第57話 触れたい気持ちともこもこ手袋
潔癖症の克服練習を行うのは実にゴールデンウィークぶりのことである。日数にして一か月ほど行えていなかったのが現状だ。
ゴールデンウィークが明けてすぐに中間テスト期間になってしまったこともあり、涼は球技委員、澪はお菓子作り部となかな予定が合わずに今日まできてしまった。
「最近はどうかな?」
澪は手に嵌めた手袋のたぬきをぱくぱくと動かしながら涼に尋ねる。
「大分除菌は減らせてるよ」
澪と克服練習を出来ない間も、涼は除菌を減らすことに成功していたし、椿姫の家にも遊びに行っている。以前のように何かするたびに除菌液や除菌ウェットティッシュが必要ということも少なくなってきており成果は上々と言えた。
除菌を心の安定剤としていた涼にとって、球技委員に選ばれてしまったことは予想外だったが、それ以外特に心も安定しており、除菌に頼ることも少なくなっていた。
涼が一度、潔癖症の克服を諦めようとした時に澪から言われた言葉。
『何度立ち止まったっていいじゃん! その度に少しだけ休憩して、また歩き出せばいいよ!』
それが涼の中でお守りのようになっており、その言葉のおかげで気楽に克服練習に取り組むことが出来るようになった。たまには過度に除菌してしまってもいい。振り出しに戻るわけではない。そう自分に言い聞かせる。
潔癖症の克服には、認知を正すことも必要なのだ。過去に囚われてばかりではなく、今こうして幼馴染の澪と共に過ごせる時間を、涼は大切にしたいと思っている。
「涼、大丈夫?」
「え?」
「久しぶりだから、緊張してる? 駄目だよ~! リラックスリラックス~」
澪はこうしていつも涼の心を気にしてくれている。しかし涼はもうちょっとやそっとのことでは挫けないと心に誓たのだ。目の前の大好きな幼馴染のために。
「澪、大丈夫だ。少し今までのことを思い返していただけだ。きっと今日も、上手くいく」
涼のポジティブな言葉に、澪はにっこりと口角を上げ目を輝かせる。
「うんっ! 今日も絶対上手くいくよ! よしっ! じゃあさっそくやってみよう!」
「ああ」
机を元の位置に戻し、椅子だけを向かい合わせで置く。そこに涼と澪は腰を下ろした。
「なんかこうやって向かい合って座るの、ちょっと照れくさいかも……」
「まぁ、そうだな……」
膝を突き合わせて座っているわけだが、視界に澪しかいないと思うとやたらと緊張してくる。
さらさらのミディアムヘアに、桜色のカーディガンを羽織っていても分かる二つの双丘。手足には程よく肉が付いており抱き心地の良さそうな身体付き。窓から入って来る風が、髪を揺らし同時に桃のような甘い香りが鼻腔を擽る。
涼はぱっと澪から視線を外し、己の両手に嵌められた紺の手袋に視線を落とす。
(澪と二人きりの状況なんて今まで山のようにあったのに、どうしてこんなにも落ち着かないんだ……)
心臓がどくどくとうるさい。自分が緊張していること、澪にドキドキしていることを嫌でも思い知らされる。
顔を上げれば何故か澪の頬も紅潮していて、天真爛漫な澪のしおらしい様子にまたドキッとさせられる。
(なんでお前までそんな顔してるんだよ……)
涼は雑念を振り払うように、わざとらしく喉の調子を整えた。
「で、何をしたらいいんだ?」
涼の言葉に、はっと我に返ったような澪は慌てて説明を始める。
「あ、うん! 今日取り組むのはね、この前も話したんだけど、潔癖症克服練習の八つ目の項目、
・他人に触れる
を細分化したものです!」
「細分化?」
「急に直接人に触るって言うのは、ハードルが高いよね? って話は前にもしたと思うんだけど、この項目を三つに分けてみたの。
①もこもこ冬手袋
②UVカット用手袋
③極薄ストッキング手袋
って感じで、段階を踏んで手袋を薄くしていって、最終的に直接手に触れる、握手するって感じ! 九つ目の項目、
・他人と手を繋ぐ
も自然とクリア出来るようになってるといいな、って!」
「なるほどな」
涼の負担にならないよう考えてきてくれた澪の案は、涼としてはかなり気持ちが楽になるものだった。涼にとって誰かに触れることが一番のトラウマにもなっている。急に澪の手に触れろと言われても難しいが、これなら段階を踏んで少しずつ慣れて行けるような気がする。
澪が涼を拒否しないことくらい十二分に理解してはいるのだが、本当のところ涼は少し不安だった。過去のトラウマもそうだが、最近の懸念点はもう一つ。
(このまま順調に克服練習が上手くいって、澪と手を繋げるようになって、触れられるようになってしまったら……)
その先は、どうなってしまうのだろう?
涼と澪の関係はどうなってしまうのだろうか?
今までのように幼馴染のままでいられるのか、それとも二人の関係は変わってしまうのか。
潔癖症の克服練習が進むにつれ、涼は少しずつ過去のトラウマよりも、近い将来壊れてしまうかもしれない澪との関係の方が不安だった。
(俺は澪が好きだし、触れたいとも思っている。が、澪が俺をどう思っているのかは分からない。それに、一度澪に触れてしまったら我慢出来る気がしない……)
やっぱり自分はむっつりスケベなのだろうかと、涼は内心で大きなため息をついた。
「涼、大丈夫そう?」
「え? ああ、もちろん。考えてきてくれてありがとうな」
「どういたしましてっ!」
澪はごくりと喉を鳴らすと、たぬきに覆われた手を涼の方へと差し出した。
「……じゃあ、はい! どこからでも、触っていいから!」




