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潔癖症の俺は、どうしても彼女に触れたい  作者: 四条 葵 


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第38話 過去



 潔癖症になる原因は、心理的要因が大きいとされている。


 もちろんなにかを触ってしまって、それがもとで大きな病気になってしまったということから潔癖になる人もいるのだろうが、涼は、過去のある出来事がその原因だった。


 所謂トラウマとなるそれが涼の身に起きたのは、小学五年生のときだった。


 小学五年生の涼は、もちろん除菌なんかしておらず、他の生徒と同じように外で泥だらけになるまで遊んでいたし、虫だって手掴みで捕まえていた。よくいる普通の小学生だった。


 そんなよくいる小学生の涼は、これまたよくあるように、クラスの女子に好意を持っていた。


 その相手が彼女、秋月 穂乃だった。


 涼と穂乃は席替えをするたびにいつも席が近く、よく喋る仲だった。涼のくだらない何気ない話にも、穂乃はいつも笑ってくれていたし、涼はそれが嬉しかった。


 ある時穂乃と二人きりになった涼は、ぽろっと自分の気持ちを零してしまった。


「俺、秋月のことわりと好きかも」


 その好きが友人としての好きなのか、はたまた恋心だったのかは、今の涼にはもうわからない。


 しかし、そんな何気なく言った言葉で、穂乃は豹変した。


「え? 藤沢くんが私を好き? 冗談だよね?」


 教室に眩しいくらいの夕陽が差し込んでいて、校庭からは賑やかな運動部の声が聞こえていた。


 いつもにこにことしていた穂乃が、顔を引き攣らせて涼を見ていた。


「どうしてそんなに軽々しく人のこと好きなんて言えるの? 藤沢くんは私のなにを知ってるの?」

「あ、秋月……?」

「……私、帰る」


 そう言って立ち上がった穂乃の腕を、涼は慌てて掴んで止めた。


「秋月、待って……」

「藤沢くん、汚い! 触らないで!!」

「え……?」

「私、無理なの。虫を素手で掴んだり、泥だらけになってまで遊ぶ男子なんて。少し優しくしただけで勘違いするような低能な男子も嫌い!」

「秋、月……」

「離してよ……、私に触らないでっ!」


 穂乃はそのまま教室を飛び出していってしまった。

 一人残された涼は、振り払われた自身の手を見つめる。


「俺って、汚いのか……?」


 もちろん手に泥が付いていたというようなことは全くない。もともと涼の両親も綺麗好きで、涼の身の回りのものや服なんかもいつも綺麗にしてくれていた。


 急に呼吸の仕方を忘れたみたいに、息が苦しくなった。


(俺って、汚かったんだ……。俺は、人に触れちゃいけない人間なんだ)


 そんな言葉達が頭の中をぐるぐるとして、澪と皐月が来る頃には、今の潔癖症の涼になってしまっていた。


(俺は汚い人間だ。だから人よりも綺麗にしなくちゃいけない。清潔にしなくちゃいけない。汚い人間はきっと菌を持っている。除菌しなくちゃ。みんなに嫌がられてしまうかもしれない。触れないようにしなくちゃ、身の回りを除菌しなくちゃ。汚いと思われたくない。綺麗にしなくちゃ。除菌しなくちゃ)


 それから涼は除菌ジェルを持ち歩くようになり、外で駆け回って遊ぶようなことをしなくなった。澪や皐月の家で一緒にゲームをして、そのままお泊りすることもあったのだが、涼は二人の家にも行かなくなった。


(汚い俺が行ったら、二人の迷惑になる……)


 そうして涼はあちこち除菌するようになった。とりわけ自分の触ったものや、なにかを触った自分をやたらと除菌するようになったのだ。

 涼を汚いと言った穂乃の言葉とその表情が、頭にこびりついて離れることはなかった。


(俺が触れたものは汚い。だから触れてはいけないんだ)


 涼が人に触れること、人の物に触れること、それらが汚いと思われるのが怖くて、涼はそれらに触れることを恐れた。


(触れるのが怖い、人に拒絶されるのが怖い)



 触れてはいけない、から、触れたくないへと、月日は流れ、その考えは拗れていった。


 なにかに触れてしまったら除菌をする、なにかに触れる前にも除菌をする。

 そうすると自然と心が落ち着いて、汚い自分自身が少しマシになるように思えたのだ。





「おーい、藤沢くん? 聞いてる?」



 涼の潔癖症たらしめた原因である秋月 穂乃が、涼の目の前にいた。

 あの日の夕焼けに染まった教室が涼の瞼に蘇る。


「秋月……」

「やっと思い出してくれた? あの時私のこと、好きって言ってくれたよね? 今の藤沢くんなら、付き合ってあげてもいいかも! 今私フリーだし! ね? どう?」


(い、息苦しい…………)


 あの時と同じで、急に呼吸の仕方を忘れたみたいだった。

 涼は穂乃に背を向けて、ふらふらと歩き出す。


「藤沢くーん? もう帰っちゃうのー?」


 穂乃の声を遠く聞きながら、涼は歩く。

 追いかけてくることのなかった穂乃だが、最後に涼に向けて大きな声で問い掛けた。


「あ、そうだ。ねえ藤沢くん! まだ除菌とかしてるのー?」


 その言葉にもちろん返事などせず、涼は住宅街の角を曲がった。

 心臓が不規則なリズムを刻んでいて、息を吸っても吸っても息苦しさがなくならなかった。


「最悪……だ……」


 まさかこんなタイミングで穂乃に出くわすとは思わなかった。


 澪との潔癖症の克服練習も順調で、もしかしたらこのまま慣れていけば、潔癖症が克服できたかもしれない。除菌を気にせず生活できる日が、きたかもしれないのだ。


「くそ……っ」


 涼は思わず悪態をついた。


(結局なにも変わってないじゃないか。俺は俺のままだ……。澪のおかげで潔癖症が克服できそうな気になっていただけだ……)


 涼の瞼の裏で、澪が向けてくれた優しい笑顔が、嘲笑うような笑みを向けてきた穂乃へと変わる。


 やけに濃いオレンジ色の夕陽が、涼に降り注ぐ。

 胃がむかむかして気持ちが悪かった。

 涼はポケットに入れていた小さな持ち歩き用の除菌ジェルを取り出すと、除菌液を掌に出した。



「澪……ごめん……っ」



 涼は除菌ジェルがなくなるまで手指を除菌し続けた。




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