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(第二部完結) 潔癖症の俺は、どうしても彼女に触れたい  作者: 四条 葵 


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第51話 うちに来ませんか?


 花屋の前のT字路を、涼は自転車を押しながら椿姫の横を歩いて渡った。

 左手にある小学校からは校庭で遊ぶ小学生達の賑やかな声が聞こえてくる。同じ制服を着た生徒が、涼と椿姫の横を自転車で通りすぎる。

 二人は同じ家を目指して、並んで歩いていた。


 椿姫に「うちに来ないか」と誘われた涼は、一瞬固まった。


 潔癖症である涼は、澪とその克服練習をする中でお互いの家を行き来する練習もしていた。しかし、澪以外の友人の家に行くのは、酷く久しぶりのことである。

 まさか椿姫が今更涼が家に上がることを嫌がるとは思えないが、自分なんかが椿姫の家に行ってもいいのかと、逡巡したのだ。

 そんな涼を見た椿姫は慌てて言葉を付け足す。


「涼くんの潔癖症は理解していると思います。他人のお家に上がるのが苦手なのも分かってはいるのですが……。その、辻利の美味しい抹茶のロールケーキが手に入ったのです!」

「え、抹茶のロールケーキ?」

「はい! 涼くん、お好きでしたよね? 結構な量があるので良かったら一緒に食べないかなって。今日は四限上がりで委員会でしたし、お腹も空いてますよね? お昼ご飯のあとに一緒にどうかなっと思いまして」


 「だめ、でしょうか……」と椿姫は涼を上目遣いで窺うように見てくる。その可憐で妖艶な姿に、涼は一瞬「うっ」と言葉に詰まる。

 涼はふと思い出す。入学当初、男子の八割が椿姫に恋に落ちたという話を。


(確かにこんなに綺麗で、物腰も柔らかで優しいのだから誰しもが恋に落ちてしまうだろうな……)


 幼馴染の澪に恋心を抱いている涼であっても、さすがにドキッとしてしまう。

 しかしそれは涼を大切な友人だと思ってくれている椿姫に対して失礼だと、涼は雑念を払うように首を横に振った。不規則に動いていた心臓を落ち着けるように大きく息を吸う。


「……椿姫さんがいいなら、お邪魔させてもらおうかな」


 潔癖症の克服練習をするいい機会でもある。椿姫が涼を汚いと拒否しないのならば、涼に断る理由はなかった。

 涼の返答に、椿姫はぱああっと花が咲くかのように満面の笑みを浮かべた。


「ありがとうございますっ!」

「いや、こちらこそ、お邪魔します……」



 そんなわけで、涼と椿姫は北白河家を目指してのんびりと歩いていた。

 高校から四十分ほど歩くと、閑静な住宅街に入る。高校周辺も住宅しかないが、更に何もない住宅が立ち並ぶ区画である。左手は高い塀が続いており、見るものもなく随分と寂しい景色だ。

 そんな塀沿いを歩き続けていると、ふと椿姫が足を止めた。


「到着しました! ここがうちです」

「え?」


 先程まで同じような塀が続いているなと思っていた涼は、椿姫の家の塀だったことを知り正直目玉が飛び出すほどに驚いていた。


(家、でかいな……!)


 涼の家は普通の一軒家だが、その一軒家が六戸は入りそうな大きさだった。椿姫はお金持ちのお嬢様なのだろうことは想像していたが、まさかこれほどとは思わなかったのだ。

 椿姫と一緒に敷居を跨げば、日本庭園が広がっており小さな池まである。


(おお……、見事にお金持ちの日本家屋だ……)


 和風建築のそれは二階建てで、お屋敷と表現するのに相応しい。


(やっぱり椿姫さんは、お金持ちのお嬢様だったんだな)


 立ち居振る舞いや言動から、椿姫がお嬢様であろうことは容易に想像が付いていた。しかし実際目にしてみるとやはり驚愕せざるを得なかった。


「さ、涼くん! どうぞ」


 ガラガラっと木戸のような戸を開けた椿姫に、涼は臆しながらも一歩踏み出す。


「お、お邪魔します……」


 涼は最早自身が潔癖症だとか、椿姫の家の者が不快に思わないかなど、すっかり頭から抜け落ちただただ緊張していた。


(厳格なお母さんとか出てきたらどうするべきだろうか……)


『貴方は椿姫の友人に相応しくないわ!!』などと高飛車で綺麗な母親が出て来てもおかしくない。しかしいつまで経っても誰かが玄関にやってくる気配はなかった。


「涼くん? どうされましたか?」

「あ、いや、そういえば、何の手土産も持たずにお邪魔してしまったな、と……」


 涼の言葉に、椿姫がふふっと笑う。


「そんな気を遣わなくていいんですよ。お友達なのですから、気楽に来てくださればいいんです! それに私が急にお誘いしてしまったのですし」

「そういうものか?」

「はい! あ、うちはいつもお手伝いさんが来て掃除をして下さっているので、綺麗だと思いますが、涼くん、大丈夫そうでしょうか?」


 いつまでも上がらない涼の潔癖症に気を遣ったであろう椿姫は、慌てて言葉を付け足す。涼はそれを打ち消すように首を横に振った。


「ああ、大丈夫だよ。あまりに立派な家でびっくりしてただけだ」

「そうでしたか。庭は比較的広いですが、中はそうでもないですよ?」


 いや絶対広いだろ、と思いつつ、涼は上り框に立った。


 まず椿姫は、涼を洗面台に案内した。涼の潔癖症を考慮してのことでもあるのだろう。澪と克服練習をしているので、急ぎ除菌したくなる事態が起きるとは考えにくいが、有難い事である。


