第52話 side 椿姫
『涼と一緒にいたい』
それは友人としてもっと仲良くなりたいからだと、学校でも話したばかりだった。
椿姫のその気持ちは、涼にも分かる。
椿姫には涼と友人関係になるまで親しい友人がいなかった。高校に入学して初めてできた友人が、涼だったのだ。椿姫にとって涼は、価値観も近く雰囲気も近い貴重な友人だった。
だからこそ、もっと仲良くなりたい。一緒に時間を過ごしたい。
そう強く思うのだと、椿姫自身も信じて疑わなかった。
(涼くんと一緒にいるのはとても心地いいです。涼くんは聡明な方で、優しくて傍にいると落ち着きます。でも……)
抹茶のロールケーキに目を輝かせて、ぱくっと頬張る涼の姿に椿姫は自然と笑みが零れる。
(涼くんと一緒にいると、心がぽかぽかして、でもそれと同時になんだか……)
いつもより少しだけ早く動く自身の胸に、椿姫は手を当てる。
「うん、うまい」
涼の言葉に、椿姫はほっと胸を撫で下ろす。
「……よかったぁ、取り寄せた甲斐がありました!」
「え?」
「へっ?」
気が緩んだ椿姫は、自分が余計なことを言ってしまったことに気が付く。
「取り寄せた? わざわざどこかから取り寄せたのか?」
首を傾げる涼に、椿姫は白状せざるを得なかった。
「どうしても、涼くんと一緒に過ごしたかったから……、その、涼くんを家に呼ぶ口実を作りたくて、有名なお抹茶屋さんから取り寄せたんです……」
涼の好きな抹茶で気を引いて家に呼ぶなんて、卑怯だと思われるだろうか。素直に一緒にいたいからお家に来て、と言えたらどんなに良かっただろうか。
(きっと、澪ちゃんなら簡単に言えるのでしょうね……)
明るくてはきはきと自分の気持ちを口に出せる澪なら、きっとストレートに想いを口にする。
しかし、椿姫は澪には決してなれない。明るくもなれないし、気さくにもなれない。ましてや涼の幼馴染になんてなれないのだ。
(いいな、幼馴染。私も涼くんの幼馴染なら、もっと傍にいられるのに……)
「椿姫さん」
涼の声に、椿姫ははっとして顔を上げる。
呆れられているかと思われた涼の表情はしかし、柔らかいものだった。
「わざわざケーキを取り寄せてくれて嬉しいが、無理はしなくていいよ」
「はい……」
「さっきも椿姫さんが言ってただろ? 友達なんだから気楽に来てくれていいって。それなら俺も一緒だ。椿姫さんも友達なんだから、気を遣わなくていいしもてなさなくてもいい。俺も気楽に来て、気楽に過ごさせてもらうよ。友人って、そういうもんだろ?」
涼の言葉に、椿姫の心がふっと軽くなる。
「澪と皐月なんか、自分の家かってくらいずかずか上がってくるぞ?」と涼は苦笑しながら話す。
「さあ、食べよう。せっかく淹れてくれたほうじ茶も冷めちゃうしな」
涼はこの話は終わりだ、と言わんばかりにほうじ茶の入った湯呑に口を付け、また抹茶のロールケーキに視線を落とす。
椿姫は、その様子を目を瞬かせながら見ていた。
「……涼くん……呆れていないのですか? 私がこんな幼稚なやり方でお家に誘ったこと……」
涼はフォークを置くと、椿姫を見据える。
「どうして呆れるんだ? 椿姫さんは俺ともっと仲良くなりたかったんだろ? だから俺を家に呼んだ。でも呼び方が分からなくてその手段にケーキを使った。それだけのことだ。俺はそんなことで椿姫さんを嫌いになったりしない。そんなふうに思ってくれて、俺もまぁ、結構嬉しいしな」
涼の柔らかい笑みに、椿姫の胸がぎゅっと痛む。
(そっか……涼くんは私のこと、もう分かっているんですね……)
椿姫が友人関係に奥手であること、一歩踏み出す勇気が出ず、涼以外の友人がいないこと。
