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潔癖症の俺は、どうしても彼女に触れたい  作者: 四条 葵 


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第20話 スマホのロック解除!


 今日は雨のせいか、クラスメイト達が教室を出て行くのも早かった。普段ならだらだらとお喋りに興じる生徒も少なくはないのだが、今日はこのあとも雨は止みそうにない。学生だけでなく、社会人とも帰宅時間が重なると、バスや電車はますます混むだろう。それを見越して、みな早めに帰路に就いたのかもしれない。二年生ともなると、この地域周辺のバスや電車の混み具合には嫌でも詳しくなる。


 澪は教室の窓から中庭を眺めて言う。


「わー、結構降ってるねえ……、生物室行くのにさっき外廊下通ったけど、一瞬でびしょびしょになったもん!」

「おい、風邪引いたらどうするんだ」

「大丈夫だよっ、少し濡れるくらい!」


 涼はやれやれとため息をつく。たしかに澪はいつも元気だが、女の子なのだからもう少し身体に気を遣ってほしいものだ。


(冷やしたらまずいだろうに)


 しかし本当に澪は気にしていないようで、明るく涼の方へ振り返る。


「さっ! 今日も元気に気楽に行ってみようっ!」


 涼は少し眉を下げながらも、こくんと頷いた。



「今日は【潔癖症さよなら大作戦】、三つ目の項目、

・他人のスマホに触れる

だね。これも昨日の応用みたいな感じかな。ノートやシャーペンよりも、もしかしたらスマホの方が触るのに抵抗あるかも? と思って項目に入れてみたんだ。他人のスマホってなんだか触りづらくない? スマホは結構肌身離さず持っている人も多いしさ」


「そうなのか?」

「そうなのか? って……、涼はあんまりスマホ触らない?」

「うーん、そうだな。俺はあんまりスマホって使わないかもしれない」


 涼にとってスマホの存在はそこまで重要度の高いものではない。SNSなどもやっていないし、アプリゲームよりもコンシューマーゲームの方が好きだ。友人も少ないため、メッセージのやり取りもほとんどない。恋人がいたのならまた違ったのかもしれないが……。


「これは私でも結構難易度高いな、って思ったんだけど、涼にとってはノートとかとあんまり変わらなかったかぁ……」


 澪はむむっと眉根を寄せる。


「澪にとっても……?」


 涼が「?」を浮かべて首を傾げていると、何故か澪は目を光らせて、ぐいっとこちらに身を乗り出した。


「ねえねえ涼、例えばなんだけどさっ」

「なんだ?」

「例えば涼に彼女がいるとして、その彼女に自分のスマホを見せられるタイプ?」

「見せられないタイプもいるのか?」

「そりゃいるよ! ていうか大多数の人はそうなんじゃない? 写真とかSNSとか、誰とメッセージのやりとりをしているかとか、自分のプライベートって見られたくなくない?」

「そういうもんか……?」


 尚もあまりピンとこなかった涼は首を傾げる。


「あ、涼は違うんだ?」


 澪は興味津々といった様子で前のめりである。


「別に、特にやましいこともないし、俺は見られても平気だが」

「ふうん……」

「なんだよ」


 涼の心を見透かそうとするかのように、澪は目を細める。


「じゃあ、保存してるえっちな写真とか、えっちな動画を見た履歴とか、彼女にチェックされてもいいんだ?」


 涼は「う……」と一瞬言葉に詰まる。しかしなにも動揺することはない。別にえっちな画像やイラストなんか保存していないし、たまたま検索したときに出てきた少しいかがわしい広告を誤タップしてしまったことはあるが、それ以上先に進んだことはない。やましいことなど一つもなかった。


「そ、そもそもそんなもの保存していないし、見てもいないが? そういうのはあれだろ? 他の女の子と仲良くしていないかとか、交友関係を知りたいとか、そういうことのチェックをしたいんだろ? 疑いを晴らせるなら、俺のスマホくらい見てもらって構わない。仮にえっちなものを保存していたとしても、彼女なら性癖は知っておいてもらった方がいいだろ?」


 涼の潔い言葉に、澪は目を丸くする。


 最後の一行は余計だったかもしれないな……、と思ったものの、澪は「ふうん……」と言って簡単に引き下がった。


 結局のところなにを訊きたかったのかはいまいちわからないが、満足したのならばそれでいい。この話はなるべく早く終わらせたかった。

 澪はふんふんとなにか一人でに頷いて、すぐにいつもの表情へと戻る。


「さて! 脱線しちゃったけど、はじめよっか!」


 気を取り直して、三つ目の克服項目の開始だ。


「はい、私のスマホ」


 そう言って澪が可愛らしい薄ピンクの桜柄のカバーのついたスマホを差し出す。たぬきのストラップも付いていて、そのストラップがゆらりと揺れる。


「アニ森のスマホカバーじゃないんだな」


 涼が何気なく呟いた言葉に、澪は悔しそうに嘆いた。


「本当は欲しかったんだよー! でもすぐに売り切れちゃって買えなかったの……。でもいいんだ! この桜のカバーも気に入ってるし!」

「苗字、桜坂で桜入ってるもんな」

「そうなの! 桜坂って苗字もすっごく気に入ってるんだ~! 桜、大好きだから!」


 にこにこと話していた澪はそこで何故かはっとしたように、口元に手をあてた。


「ち、違うよ!? たしかに桜坂って苗字は気に入ってるけど、結婚で苗字が変わるのが嫌とかじゃないよ!? 結婚はもちろんしたいし! 藤沢って苗字もすっごく素敵だと思うし!」