 そして次に案内されたのは、庭が良く見える日当たりの良い和室だった。


「ゆっくりして待っていてください。今お昼ご飯持って来ますね。除菌類もあるので、ご自由に使ってください」

「ああ、ありがとう」


 椿姫はにこっと笑うと、そそくさと屋敷の奥に消える。

 涼は案内された和室に入り、少し辺りを見回してみる。


 夏前の午後の日差しが緩やかに差し込み、心地の良い気候だった。


 室内には、漆黒色のアップライトピアノがあり、その横に楽器ケースが立て掛けられている。大きさからして恐らくヴァイオリンかビオラあたりだろう。その横には本棚があり、文庫本サイズの小説がずらりと並んでいる。勉強机と思しき机には、涼も使っている教科書がいくつか見て取れた。高そうな箪笥の上には、狐のぬいぐるみが置いてある。


 部屋の中央に置かれたローテーブルの前の座布団に腰を下ろした涼は、至って冷静に判断する。


(いや、ここ椿姫さんの部屋か!?)


 畳の上には可愛らしい藤色のカーペットが敷かれており、壁にはドライフラワーが飾られている。

 自分の部屋よりもあまりに広かったので、客室か何かに通されたとばかり思っていた涼は、自分が椿姫の自室に足を踏み入れていたことに酷く驚いてしまった。


(これが普通なのか? 友人同士だからって、平気で男を女子の部屋に案内するものなのか?)


 涼には普通が分からなかった。澪も平然と下着が見えるか見えないかのギリギリの部屋着で涼の部屋に上がり込んでくる。高校生の男女として、もう少し節度のある距離感を保つべきだと、お固く考えているのは涼だけで、世間の男女の友人同士はこんなものなのだろうか? 男子は血迷ったりしないのだろうか?


(もしかして、俺って澪が言う通りムッツリなのだろうか……)


 澪に以前、『涼ってば実はえっち?』と言われたことがあったが、世間の男子の方がよっぽどそうだと涼は思っていた。


 涼の友人と言えば皐月だが、皐月も女子には深く踏み込んだりはしない。澪には冗談なのか場を和ませるためなのか、髪やシャンプーの話はしていたが、性的な話題は当然しない。

 佐久間に至っては何を考えているのか分からないので割愛する。


 そんなことを悶々と考えていると、椿姫が戻って来た。


「お待たせしました、簡単なものですがどうぞ」

「あ、ああ、ありがとう……」


 椿姫が盆に載せて持って来たのは、茶蕎麦だった。まるでお店で出されるかの様な小さなすだれに載った蕎麦と麺つゆを涼の前に置き、その横に麦茶が置かれる。


「このあとケーキを食べるので、お昼は軽いものにしたのですが、お蕎麦大丈夫ですか?」

「もちろん、大好物だ」

「よかったです!」


 椿姫の笑顔に、涼も思わず頬が緩む。椿姫とのこの穏やかな空気感は涼も好ましかった。


 二人で手を合わせて茶蕎麦を啜る。相変わらず品よく口に運ぶ椿姫の姿に、涼も自然と背筋が伸びた。

 そうしてさらっと茶蕎麦を食べ終えた二人は、本日の大本命である抹茶のロールケーキに手を付けた。ロールケーキは長さ十五センチほどあり、それを椿姫が食べやすい大きさに切って皿に盛ってくれた。今度はご丁寧に温かいほうじ茶付きである。


 涼がロールケーキにフォークを刺し入れ、それを口に運ぶ様子を椿姫はじっと見つめていた。


「うん、うまい」


 涼が舌鼓を打つと、椿姫はほっとしたように満面の笑みを浮かべる。


「お口に合ってよかったです!」

「美味しいよ、わざわざ誘ってくれてありがとうな」

「いえいえ! よかったぁ、取り寄せた甲斐がありました!」

「え?」

「へっ?」


 椿姫の聞き捨てならない言葉に、涼は思わず復唱する。


「取り寄せた? わざわざどこかから取り寄せたのか?」


 椿姫は今更自分の失言に気が付いたようで、はっとしたように口元に手を当て、顔を真っ青にしている。そうして観念したように小さく呟いた。


「この抹茶のロールケーキ、涼くんのために取り寄せたんです……」

「俺のため? どうして?」


 椿姫は涼を窺うように上目遣いでこう言った。


「どうしても、涼くんと一緒に過ごしたかったから……」


 それは先程も聞いた話だが、椿姫は何か言いたそうにして、しかしきゅっと口を固く結んでしまった。




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