最近は涼のおかげで、澪や皐月、心海など仲良くなりたい人が増えた。しかしやはりそれでも椿姫にとって涼は特別なのだ。
中学三年生のあの日から、ずっと気に掛けていた男の子なのだから。
目の前に座る涼の表情は、本当に何も気にしていないように相変わらずクールなもので、椿姫はどうしてか話してみようと思った。
(涼くんならきっと、こんな弱い私でも受け入れてくれる)
椿姫は自身が抱えてきた友人関係についての悩みを、涼に打ち明けてみようと思った。
何か解決してほしいわけではない。ただただ聞いてほしい、それだけだった。
「りょ、涼くんっ、あのっ……!」
椿姫が身を乗り出すと、ガタンと机が大きく揺れ、ほうじ茶の入った湯呑が引っくり返った。
机の上で倒れた湯呑から零れたほうじ茶は、そのまま机を伝って涼の制服のズボンに染みをつくる。
椿姫の顔からは血の気が引き、真っ青になった。
「ひゃああっ! ごごごごめんなさいっ! 大丈夫ですかっ!? 熱くないですか!?」
目を丸くしていた涼は、「ああ、大丈夫だよ、熱くもない」と平然と返答し、自身の鞄からタオルを取り出そうと手を伸ばす。
椿姫は慌てて箪笥から真っ白なタオルを取り出すと、涼の元へと駆け寄る。
「本当にごめんなさいっ!!」
濡れてしまったズボンを、涼に触れないよう、ぽんぽんと軽く叩く。
「椿姫さん、本当に大丈夫だから。自分でできるし」
涼の戸惑ったような声が聞こえたが、椿姫はそれどころではなかった。
(ああああ、私はなんてことをしてしまったのでしょう!? 涼くんは潔癖症なのに、そのズボンを汚してしまうなんて……っ)
「椿姫さん、」
混乱する椿姫は、涼のズボンをぽんぽんと叩き続ける。
「……っ、椿姫さんっ!」
はっとした椿姫は、涼の声に思わず顔を上げる。すると、涼と至近距離で目が合った。
「え……?」
慌てていたせいで、椿姫は涼に近付き過ぎていたのだ。
あと少し、身を乗り出すだけで互いの唇が触れてしまいそうな距離で、二人の視線が絡み合う。
その瞬間、椿姫の心臓がどくどくと走ったあとのように脈打ち始める。涼の顔を直視し、頬が熱くなる。
「あっ、あ、の……っ」
椿姫は勝手に脳内に流れ出した映像に、パニックになって後退る。
「すすすすすすみませんっ!?!?」
「ああ、いや、大丈夫……」
椿姫が離れたおかげで、涼もほっとしたように胸を撫で下ろした。
「タオル、借りていいか?」
「は、はいっ! どうぞっ!」
震える手で椿姫は涼にタオルを渡す。涼は特段気にした様子もなく、引き続き自身のズボンにタオルを当てていた。
(……私、今、何を考えていたのでしょうか……?)
涼と至近距離で目が合った時、椿姫の脳内に流れた映像、それは涼と椿姫がそのまま唇を重ね合わせるというもので……。
(私、なんでそんな想像を……っ)
ドキドキと胸が高鳴る。
ふと涼に視線を向けると、涼も顔を上げて椿姫を見る。またドキッと椿姫の胸が高鳴った。
自らのズボンをぽんぽんと叩き笑って見せる涼。
「大丈夫、染みになってないよ」
そんな涼の笑顔に、また椿姫の心臓は忙しなく動き始める。
(涼くんに抱くこの感情は、きっと…………)
薄々感じていたことだった。
涼とこんなにも一緒にいたいのは何故なのか。どうしてもっと仲良くなりたいと願うのか。
(私、涼くんに、恋してるんだ……)
それはきっと、あの夏の日から。
どくどくと鬱陶しいほどに感じていた脈動の答えは、至極単純なものだった。
しかし、椿姫は自身の中に生まれた初めての気持ちに困惑する。
(恋って、どうしたらいいのですか……?)




