第29話 間接キス?
「涼?」
澪は涼の顔を覗きこんでくる。可愛らしい顔をきょとんとさせて、首を横に傾ける。
(いくら俺が幼馴染だからって、油断しすぎだろ……)
澪が動くたびに甘い香りがして、いつかみたいに涼の鼻腔をくすぐる。
(……触れたい…………)
いつかも衝動的に思った感情が、また溢れそうになる。
柔らかそうな澪の身体に触れたいと、それしか考えられなくなりそうになったとき、「あ、そうだ!」と澪が手を叩いた。
その声に弾かれたように涼ははっと我に返る。
(俺、今、なにを考えて……)
涼が思考に囚われる前に、澪がスマホを見て言った。
「ついでにさ、六個目の項目もチャレンジしてみない?」
「え?」
「【潔癖症さよなら大作戦】、六個目の項目、
・飲み物や食べ物をシェアする
なんだけど……」
「え? ああ……」
涼がまだ自分の感情に戸惑っている間に、澪は話を進めていく。
「今ちょうどお互い別々のケーキを食べてるでしょ? だからそれを一口ずつ交換っこしない?」
「え……」
「ねえ、だめ? 私も涼の抹茶ケーキ食べてみたいな……」
「あ、いやでも、」
涼が口を付けてしまったケーキだ。澪はそれを一口欲しいと言ってくる。
「俺の食べかけだぞ? 嫌じゃないのか?」
「嫌なわけないじゃん。ていうか、食べ物のシェアくらい、今時普通だよ?」
「そういうものか……」
しかし涼は気が進まない。自分が食べたものを他人にあげるなんて行為、澪はどうして嫌ではないのだろうか……。
「ねえ、涼が食べさせて?」
涼が迷っている間にも、澪は横から流れる髪を抑えて、ぱかっとその小さな口を開けた。目を瞑り、「あーん」と言って、涼がケーキをくれるのを待っている。
「……っ!?」
涼はその無防備に開けられた小さな口をまじまじと見てしまった。なにか見てはいけないものを見てしまった気がして、慌てて視線をケーキへと落とす。
(こいつには羞恥心というものがないのか? もうさっさとケーキを食わせてやればいいんじゃないか? 澪がこのまま口を開けているのを見ているほうが目の毒だ。でも、俺の使ったフォークでそのまま澪に食わせていいのか? だって俺が口に入れたフォークだぞ? ふつう嫌だろ? 澪は、)
などと涼がぐるぐる考えこんでいる間に、「早くぅ~」と澪から催促されてしまう。
涼はええいままよ! と一口に切った抹茶のベイクドチーズケーキを、澪の口に突っ込んだ。澪は「うーんっ!」と言って頬を抑える。
「抹茶も美味しいね! あんまり抹茶味って食べないけど、はまっちゃうかも!」
ケーキを堪能している澪とは反対に、涼は疲弊していた。
(なんだかすごく疲れたな……)
澪の口に入ったフォークに目をやって、慌ててそれを皿の上に置く。少し落ち着こうとコーヒーを一口飲んでいると、「はいっ」と目の前にフルーツタルトが乗ったフォークが差し出された。涼は思わずコーヒーを吹き出すところだった。
「な、なんだ!? 今度は!?」
「私のフルーツタルトも涼に一口あげる! 交換っこって、言ったでしょ?」
涼は頭がくらくらしはじめる。
(これ以上は無理だ……、キャパオーバーすぎる……)
澪は友人間の食べ物のシェアだというが、間接キスとなにが違うのだろうか。フォークを口の中に入れているのだから、間接キスよりもハードルが高い気がする。
「はい! あーんして!」
澪はいつになく強引に迫ってくる。
「いや、俺はいいって……」
(別に澪が口を付けたフォークが嫌なわけではない。このあと澪は俺が使ったそのフォークを使ってケーキの残りを食べるのか? もしやんわりフォークを取り替えられでもしたらと思うと俺は……。だから俺はこういう行為が苦手なんだ……)
いくら潔癖症の克服の練習と言っても、さすがに無理だと思った。いつかはチャレンジすべきなのかもしれないが、それは今日じゃないといけないのだろうか。
「澪、俺は、」
そう涼が弱気に口を開いたとき、その口に澪はケーキのフォークを突っ込んだ。
「んぐっ!?」
涼は思わずそのケーキを食べ、そのままごくりと飲み込んでしまう。
「ね? フルーツタルトも美味しいでしょ?」
そう言って澪は何食わぬ顔で、涼が口を付けたフォークのまま、自分のケーキを食べ進めた。
澪に嫌がる様子は全くなく、「あー美味しかった!」と言って、フォークを綺麗に舐めた。
呆気に取られて呆然としていた涼に、澪は恐る恐る話し掛けた。
「涼、大丈夫? 強引だったよね? ごめんね?」
先程まで傍若無人に振る舞っていたはずの澪は、急にしおらしくなる。
「勢いがないと、これはクリアできないかな、って思ったの。もし気持ち悪かったら口ゆすいできて! 洗面台、トイレの横にあるから。フォークも新しいの取ってくるね」
そう言って澪が立ち上がろうとしたとき、涼がぽつりと呟く。
「いや……、大丈夫……」
「え?」
涼の心臓はまだ忙しなく動いてはいたが、それが不快だったわけではない。戸惑いはあれど、涼は澪との食べ物のシェアを受け入れたのだ。
澪はほっと胸を撫で下ろす。
「よかったぁ! 強引にしちゃったから、やっぱりすごく不安になって……! 涼が嫌じゃないならよかったよ~!」
安堵する澪を見て、涼は漠然と思った。
(きっとこの先の潔癖症の克服練習も、澪となら絶対にうまくいく。だって、きっと、)
「涼! なんか一緒にゲームしようよ!」
澪は明るく笑って、コントローラーを準備しはじめる。
「こうやって対面でゲームするのも久しぶりだね! モリオカートとかにする?」
不規則に動く心臓に気が付かないふりをして、涼はゲームに意識を向けた。




