第66話 球技大会開始
三者面談週間が終わった金曜日の朝。空は梅雨にしては相変わらず晴れ過ぎており、早朝からじめじめと蒸し暑かった。この気温では、学校に着く頃には汗だくになっていそうだと、涼は溜息をつきながら自転車へと跨る。
「……よし、行くか」
勢いよく自転車のペダルを踏み込むと、微かな風が髪を揺らした。
今日はいよいよ球技大会である。
涼は球技委員のため、自身の競技参加だけでなく、他クラスの審判を務めることになっている。前日の準備や、その前の備品の確認など多くはなかったがそれらの仕事も今日の大会の片付けをもってようやく解放される。椿姫のおかげで負担なく委員の仕事をこなせたとはいえ、普段と違うことをするというのはやや気が重いものだ。しかしそれも今日でようやく終わる。
涼が二年Ⅾ組の教室へと足を踏み入れると、早くも大半の生徒が登校しており、普段よりも一際賑やかであった。すでに体操着やジャージに着替えている生徒も多い。
教室後方の席に集まっていた女子の一人が、そのちょこんと結われた小さなツインテールを揺らして涼に手を挙げた。
「おっ! 藤沢っち来たー! おはよっ、おはよっ!」
手をぶんぶんと振りまわしながら涼を呼ぶのは、クラスメイトの心海だった。
朝からハイテンションでパワフルな心海に圧倒されながらも、涼は軽く手を挙げる。
「ああ、おはよう」
「藤沢っち! 見てみて!」
心海に促され、涼は心海の視線の先を追う。
「じゃあーんっ! 二人共、可愛いでしょ~!?」
そこには、いつもと髪型の違う、澪と椿姫がいた。
「涼、おはよう!」
明るい笑顔を浮かべた澪は、ミディアムヘアを三つ編みで結い、後ろでお団子にしてまとめ上げている。
「おはようございます、涼くん!」
品よく微笑む椿姫の艶やかな長い黒髪はサイドで編み込まれており、高い位置で結われたポニーテールは毛先がくるんと巻かれていた。
いつもと違う二人の髪型に、涼は目をぱちくりとさせる。
「どう? 涼? 今日は球技大会だからね! 動きやすいように心海にまとめてもらったの! 可愛いでしょ~?」
澪がむふふんとややドヤ顔の混ざった笑顔を向けて来る。椿姫も少し照れたように口を開いた。
「こういうヘアアレンジは初めてだったのですが、似合うでしょうか……?」
「どう?」「どうですか?」と二人から詰め寄られ、涼は少し後退った。
「ええっと……二人共、よく似合ってると思うぞ」
女子に感想を求められ、素直に可愛いなどと言えない涼は、自身の言葉を恥ずかしく思いながらも精一杯伝える。その言葉に澪と椿姫は同じように少し頬を赤らめながら嬉しそうに笑った。
「ありがとっ!」
「ありがとうございます」
「あ、そうだ! 心海も、ヘアアレンジしてあげるね!」
「えっ! まじ!? ありがとう~澪っち! お願いしちゃうっ!」
澪が心海のヘアアレンジをしているのをなんとはなしに見ている涼に、椿姫が声を掛ける。
「いよいよ、球技大会ですね。委員のお仕事ももうひと踏ん張りです。頑張りましょうっ!」
「ああ、そうだな。今日もよろしく」
「はいっ! こちらこそ!」
涼と椿姫が静かに気合を入れていると、背中に痛いほどの視線が突き刺さる。
クラスメイトは涼と椿姫が球技委員のため一緒にいることが多くなっていることに大分慣れたのか、二人が一緒にいても然程気にする人もいなくなったのだが、ただ一人、とある少女だけは二人をずっと睨みつけていた。
その視線に涼が振り返ると、ロングヘアをハーフアップに結った彼女は、ふいっとあからさまに視線を逸らす。
(はぁ……、また溝口か……)
涼は小さく溜息を零す。彼女の意図は全く分からないが、余程涼が気に喰わないと見えた。しかし今のところ涼に対して何かアクションがあるわけでもない。気になりはするものの、相手が何かしてこない限り、涼は特に関わるつもりはなかった。
やれやれと思いながら視線を椿姫に戻すと、椿姫はぎゅっと胸の前で手を握りしめていた。
その表情は何かに怯えているような、不安そうなものだった。
「椿姫さん……?」
涼が椿姫に尋ねようと口を開きかけると、太陽のように明るい声が教室に飛び込んでくる。
「はよーっす! みんな来るの早くね?」
皐月である。相変わらず派手な金色の髪を揺らしながら、爽やかな笑顔を浮かべる。
皐月は脊髄反射で見たものをそのまま口にした。
「おっ! 澪ちんもつばきちもヘアアレンジしてるんか! すげー可愛いな!」
にこっと素直な感想を口にするイケメンに、普通の女子なら少しはドキッとしそうなものだが、澪と椿姫は冷静に返答した。
「ん、あんがと」
「辻堂くん、ありがとうございます。心海さんにやってもらったんです」
椿姫の言葉にヘアアレンジを終えたばかりの心海に、皐月が視線を向ける。心海も小さく結ったツインテールを三つ編みにし、ゆるくまとめあげていた。
「へえ! 岬さん、ヘアアレンジ得意なんだな! その髪型も可愛いな!」
よく恥ずかしげもなく可愛いだの似合っているだの平気で口に出来るものだと、涼がイケメン親友を尊敬していると、心海の上擦った声が聞こえ、みなの視線が一気に心海に集まった。
「ひゃえっ!? か、か、可愛い!?!?」
見ると心海は信じられないくらいに顔を真っ赤にしていた。
(……ん????)
涼、澪、椿姫の頭上に同じようにはてなマークが浮かんだ。
普通の女子なら男子に、ことイケメンである皐月に可愛いと言われればこの反応なのかもしれないが、心海に関して言うならば正直この反応は少し予想外だった。
「朝から楽しそうだね」
そこにちょうど佐久間がやって来て、みなの意識は佐久間に移った。
そうして談笑しているうちに朝のSHRの時間になり、涼達は球技大会の準備へと向かう。
涼は先程の椿姫の表情が忘れられなかった。
(もしかして溝口が睨んでいるのは俺じゃなくて、椿姫さんなのか……?)




