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潔癖症の俺は、どうしても彼女に触れたい  作者: 四条 葵 


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第15話 幼馴染と秘密の放課後


 翌日の放課後。図書室で時間を潰した涼は、教室から人が出払う頃合いに二年D組へと戻った。するとちょうど、澪が友人達に手を振っているところだった。


 澪は涼に気が付くと、「おかえり!」と言って微笑む。なんだかくすぐったく思いながらも、涼は「ただいま」と小さく返した。



 ついに【潔癖症さよなら大作戦】、その第一回目が行われる。



 涼は自席に戻ってくると、いつもの流れで除菌ウェットティッシュを取り出し、机と椅子を拭きあげた。


「あ……」

(そうか……こういうことも少しずつやめていかなきゃいけないのか……)


 はっとする涼の心のうちを読んだかのように、澪がからからと笑う。


「涼、初っ端から気合い入れすぎだよ~。今日から始めるんだから、今は今まで通りで大丈夫! そのうち除菌が減らせたらいいね~くらいでさっ!」

「そ、そうだよな」

「うんっ! 気楽に気楽にっ!」


 澪の言葉に、涼は微笑む。


 以前澪に、「涼は難しく考えすぎなんだよ」と言われたことを思い出した。


(そうだ、これは俺が潔癖症と向き合うためのものだ。まずは自分がどう感じているかを理解しなくちゃいけない。落ち着いて、ゆっくりでいい……)


 涼は大きく深呼吸をすると、澪に向き直った。


「よし、はじめよう」

「うんっ! じゃあ、まず、一つめの項目やってみようか!」


【潔癖症さよなら大作戦】、一つ目の項目は、

・他人の席に座る

 である。


「これは思ったよりも簡単かもしれない……」


 いつも机や椅子を除菌している涼ではあるが、頑張ればなんとか他人の席にそのまま座れそうな気がする。そもそも直に触るものではないから、一つ目の項目としては最適であると言える。相手に嫌がられたら終わりではあるが……。


「それじゃあとりあえず、私の席に座ってみる?」

「いいのか?」

「もちろんっ!」


 涼の席は窓側から二列目の一番後ろ、対して澪の席は廊下側の真ん中の席だった。

 授業中目が合って、座席からこっそり手を振ってくれる澪の姿を思い出す。


 澪の座席の前にやってきた涼は、そこで立ち止まった。


(俺は、他人の席に座ることを、何故こんなにも恐れているのだろうか。たかが座席。みんな気にせず座るものだ。俺は、……)


 涼は丁寧に自分の気持ちに向き合う。


(俺は、誰かを汚いと思っているわけでは決してない。寧ろ汚いのは俺の方だ。俺が汚いから、俺が触れたものは汚いから、除菌しなくてはならない。その人が嫌な思いをしないように……)


 脳内にまたオレンジ色の教室の映像がちらついて、涼は慌てて首を振りその映像をかき消した。


(ポジティブな思考で取り組む、だったよな……。そうだ、他人はきっと思っているよりも俺のことなんか気にしちゃいない。気にしているのは俺だけだ)


 それに今座ろうとしているのは、澪の席だ。澪が涼を嫌がるなんてこと、あるはずがなかった。

 それはよくわかっているはずなのに、ただそのまま座席に座る、ということができない。


(何も考えずに座るだけだ……、座るだけ……)


 涼が椅子を引き、そのまま椅子に腰を下ろそうとして。瞬間耳元で嘲笑うかのような囁き声が聞こえる。



『藤沢くん、汚いんだよね。どうしてそんな汚い人を私が好きになると思ったの? その汚い手で触らないでくれる?』



 涼はばっと後ろを振り返る。


 そこにはもちろん誰もいない。少し離れたところに澪がいるだけだった。

 でも確かに聞こえたのだ。あの時涼を嘲笑った、彼女の声が。

 鼓動が少しずつ早くなる。運動したわけでもないのに、走ったあとみたいに呼吸が苦しい。


 涼は自分自身の状況に困惑する。


(たかだか座席に座るだけだぞ? それも直接触れるわけじゃない、そうわかっているのに……)


 制服のズボンを穿いているから、素肌に触れることもない。それは十分にわかっているはずなのに、どうしても除菌なしで座ることができない。



『うわっ、この席藤沢くんが座ったの? 同じ席に座るとか無理なんだけどぉ』



 彼女の声が聞こえる気がしてならない。

 上手く息が吸えなくて、涼は痛感する。

 自分の潔癖症は、思ったよりもその心に深く根付いていることに。



「涼!」



 澪の声に、はっと我に返る。

 振り返ると、澪が心配そうに涼を見ていて。しかしすぐににこっと微笑みを浮かべると澪は優しく言葉を紡ぐ。


「涼、無理しなくてもいいんだよ?」

「え?」

「提案しておいてなんだけど、潔癖症が治らなくても涼は涼だもん。私が涼を汚いと思うことなんて絶対にないし、涼を嫌いになることも絶対にないよ。私は、いつだって涼の身方だよ」


