかしたら見よう見ようと思って目を細めてたからかもっ! マジごめんっ!!」
八重は心底申し訳なさそうに手を合わせる。
八重が椿姫に友達になりたい、と言い始めた辺りから涼は薄々そんなことではないだろうかと思っていた。
(そういえば澪も言ってたしな、溝口は悪いやつじゃないって)
澪の言葉を疑っていたわけではないが、どうやらそれは本当だったようだ。
「あっ、ごめん! 二人委員会抜けて来てくれてたんだよね!? 一旦そっち行って! また後で話そっ!」
「またねっ! 北白河さん! ふじりょー!」と八重は嬉しそうにぶんぶんと手を振って走り去って行く。
残された椿姫は、未だに信じられないと言うような表情をしていた。
「よかったな、椿姫さん」
涼の言葉に、椿姫が振り返るとその瞳から涙が頬を伝って地面に染みを作った。
「椿姫さん!?」
椿姫の涙に、涼は狼狽する。
「す、すみません、涼くんっ……」
椿姫は慌てて涙を拭いながら、必死に言葉を紡ぐ。
「まさか、私と友達になりたいなんて、そんな風に言ってくれるとは思ってもみなくて……。きっとまた私は、知らないところで誰かに嫌な思いをさせていて、もしかしたら涼くん達にも迷惑を掛けてしまうかもって……」
緊張の糸が切れたのか、椿姫の大きな瞳からは次々と涙が零れ落ちて来る。
きっとずっと不安だったのだろう。ようやく出来た友人達が、またいなくなってしまうかもしれない。また一人ぼっちになってしまうかもしれない。
安心させようと椿姫に手を伸ばしかけて、涼はその手をゆっくりと下ろした。
「椿姫さん、きっともうそんなことにはならない。俺や澪、皐月達だってずっと椿姫さんの傍にいる。俺はともかく、あいつらはやたらと強い。椿姫さんの心配なんて軽く笑い飛ばすだろ」
友人達には涼だって助けられてきた。もちろん椿姫にもだ。
「……涼くんも、ですか……?」
「え?」
「涼くんもずっと、私の傍にいてくれるんですか?」
椿姫は目元を赤くして上目遣いで涼の瞳を見つめる。涼はその椿姫の破壊力に気圧されつつも力強く頷いた。
「ああ、もちろん」
涼の返答に椿姫は心底嬉しそうに笑った。
それはまるで椿の花が咲いたかのように可憐で美しく、心からの綺麗な笑顔だった。




