第70話 椿姫の過去
午前中の全試合が無事終了し、ようやくお昼休みになった午後十二時半頃。
涼と椿姫は三階の外廊下へと来ていた。今日は椿姫と昼食を取る約束だ。
特別教室の多い棟の外廊下の入口で二人並んで腰かける。涼と椿姫が座っている階段、と言うには段差は少ないが、は日陰となっているが外は少し眩しいくらいに日が射していた。
「涼くん、お疲れ様です」
「ああ、お疲れ」
椿姫がお茶の入った水筒を涼の方へと持ち上げるので、涼もそれに合わせて自身が飲んでいた緑茶のペットボトルをこんっと合わせた。
そうしてそのまま冷たい緑茶を喉に流し込んでいると、椿姫が思い出したように呟く。
「……涼くん、すごくかっこよかったです!」
「え?」
「さっきのバスケの試合です! 辻堂くんへのパスなんてすっごく絶妙で、さすが幼馴染だなって思いました」
「あ、ああ、ありがとう。と言っても、本当にパスを回しただけで、すごいのは皐月なんだけどな」
涼の言葉に椿姫はふるふると首を横に振る。
「マークされていた辻堂くんを動けるような試合に流れを変えたのは、紛れもなく涼くんです! もっと自慢してもいいのに、謙虚と言いますか、涼くんらしいですね」
椿姫は口元に手を当てながら、くすくすと笑う。
そんな談笑や、午後の委員会の段取りなどを確認しながら昼食を終え、一息ついた頃、椿姫は外廊下から見える青すぎる空を見つめながら思い切ったように口を開いた。
「……涼くん、少し、私のことを話してもよいでしょうか?」
「ああ、もちろん」
涼の返答に、椿姫はほっとしたように胸を撫で下ろす。
椿姫が涼に何か話があって昼食を共にしようと誘ったのだろうことは、涼も想像していたことだ。涼は自然と背筋を伸ばした。
椿姫は一呼吸置くと、ゆっくり口を開く。
「涼くんも知っての通り、私は涼くんしか友人がいませんでした。今は澪ちゃんや心海ちゃん、辻堂くんや佐久間くんとも少しずつ話せるようになって、みんなと仲良くなりたいと思っています」
「ああ」
「でも、やっぱり一歩踏み出せない自分もいて……」
椿姫はぎゅっと自身の手を胸の前で握る。
「私のせいで、大切な友人に迷惑を掛けることになるんじゃないかって思うと、上手く話せなくなるんです……」
「迷惑? 椿姫さんが迷惑なんて、」
涼の言葉を否定するように椿姫は首を横に振った。
「私にはずっと友人がいませんでした」
椿姫の言葉と同時にぴゅうっと冷たい風が二人の間を吹き抜ける。
「仲良くなったとしても、いつもみんな、いなくなっちゃうんです」
椿姫はずっと内に抱えていた気持ちを吐き出すように、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「幼稚園の頃は、有難いことにたくさんの友人がいました。みんな優しくて私も今よりも活発に外で遊んでいたと思います。……けれど、それが変わってしまったのは、小学校高学年になった頃からです」
小学五年生。涼が潔癖症になった出来事が起きた頃、椿姫もまた友人関係に大きなトラウマとなる出来事が起きた。
「以前、私に幼馴染はいないのか、というお話になった時、私はいない、と答えました。しかし厳密にはきっと幼馴染と呼べる友人がいたのです……」
幼稚園、小学校と椿姫と共に学校生活を過ごしていた女子、名を咲良と言った。
「咲良ちゃんは私にとって、なんでも話せる良き友人だったと思います」
「だった……?」
「はい……。私達はある時を境に一切口をきくことはなくなりました。簡単な話です。私が咲良ちゃんの好きな人を、取ってしまったから」
それは椿姫と咲良、二人が小学五年生の時のことだった。
咲良にはクラスに想いを寄せている男子生徒がいた。咲良は毎日のように椿姫にその男子の話をしており、椿姫も恋する親友をずっと応援していた。
しかしある日の席替えで、咲良の想い人と椿姫が隣の席になってしまった。
「いいなぁ~椿姫、小鳥遊くんの隣でしょ? 席交換してよ~!」
「出来るなら私もそうしてあげたいよ」
「分かってるって、くじで決まった席を交換しちゃいけない決まりだもんね。先生うるさいもん。じゃあじゃあ! 小鳥遊くんの好きなものとか、好きな食べ物とか、色々聞いてよ! 情報流して!」
「うん、分かった!」
そうして椿姫は機会を窺っては小鳥遊の情報を聞き出し、咲良に話していた。
そんなある日のことだった。
「それでね、小鳥遊くん甘いものが好きなんだって! 咲良ちゃんお菓子作り得意だったよね? 今度小鳥遊くんに」
「椿姫」
咲良はぴしゃりと冷たい声で椿姫の言葉を制した。
「椿姫、それもういいや」
「え?」
「小鳥遊くんのこと訊くの」
咲良の言葉に、椿姫は訳が分からす目を瞬かせた。
「え? どうして? だって咲良ちゃん、小鳥遊くんのことが好きって……」
「もういいの!!」
椿姫の言葉尻に被せるように、咲良が大声を出す。親友の大声に驚いた椿姫は、目を丸くして口を閉ざした。
「ねえ、椿姫は小鳥遊くんに興味ないんだよね?」
「も、もちろん! だって小鳥遊くんは咲良ちゃんの想い人で……」
「じゃあなんで小鳥遊くんは椿姫のことが好きなわけ!?」
「えっ……?」
咲良は椿姫を睨みつけるように見つめる。
「小鳥遊くん、椿姫のことが好きなんだって。私に相談してきたの。私が椿姫と仲が良いから、手を貸してくれないかって」
「そんな……」
「小鳥遊くんすっごく嬉しそうだった。椿姫がたくさん話し掛けてくれて、嬉しそうにしてくれるって。椿姫のこと可愛いって言ってた」
椿姫はここでようやく、自分のしてしまったことに気が付いた。
幼い頃というのは単純なもので、たくさん話して楽しい時間を過ごしていれば、その相手を簡単に好きになってしまう。椿姫はもうすでに周りから美人だと言われていたし、椿姫を気に掛ける男子も多かったのだ。小鳥遊も例に漏れず、椿姫が話し掛けて来ることで自分が好かれていると勘違いしたのだ。
「で、でもそれは咲良ちゃんが、」
「そこまでしてほしいなんて言ってないよ!! まさか椿姫、私から好きな人取ろうとか思ってたわけじゃないよね? どうせ私の恋なんて叶わないって心の中では馬鹿にしてた?」
「そんなわけ……」
「もういいよ……どうせ私は椿姫みたいに美人じゃないし、最初から叶わない恋だったんだよ……」
そう言って咲良は椿姫を残して先に帰ってしまった。
一人残された椿姫はその場に呆然と立ち尽くした。
(ど、どうしようどうしよう! そんなつもりじゃなかったのに……)
小学生の椿姫は必死に考えた。
咲良に謝らなくては。小鳥遊の誤解を解かなくては。
しかしその行動が、また二人の友情を壊すことになるのだった。




