第59話 side 澪
昼の煌々とした少し蒸し暑い日差しを受けながら、涼と澪は並んで帰路に就いていた。歩を進める度、じっとりとした汗が背中を伝う。
「もう夏じゃん! 梅雨どこ行ったんだろ~?」
涼の押す自転車の横に並んで歩きながら、澪は思わず不満を口にする。
「ちょうど日が高い時間だからな、さすがに六月ともなるとこの時間は暑いな」
いつもは涼しい顔をしている涼でさえ日差しを恨むように目を細めていた。
そんな涼の横顔を澪は彼に気が付かれないよう、ちらちらと見続けていた。
(なんでそんなに平然としていられるの!? さっきまであんなことしてたのに!?)
あんなこと、とは潔癖症の克服練習に分厚い手袋の上から手を握り合っただけである。
ただそれだけのことだと言うのに、澪の心臓はずっとばくばく言いっぱなしだった。
(手袋の上からとは言え、涼の手に触れたのなんて何年ぶりだったんだろう?)
涼が潔癖症になったのは小学五年生の時だ。以来涼に触れたことは一度もない。
澪が考えた潔癖症克服練習なのだから、もちろん触れる練習も組み込んでいたし、それは澪が涼との幼馴染という関係を変えるためには必要不可欠なことだとも考えていた。
しかし少しでも自分を意識してもらおうと思っていた澪は、意識させるどころか逆に自分が思い切り意識させられ酷く動揺したのである。
(涼の手の感触はもちろん分からなかったけど、でも、手袋越しであったとしても涼が私の手を握ってくれた……)
澪は無意識のうちに触れられた手をぎゅっと胸元で握りしめる。
嬉しい、と思いながらも澪は自身の奥底に隠していた気持ちに否応なしに気付かされた。
(……私、涼に触ってほしいんだ……。涼に、触れられたい……)
それはずっと願ってはいけないと思っていたことだった。
潔癖症の涼に無理は言えない。涼の心が傷付くくらいなら、自分の気持ちなんてどうでもいい。ずっとそう思って澪は生きてきた。
しかし、涼と潔癖症の克服練習を始め、涼が前向きになってからというもの、澪も自分の気持ちが抑えられなくなってきたのだ。
もしかしたら触れ合える日が来るかもしれない。そう思うだけで頬は火照り心臓はうるさいくらいに高鳴る。
(触られたい、なんてちょっとえっちすぎるかな!? 涼にむっつりだとか言ってたけど、もしかして私の方がむっつり、いやもう普通にえっちかも!?)
これが普通の女子高生が抱く感情なのか、澪にはいまいち分からない。
澪にとって涼が初恋であり、その全ての感情が初めてなのだ。
自転車を押す涼をじっと見つめる澪。
日差しが強く暑いため、校内で羽織っていた紺色のカーディガンはなくワイシャツ一枚に袖は肘の辺りまで捲っている。涼は運動部ではないがその腕は男らしく骨ばっていて筋肉もそこそこついているように見えた。
澪の喉が自然とごくりと鳴る。
(この腕で抱きしめられたらどんな感じなんだろう……? きっと涼のことだからいい匂いがして穏やかな気持ちになって、それから、それから……)
その先を妄想しそうになった澪は、思わず声を上げる。
「わあああああっ!!!!」
急に隣を歩いていた澪からの奇声に、涼は心底驚いたように目を丸くした。
「どうしたんだ急に!?」
「なっ、なんでもないの!」
「そんなに叫んでおいて、なんでもないことがあるのか……?」と涼は小さく呟きながら自転車を押し続ける。
(私ってば何考えてるんだこのえっち! すけべ! 処女! 妄想がすぎるぞっ! でもでも……!)
と澪は、今後あるかもしれない二人の未来へと想いを馳せる。
(もしかしたら、そんな未来が来るかもしれないんだ……)
涼が潔癖症を克服し、澪に触れられるようになって、そうして、恋人になれるかもしれない未来が。
澪は改めて気合を入れ直す。
(その未来を掴むためにも! これからも頑張らなくちゃ! 涼の潔癖症をばっちりなくして、告白……するっ!)
何故かそこでちらりと、椿姫の顔が脳裏に浮かんだ。
(……椿姫ちゃんは……違うよね……? 恋のライバルなんかじゃない、よね……?)
生暖かい風が吹き抜けて通りに植えられた花を揺らす。ふわっと風に乗って甘い花の香りがした。




