第58話 挙動不審な幼馴染
澪の差し出した手はもふもふのたぬきの顔で覆われている。指も分かれていないため、どこから触ってもいいと言われても、涼は困ってしまった。
(まずは軽く指先に触れてみようかと思ったんだが、これは一体どこが指先なんだ?)
涼は紺色の毛糸に包まれた手で、ちょんとたぬきの耳に触れる。
すると澪が、くすくすと笑い出す。
「涼、そこに指はないよ? たぬきちゃんの耳は飾りだから!」
「うるさい、分かってる」
むふふっと笑う澪は可愛いが、今はそれよりも澪の手だけに集中しなくてはならない。
涼は再びたぬきを見つめる。
そうして指先でちょこんとたぬきの顔に触れる。恐らく澪の指があるであろう位置なのだが、当然手袋の生地が厚すぎて澪の指に触れている感覚は全くなかった。
だというのに、そこに澪の手があると思うだけで、何故だかやたらと心音がうるさい。
昼飯を終えたのか、部活動も始まって渡り廊下の方からトランペットの音が聞こえてくる。校庭からは運動部の掛け声も聞こえ、校内は賑やかな音に包まれていた。
しかし涼と澪のいる教室だけは、時計の針の音がやたらと大きく聞こえ、自身の心音が相手に聞こえてしまうのではないかと言う程にしんとしているような気さえした。
「……どう?」
澪が小さく尋ねる。涼は少し肩の力を抜くと、正直に答える。
「なんて言うか、手袋の感触しか分からないな……」
「あははっ、だよねっ。私もそう! もふもふは分かるんだけどっ」
澪の笑い声にぴんと張り詰めていた緊張感のようなものが消え、いつもの和やかな空気が流れる。
「でも涼は、冬の手袋ごしなら、人に触れるってことだよね」
「まあ、そうだな。これが人に触れた、というカウントになるのか微妙だが」
「これは余裕すぎたかぁ……」とたぬきの顔を顎に当てた澪は、「じゃあさっ!」と新たな提案を口にする。
「今度は私から触ってみてもいいかな?」
「え……ああ、別にいいけど……」
手袋の感触しか分からないのだから、恐らく先程と何も変わらないだろう。
そう思い、涼は簡単に承諾したのだが……。
ぎゅっ。
澪は涼の紺の手袋をたぬきで優しく包み込む。
するとお互いの体温など感じるはずもないのに、何故だか手から澪の優しい気持ちを感じるような気がした。温かく穏やかで慈愛に満ち溢れたような澪の微笑みが、また涼の心音を乱す。
(澪の手の感触なんて、全く分からないのにどうして……)
心が温かくなって、それと同時にどくどくと鼓動が早くなる。
「涼、どう? 相変わらず大丈夫そう?」
(……いつか直接、触れられるようになったら、その時は……)
涼は紺色の手袋を付けた手で、たぬきの顔で覆われた澪の手をぎゅっと握り返す。
「……ぁ……っ」
澪が驚いたように目を見開いたことにも気が付かず、涼はそのまま澪の手を握り続けた。
握っていた時間は一分に満たなかったはずだが、澪は辛抱ならないといった様子で叫んだ。
「りょ、涼っ! そ、そろそろ暑くなってきたし、終わりにしよっか!?」
「え、あ、悪い、そうだな」
涼はぱっと澪の手を離す。澪の顔は何故か真っ赤になっていて、それを隠すようにたぬきの手袋で頬を覆った。
「大丈夫か? 夏に冬の手袋なんて暑かったよな。悪い、時間取らせて」
「あ、ううん! 全然!? 私が提案したんだし!? と、とにかく上手くいってよかったよ!?」
急に慌てふためく澪に涼は訝し気な表情で尋ねる。
「澪?」
「ん!? なあにっ!? きょ、今日のところは帰ろっか!?」
澪はそそくさと手袋をスクール鞄にしまうと、席を立つ。
「さ、さあ! 帰ろうっ!」
「早く! 早く!」と澪に急かされ、涼も慌てて帰り支度を済ませ鞄を肩に背負う。
いつもなら、今日の潔癖症克服練習で感じた気持ちや、今後についての話をしてから解散することが多いのだが、今日の澪は何故だかそれをせず足早に教室を出て行ってしまった。
「別に俺と握手するのが嫌だった、とかじゃないよな?」
澪はいつも「嫌なわけないよ!」と涼の心を軽くする言葉をくれている。ここまで克服練習を手伝ってくれていながら、今更涼に触れられるのが嫌とは言わないと信じたいが……。
「……澪って時々何を考えているか分からん……」




