餓犬4
タレットさんの剣はわたしに向いているが、距離はマシィの方が近い。
どうする? 取り押さえるにしても距離が微妙だ。
距離的に魔術師のマシィには分が悪い、熟練者等級の冒険者であるタレットさんを速やかに鎮圧出来るのか?
逆上した彼が、マシィに危害を加えるかもしれない。
わたしは無言でマシィに手の平を掲げ、動かないようにとハンドサインを送る。
「獣人が近くにいたから、女神がお怒りになったのだ。全部お前のせいだ!」
昨日の言いがかりの再開だ、彼は怒りで頭に血が上っている。
ターレットさんをマシィから引き離さないと……。
じりじりと詰め寄るターレットさんに合わせ、わたしもゆっくりと下がり岩の、上まで移動した。
睨み合ったままでは埒が明かない、先生の真似をするか。
「来なよ田舎剣士……あんたの猿剣法じゃ獣人どころかが、大根一本切れないよ!」
ターレットさんが、剣を肩に担ぐように振り被って突進して来る。
かかった! 刃を斜め下に、袈裟斬りに振る。
軌道が読みやすい、わたしは小さくかわして彼の右脇に腕を引っ掛けると、そのまま体を沈めて投げに入る。
体が宙に浮き、わたしは彼と共に岩の下に落下した。
そこは淵になっている、下は……川だ。
数米落ちた後に水面に激突、水中に沈む。
水底まで思った以上に深さがある、ラッキーだ。
わたしは水面に頭を出させないよう、ターレットさんにしがみ付く。
泳ぎは去年覚えた、わたしはあらかじめ息を吸い込んでいたから、まだ活動できる。
彼はどうかな? 泳げないのなら、水中はかなり恐ろしいはずだ。
暫くすると動きが止まった、溺れたかな? 浮上し、襟首を掴んで岩場に引き上げる。
水を吐き出したので、逆流しないように顔を横に向けると、彼は呼吸を始めた。
大丈夫かな?
わたしは、濡れた服を全部脱いで硬く絞った。
日が高くなって気温も上がって来た、夏の陽気だし、これなら着ている内に乾くね。
ぐったりしているターレットさんの服も脱がして絞り、岩の上で乾かす、彼はなかなかのごりっぱんさんをお持ちだ。
一人残したマシィが心配だが、タレットさんが動けるようになるまでは戻れない。
タレットさんの戦いの実力……実際に打ち合って見ないと分からない部分もあるが、彼が剣を持っていても多分、素手で勝てる。
わたしに切り付けて来た時の、踏み込みと剣筋は大した事が無かったからだ。
身体強化術は使っていなかったが、それを考慮に入れても負ける気がしない。
剣も川に沈んでしまった、彼に勝ち目は無い。
エキスパート・ランクと聞いていたので警戒したが、このレベルなんだ。
山小屋にやって来た神殿の騎士団長や、グランディル城で見た公国騎士団の人達よりはるかに劣って見えた。
以前、マシィはグランディルの冒険者はレベルが高いと言っていたけど、多分それも関係しているのだろう。
「ん?」
なんだろう、奇妙な気配がする……魔物? じゃない。
人の物とも違うような……タレットさんをここに置いて行くのは気が引けるが、危険があるかもしれない以上、確認しない訳にはいかない。
幸いにも、この付近に魔物の気配は無い、行くか。
わたしは音を立てないように足を忍ばせ、慎重に気配の元に近付く。
岩影に身を隠し、見つからないように、そっと覗き込む、そこで見たものは……。
ハダカの、女の人だった。
女の人が、水浴びをしている、無防備に……。
綺麗な人だ、顔に幼さがあるが、体付きからして十代後半から二〇代前半くらい、細い体なのに乳房はふくよかで張りが有り、お尻の形も良い。
腰まである軽くカールが入った、長いつややかな黒髪。
整った顔立ちを、鳶色の大きな瞳が一層美しさを引き立てている。
細い腕を、その白い肌をしなやかな指で丁寧に流している。
その都度揺れる豊満な乳房と、ツンと立った大きな乳頭は、成熟した女性のソレだった。
気になったのは、顔の感じだ……中原では見掛けない、どことなく先生に似ている。
先生みたいな惚けた顔と違い、この女の人は飛び切りの美人さんだ。
そんな女の人が全裸で、無警戒に豊満な乳房を晒して、こんな所で水浴び?
それ以外にも、何か違和感……。
それの理由が分かった、彼女は膝までしか水に浸かっていなかった……水深は二、三米は有りそうな場所なのに!
以前、先生が騎士団長と立ち会った時に、泥の上を歩いた。
だけどこの人は、魔術を使っている気配を感じない。
そもそも人なのだろうか?
精霊?
いや、精霊は動物の姿を模してるって聞いた事がある。
それに精霊の姿は、肉眼では見えないと言われている。
やはり人なの? でもこんな、魔物が沢山出る場所で呑気に水浴びなんて。
わたし自身もそうか、他人が見たら一三歳のか弱そうな子供が一人でうろうろしてたら変に見える。
女の人も、こんな場所で平然と水浴びが出来るという事……じゃあ何者?
!
足元の石を蹴り落としてしまった。
それは水面に落ち、大きな水音を立てた。
……にもかかわらず、女の人は水浴びを続けている、気付かないはず無いのに。
やがて、彼女はこちら側に歩いて来ると、ふわっと浮かんで、わたしが身を潜めている岩の上に降り立った。
服を着たようだが、見た事が無い衣装だ。
白色の、厚手の木綿か、丈が長く袖を重ねるように着ている。
履いているのは一見、黒色のスカートかと思ったが裾が広いズボン。
やはり中原では見かけない服装、外国人なのか?
女の人は目をつぶると、頤を軽く持ち上げた。
「これ以上は育たないか……しっぱいね」
しっぱい……失敗? なにがだろう……。
そしてふと、顔をわたしに向ける。
目が合った。
女の人はわたしに微笑みかける。
綺麗で屈託の無いその笑顔に。
背筋が凍った。
得体のしれない、目……人形? ガラス玉? 違う……もっと異質な、何かだった。
女の人は岩から飛び降りると、水面を滑り、跳ねる……わたしからどんどん遠ざかって行く。
わたしはその背中を見送った、見送る事しか出来なかった。
怖くて動けない、そうだ、怖かったんだ。
彼女が立ち去って、わたしは安心している事に気が付く。
怖かった、とにかく、怖かった!
こんなに怖いと思ったのは初めてだ。
千匹オオカミの襲撃に巻き込まれた時も、神殿の騎士が訪ねて来た時も、グレイ・クロウラーに襲われて死にかけた時も、ワイバーンが現れた時も……。
こんな恐怖を感じた事は無かった。
体に力が入らず、岩の上にへたり込む。
乱れた呼吸を整える、あれはいなくなった、落ち着け。
こんな所で油を売ってる場合では無いんだ。
タレットさんを連れて、早くマシィと合流しないと。
わたしは頬を両手でぴしゃりと叩き、自身を奮い立たせた。
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