「はぁ……?」


 慌てたように涼の苗字のフォローを入れた澪に、涼はますます首を傾げた。


「こほんっ! さ! 涼、どうぞ! 私のスマホ!」

「え? ああ……」


 強引に話を戻す澪。涼は澪のスマホを受け取ろうと手を伸ばす。他人のものに触れる練習はまだ二回目だ。


(大丈夫、相手は澪だ。澪が俺を嫌がるはずがないんだ。きっと昨日みたいに上手くいく)


 そうわかっているせいか、涼はすんなりと澪のスマホを受け取ることができた。多少ドキドキしたが、初回の比ではない。画面に触れると、どうぶつたちの可愛らしいイラストが描かれたロック画面が表示された。


 除菌したいとは思わなかった。

 他人のものに触れて、汚いと罵られる恐怖心も、今は全くなかった。


「スマホ、ありがとう」


 涼はそのまま澪にスマホを返した。澪は、「うんっ」と受け取ってそのままスカートのポケットに入れる。


「除菌、大丈夫そう?」

「ああ」

「じゃあ今日も大成功だねっ! ちなみになんだけど、涼のスマホを私が触る、っていうのは難しいかな?」

「え……」

「涼は他人のものに触れるのが苦手。でもそれと同じくらい、自分のものを他人に触れられるのも苦手じゃない?」


 そう、だと思う。


 他人のものに触るのが怖いのは、自分が汚いと思われるかもしれないから。同じ理由で、他人が自分のものに触れて、汚いと思うかもしれないという恐怖があった。


「涼、もし大丈夫そうなら、私が涼のスマホ、触ってみてもいいかな?」


 澪の提案に、涼はごくりと唾を飲み込む。

 涼は自身のブレザーのポケットから、藤色のカバーに包まれたスマホを取り出した。


(澪が俺のものを汚いなんて、言うわけがない……)


 そう言い聞かせてはいても、肩が強張る。涼は覚悟を決めて澪にスマホを差し出した。


「頼む」


 澪はそれを丁寧に受け取った。特になにも言うことなく、涼のスマホのロック画面を見つめている。


(澪が、俺のスマホに、俺のものに触れている……)


 嫌悪感はない。しかし心は落ち着かない。落ち着かなくなると、急に除菌がしたくなる。そうして心を落ち着かせる癖がついてしまっているからだ。


 少しの間見つめていた澪は、「えいっ!」と言って画面をタップし始める。ロックを掛けていたはずなのだが、簡単にパスコードを入力すると、ホーム画面が目の前に広がる。


「!? どうやって開けた!?」

「どうやって開けたもなにも、普通にパスコードの数字打っただけだけど?」

「いや、なんで知ってるんだよ!?」

「どれだけ涼の傍にいると思ってるの? 涼が使いそうな数字なんてお見通しなんだからっ!」


 澪はふふんと何故かドヤ顔を見せる。

 因みにロック画面のパスコードは、普通に涼の誕生日である「0630」であった。


 「ふむふむ、涼のスマホってこんな感じなんだー」と言いながら、澪は涼のスマホをスワイプしていく。見られても問題ないとは言ったものの、いざ見られているとなると、少し気まずい気持ちになる。


 「ありがとっ」と言って澪はスマホを返してきた。


「あ、ああ……」


 涼はほっと胸を撫で下ろした。


(大丈夫だったよな……? 変な画像とか、履歴とかなかったよな……?)


 今更になってそんなことが不安になった。しかし澪は、それらを気にした様子はなく、にこっと笑顔を浮かべる。


「涼すごいよ! どっちも除菌せずにできちゃったよ!」

「え……?」


 たしかに澪の言う通りだった。先程まで少し落ち着かず、除菌したいなと薄っすら思ったものの、気が反れていたせいなのか、除菌したい気持ちはすっかりなくなっていた。


(自分のものを触られたのに……)


 潔癖症の克服なんて、できるはずがないと思っていた。それなのに、こんなにも簡単にものに触れるようになり、自分以外の人に触られても大丈夫になってしまった。澪が言っていた通り、涼が潔癖症について重く捉えすぎていただけなのだろうか……。


 目の前で明るく笑う美少女幼馴染に、涼は頭が上がらなかった。


(澪は俺をすごい、なんて言ってくれたが、きっとすごいのは俺じゃない。澪だよ)


 澪の力があるからこそ、涼の潔癖症の克服練習は順調に進んでいるのだ。きっと一人だったらできなかっただろう。いつでも明るい澪が、涼を支えてくれるおかげだ。


(俺も……、なにか澪にしてやれることはないだろうか。俺ばっかりが澪に助けてもらっているなんて、情けない話だ)


 よくもまぁ呆れずに潔癖症の克服なんかに協力してくれているものだと、涼はつくづく思う。

 もし澪が悩んでいることがあって息詰まるようなことがあれば、涼は全力で手を貸そうと心に決めた。


「さ! 寒くなっちゃう前に帰ろっか!」

「そうだな」


 春とはいえ、これだけ雨が降っていたら外はもうすでに肌寒いかもしれない。陽が落ちればますます寒くなりそうだった。涼と澪はスクール鞄を肩に掛けると、いつものように並んで教室を後にした。





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