毛の無い犬1
わたしが一三歳になったあの日から先生と交代で、一人で山歩きをするようになった。
山歩きの主な目的は境界線の監視、異変などが無いかを見て回る事だ。
魔物も多数出没する為、危険な業務なのである。
先生にそれを任されたのは、認められた証しだ。
その事がとても誇らしく、自信にも繋がった。
目的はもう一つある、野草の採取だ。
境界線付近に自生する野草は、その影響を受けて変質し、特殊な効能を持つ。
動植物は魔力を持たない為、基本的には有り得ない事なのだが、先生によると瘴気がそれだけ濃いからだと言う。
例えるなら、洗濯物に匂いが付くような感じ? らしい。
採取された野草は、グランディル城下の『ハスキング薬品店』に卸している。
あの日、わたしは先生に城下の職人地区に連れていかれた。
一人で山歩きに行くようになったから、採取した野草も一人で売りに行けって事だ。
わたしはいつもの赤いローブを纏い、深々とフードを被って先生に付いて行った。
先生と街を歩いたのも初めてだったが、その時に訪れたのがハスキング薬品店だった。
女主人のオーリン・ハスキングさんは、『特級調合師』っていう国家資格を持つスゴイ人らしい。
鍛冶職人の登録が多い職人ギルドの中にあって、調合師でありながらギルド長を務めている。
偏屈な……いや、気難しい職人さんが多いのに、女性が代表をしているにも関わらず、やっかむ人も無く、信頼を寄せられている……と先生が言ってた。
昔は中央神殿騎士団調合師科の主任を務めていて、沢山新薬を作ったり改良をしたりして、今でも語り継がれているらしい。
……なんかすごい人だ。
会うのがすごく怖かったけど、先生に連れられ、工房を兼ねている店の前に立つと拍子抜けをしてしまった。
そこにあったのは、立派で豪華な建物では無く、こじんまりした古びたそれだったからだ。
釣り看板に『ハスキング薬品店』と書いてあるが、外から見た限りでは何の店か分からない。
先生はおもむろにドアを開いた。
「オーリンさん、邪魔するぜ」
わたしも、先生の陰に隠れながら、おずおずと店内に入る。
小さなおばあさんがカウンターに腰を下ろし、本を読んでいた。
かわいらしい顔立ち、童顔で優しい面持ちだ。
鼻筋も整っていて、昔はかなりの美人さんだったのが伺える。
綺麗な灰色の髪は、肩に付かない位の長さに切り揃えられていて上品な印象を受ける。
服装も質素だ、飾り気のないブラウスとスカート、刺繍の無い質素な茶色のローブを纏っている。
オーリンさんは立ち上がるとわたしの元にあゆみ寄って来る。
「マントを取ってもいいよ、獣人のお嬢さん。オーリン・ハスキングだよ。フォルって呼んでもいいかい?」
オーリンおばさんの優しい緑色の目が、わたしに安心感を与えてくれた。
「あたしは獣人には慣れてるんだ。昔、世界中を飛び回ってたからね、でもトイ族は珍しいね」
オーリンおばさんが手を差し出して来ると、わたしは握って返した。
「あの頃は大変だったんだぜ、神殿の仕事をほっぽり出して……散々振り回されたよ。主任補佐のゼフォーが可哀そうだったぜ」
先生は茶化すように口を挟む、オーリンさんは肩をすくめた。
「あんたも勝手に付いて来てたでしょ。随分と楽しそうに見えたけど?」
「また、一緒に旅に行こうか?」
先生は優しくオーリンおばさんを見つめる。
「こんなばあさんを捕まえて、からかいなさんな」
「君は今でも十分魅力的さ、ゼフォーに悪いから遠慮してるだけだ」
「あの世の亭主に義理立てかい?」
「彼も大切な友人だったからな」
この二人、ずいぶん親しいみたい、わたしはお邪魔かな?
オーリンおばさんはココアを入れると、わたしの前のテーブルに置く。
それを口にすると、ふわっと良い香りに満たされ、ほど好い甘さが口いっぱいに広がった。
凄く美味しい、このコクはバターだ、ずいぶんと丁寧に入れてくれたみたい。
「フォルの話は境界さんから聞いてるよ、厄災攻防でも大活躍だったてね。街を護ってくれてありがとう」
先生、そんなことまで話してたんだ。
先生はにんまりと笑う。
「お前も礼を言っておけ、家にある魔法薬はほとんど彼女の手作りだ。ハスキング薬品店の薬は支店で作られてるのに、わざわざ店主に作ってもらってるんだぞ」
確かに、わたしは随分と魔法薬のお世話になっている。
それらは、このおばあさんが作ってくれたのか。
「ありがうございます! わたしが何度も死に掛けた時に、オーリンさんのお薬に助けられました。命の恩人です!」
オーリンおばさんは目を細めて、先生を見据える。
「境界さん、あんた、こんなお嬢さんに危険な事をさせているのかい?」
「こいつが無鉄砲すぎるんだよ。おれも、ひやひやしてるんだ」
先生は悪びれずに、笑って返した。
その日以降、わたしも野草を採取した日は、自分でハスキング薬品店に売りに行くようになった。
オーリンおばさんは、わたしの手作りお菓子にも喜んでくれた。
気さくな人だ……えらい人と聞いて、怖がってたのがバカみたいだった。
それからは大した事件も無く、まあ、初夏に一角と死闘を演じたりはしたか。
特種出現騒動……結局、特種とは認定されなかったけど大変だったな……。
あの後、モナークの冒険者三人は、一旦領に帰って行き、秋頃に小屋を訪ねて来た。
身辺を片付けて来たという事で、先生がつてのある村を紹介して、学びに行ったらしい。
モナーク辺境伯領は農業技術が遅れていて、グランデイルでそれらを学ぶのだと言う。
彼らは自分たちの手で、みんなの暮らしを良くしようとしている。
すごいな、わたしなんて自分の事だけで手一杯だよ。
それにしても、先生はその農村に三人を丸投げか、相変わらず人任せだ。
ひょっとしたら山歩きも、わたしに丸投げするようになったりするかも。
今は先生と二人で交代だが、あるいは……。
季節は冬となった、わたし一人で山歩きはさすがにキツイ、交代制で良かった。
わたしは寒いのが苦手だ。
それなのに……。
今、わたしは。
吹雪の中、避難小屋で寒さに震えていた。
どうして、こうなった!
新章「毛のない犬」スタートです。
毎週日曜日と水曜日、お昼12時に投稿しています。