 澪の言葉に、涼の瞳が自然と見開かれていく。


「私は、涼がずっと潔癖症でも、その、……涼のこと、大好きだよ!」


 澪の言葉が、すうっと涼の心に沁み込んでいく。

 呼吸が少しずつ落ち着いていくのを感じる。息苦しさもなくなってきて、涼はやっと冷静に考えられるようになってきた。


「澪、……ありがとな」


 大好き、だなんて高校生にもなってそんな言葉を口にするのは、ものすごく恥ずかしかっただろう。しかし澪は涼の心を守るため、これ以上涼が涼自身の心を傷付けないよう精一杯守ってくれたのだ。


 涼は意を決して澪の席に腰を下ろした。

 除菌したい、なんてことは思わなかったが、澪にどう思われるかはやっぱり不安だった。

 涼はぱっと澪の方へと視線を向ける。


(また……、汚いと拒絶されたら……)


 一抹の不安は、しかしすぐに杞憂であったと思い知らされる。

 澪の表情はみるみるうちに目が細められ、口角がにこりと笑みを形作った。


「涼っ! すごいよっ!」


 澪はひとしきり手を叩いてから、涼の方へとやってくる。


「こんなに簡単にクリアできるなんて思ってもみなかったよ!」


 澪の大袈裟すぎる褒めように、なんだか涼のほうが居たたまれなくなってくる。


「いや、褒めすぎだろ……ただ澪の席に座っただけで……」

「ううん! 全然そんなことないよっ! 潔癖症克服への偉大な一歩だもん!」


 「涼くん偉いっ」とまるで子供を褒める母親のような澪に、涼は照れくさくも反論した。


「澪、俺をからかってないか?」

「からかってなんかないない! ちゃんとできた子は褒めてあげないと!」

「……それをからかってるって言うんだが……」

「とにかく! 成功おめでとう!」

「あ、ありがとう……」


 すっかり澪のペースに飲まれているようにも思うが、悪くはないかと思いつつ、涼は先程感じた気持ちを素直に澪に報告する。


「……俺はずっと、汚いと拒否されたことがトラウマになっていた。汚い俺は綺麗にしなくちゃいけない。汚い俺は除菌しなくちゃいけない。汚い俺なんかじゃ、きっと誰にも受け入れてもらえない、だから除菌しなくちゃいけない。それが所謂、認知行動療法とやらでいう、認知の歪みだったんだろう。要するに極端に物事をマイナスに捉えすぎていたんだ」


 涼の言葉に、澪はにこりと微笑む。


「うん、そうだよ。涼は汚くなんかない。他人は涼が思うほど、涼のこと汚いなんて思ってないんだよ。私だってもちろんそう! 涼は身の回りをいつも綺麗にしているし、そもそも涼ってなんかいい匂いがするんだよねぇ、それがまた落ち着くっていうか……って! あ、これは別になんでもなくてっ! とにかく!! 涼は全然汚くなんかないの!」


 澪の力強い言葉に、涼の心がまた温かさで満たされていく。


「ああ、ありがとう、澪」

「どういたしましてっ!」


 澪の笑顔に、先程まで固かったはずの涼の表情も解れていく。

 次の項目に取り組むのだと思っていた涼はまた背筋を正したのだが、澪から発せられたのは、「じゃ、帰ろっか!」という拍子抜けな言葉だった。


「え? か、帰るのか?」

「うん? 涼なにかまだ学校に用事あるの?」

「いやいやあるだろ。【潔癖症さよなら大作戦】、次の項目にいかないのか?」

「うん! 今日はもうこれで終わり! 始めたばかりで無理しても仕方ないしね!」

「そういうものか……」

「なになに? まだまだチャレンジしたいのかな? 涼くんはー?」

「別に、そういうわけじゃないが……」


 くすくすと笑う澪は、本当に帰るらしくスクール鞄を肩に掛ける。


「こういうものは急に無理してもよくないんだよっ! 今日の成功経験を大切にして、また明日続きやろ!」


 「さ、涼も帰るよー」という澪に続いて、自席から鞄を持ってきた涼は澪と一緒に教室を出た。




「あら……?」


 涼と澪が教室を出てすぐ、椿姫が本を抱えて教室に戻ってきた。出て行く二人の後ろ姿を見つめた椿姫は思わずぎゅっと胸の前で強く手を握っていた。





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