第65話 side 澪
ふと澪が目を覚ますと外が明るくなり始めていた。
美容と健康のため毎日たっぷり睡眠を取っている澪だが、今日は何故だかその比にならないほど質の良い睡眠を取れたような気がした。
「あれ……? ここどこ……?」
いつも一緒に寝ているたぬきのぬいぐるみがないどころか、あちこちに飾っているぬいぐるみもない。壁に本棚があり綺麗に文庫本が並んでいる。テレビの前にゲーム機とそのパッケージが並んでいるが、自分の部屋の様に一緒に可愛い小物は並んでいない。簡素で無駄のないシックな部屋だった。
澪はそこでようやく意識が覚醒した。
「りょっ、涼の部屋!?」
見たことのないネグリジェ姿で肩から紐がずれ落ちはだけている。そんな澪に掛けられていたのは涼の部屋で見たことのある紺色の布団だった。
「え、待って……、私達、もしかして……」
自分の身体をぺたぺたと触ってみる。肌を見てみても、特に痣などもなく綺麗なままだった。
ほっとしたような残念なような複雑な一息をついた澪は、少し冷静になって昨晩のことを思い返してみる。
(え、えっと、確か……。涼の家に押しかけて、強引に潔癖症の克服練習をして……)
靄が掛かったように感じていた脳内が次第にはっきりしてくる。
涼と椿姫が抱き合っていると勘違いした自分が、嫉妬に狂って涼の家に押しかけたこと。ドキドキさせたくて大胆なネグリジェを着て来たこと。涼は平然と自分の手を触るのに、自分だけがドキドキさせられていること。何もかもが気に喰わなくて、澪は涼の腕の中に飛び込んだこと……。
(そ、それから、えっと……? 私、……もしかして寝た!?!?)
その先の記憶がない。確かに来た時から眠気はあったが、どうしても今日聞かなくてはと思い、涼の家へとやってきたのだ。椿姫にばかりドキドキしてほしくないと思い、買って放置していたセクシーなネグリジェを着て来たのだ。
椿姫の件はどうやら澪の勘違いであったようだが、澪から見たら、涼と椿姫は実にお似合いに見え、澪は焦った。このままでは、涼を椿姫に取れらてしまう、と。
「椿姫ちゃんみたいに頭も良くないし、美人で大人でもないけど、でも、でも……っ」
澪はぎゅっと自身の手を握りしめる。
「私は、涼が好き……」
胸が締め付けられるように苦しかった。
涼を見る椿姫の表情は、その他の人に向ける表情とは全く違う。
人と関わるのが苦手な椿姫が、絶対的な信頼感と安心感を涼に寄せている。それがいつ恋心に変わっても可笑しくないと、澪はずっと思っている。
(椿姫ちゃんは大事な友達。でももし、涼のことが好きだったら……)
その時自分は、どうなってしまうのだろうか。どうしたらいいのだろうか。考えるだけで苦しかった。
澪は辺りを見回す。そこに涼の姿はない。澪が涼のベッドで寝てしまったことで、リビングのソファか何かで寝ることにしたのだろう。
澪はゆっくりと涼の部屋から出る。薄暗い廊下から静かに階段を降りて、リビングへと向かうと、やはり涼はリビングのソファで肌掛けを掛けて眠っていた。
澪は静かに眠る大好きな幼馴染を見下ろすと、顔の傍にしゃがみ込む。そうして小さく呟いた。
「……こんなに可愛い幼馴染が自分のベッドで寝てるのに、手を出さないなんて何事かっ」
頬を膨らませながら文句を口にしても、涼が起きる気配はなかった。
「このまま、……キスしちゃうぞ~?」
眠る涼に顔を近付けると、自身の鼓動がうるさいくらいに脈打っているのが分かる。
(また私ばっかりドキドキしてる……。ずるいよ、涼……)
はぁ……と小さく溜息をついて、澪は涼から離れた。
「……涼、潔癖症さよなら大作戦の十個目の項目、空欄だったの覚えてる? あれはね、実はもう最初から決まってたんだ」
涼にコピペして項目を渡したとき、最後の項目はわざと空欄にした。まだ考えていないと、誤魔化した。けれど澪の中ではとっくに決まっていたのだ。
「潔癖症さよなら大作戦、最後の克服練習項目はね……」
澪は涼の耳元で小さく呟く。
「他人とキスをする……、だよ」
それが自分なのか、椿姫なのかは分からない。
小さく鳥のさえずりが聞こえ始める。白んでいく窓の外の空を見ながら澪は、自分の気持ちなど知らずに呑気に眠る幼馴染に小さく呟いた。
「……涼、これからはもっとドキドキさせるからね?」




