餓犬1
何故かわたしは、魔力の流れが理解出来ないはずのマシィに、その使い方を教わっている。
わたし、獣人には普通の事だが、他の種族には魔力を知覚出来ないらしい。
彼は教え方が上手だ。
魔力を知覚出来なくても、それがどんな物かを想像して、その上でわたしにあれこれアドバイスをしてくれる。
マシィは本当にすごい。
わたしと先生が交代で山歩きをするようになって、翻訳の仕事が沢山進むようになったけど、マシィはスゴイ速さでタイプライターを打つ。
どんどん翻訳が進むので、読むのを楽しみにしているフッフールもニッコリだ……表情には出さないけど。
マシィは冒険者の仕事をして、先生のお手伝いもして、賢者になる為のお勉強もして、わたしの鍛錬や勉強まで見てくれる。
なのに、ちっとも威張らないどころか、先生には『自己評価が低い』なんて言われている。
そんなマシィが、標準等級の冒険者に昇格した。
マシィは『誰でも一年で成れる』て言ってたけど、先生によると『実力が問われ、審査をされる』らしい。
何かお祝いしてあげたいなーと、アドレーに相談に乗ってもらおうと会いに行ったら、お仕事で大失敗したらしく、とても落ち込んでいた。
慰めるのに大変で、とても相談どころでは無かった。
マシィから聞いた話では、まだ特定のパーティーには入ってないけど、助っ人で参加できるようにはなったらしい。
だけど戦闘時で思い通りにならないと、パニックになって慌ててしまうと聞いた。
前は『ポンコツ』と呼ばれていたけど、今は『ヘタレ』に変わったそうな。
アドレーとは何度か一緒に鍛錬をしたけど、先生とマシィにはそれが原因だと言われた。
意味が分からない。
仕方が無い……樫の木堂のおばあさんから教わった、チーズケーキを作ろう。
前にマシィが買って来たやつより濃厚で甘くて美味しい、喜んでくれるよね。
帳面にメモした、レシピを確認する。
先生の帰りが遅いなあ……今日は小屋から南側、午前中で帰って来られる距離なんだけど。
三人で昼食を済ませ、マシィは書斎でお仕事、フッフールはお掃除をしている。
ここ最近は何事も無く、のんびりした日が続いている。
季節も夏に差し掛かっている、お外が気持ちが良い、先生は寄り道してるのかな?
違う、何かあったんだ……足音が二つ近付いて来る、一つは先生だと思うけどなんか重たい感じがする、もう一つは?
ドアが開く音がした、知らない臭いだ……。
血の臭いも交じっている。
わたしはそっと恵弥のドアを開くと、玄関の方を覗き込む。
先生が誰かを背負っている……足音が重かったのはそのせいか。
背負われている人は気配が弱い、おじいさん? もう一人は体ががっしりした男の人だ、怪我をしてるみたい。
「何事ですか!」
とマシィ、わたしも気になる、耳を澄ます。
「途中で見つけたんだ。こっちの魔術師がやばい……魔力が枯渇してる」
先生の声は落ち着いているけど、神妙な顔をしてる。
「普通はこんな状態になる前に術の効果が消える筈……どんな使い方を?」
マシィも冷静な口調だ……おじいさん……違う、魔力を使いすぎて弱ってるんだ、四〇代くらいだろうか……魔術師さんを長椅子に横たえる。
「呼吸が浅いな……少し苦しいでしょうが暫く鼻で息をしてください」
長椅子は壁側だ、廊下からは見えない、わたしはそっと暖炉の陰に移動する。
「先生、何をなさっているのですか!」
マシィが驚いてるな……暖炉の陰から覗き込む、先生は顔を近付けてる。
キスしてる?
二分程だろうか、暫くしてから先生は顔を離した。
「気を失ったか、体が楽になって安心したか」
「今のは何なのですか?」
マシィが腕を組み、険しい顔を先生に向ける。
「魔力を直接供給したんだ、粘膜を合わせると送り易い」
先生はまじめな面持ちで答えを返した。
「……そんな方法、初めて聞きました」
マシィは疑ってるけど、魔術師さんが持ち直したのは事実だ、顔に赤みが差している……。
と、マシィはなんか変な顔をした。
「いかがわしい事考えただろ。だが、その方法は効率が悪い」
先生が釘を刺した、意味はよく分からないがマシィが考えたのは、ダメなやり方らしい。
でも、キスで魔力が流せるのか。
その方法を使えばマシィにも魔力の流れが分かるかも。
……うん、無理だね。
「獣人!」
がっしりした男の人に見つかっちゃた、身を乗り出し過ぎた。
彼は叫ぶと同時に、剣を抜いた⁉
「お前のせいか‼」
男の人、剣士さんは両手剣を構えると、血走った目でわたしを睨み付けて来た。
わたし、何かした?
フッフールが何やら小声で呟いている。
マシィがわたしを庇うように、前に立ち塞がった。
いや、マシィが危険だって……剣士さんは獣人に反応した、だからヒト族の彼なら斬れないだろうって……。
そう考えたんだろうけど、逆上してる相手に危ないよ。
本当に、マシィは優しい。
直後に男の人は首を押さえて倒れ込み、苦しみながら床をのた打つ。
「『窒息』、敵の体内から空気を奪う。フッフールさんが術を掛けたか。簡単な術だが魔術耐性に打ち勝たないと効かない……フフールさんに勝てるやつはそう相違ないだろうが」
マシィが説明をしてくれる、フッフールは魔術師としては最強だ、相手が悪いか。
フッフールが指をパチンと弾いて術を解く、あれカッコいいな。
先生が取り押さえると、タオルで剣士さんを後ろ手に縛った。
そして首に下げられている金属札を確認する。
「まあ、冒険者だよな。熟練等級か」
エキスパート・ランクは、実働クラスでは最上級だ。
先生は目を細めた。
「モナーク冒険者ギルド所属か」
「モナーク城下から来たというのですか? そんな遠くから?」
マシィが驚いてる。
モナーク辺境伯領……。
わたしがここに来る前にいた所だ、ゾンザイ子爵家のお屋敷で、小間使いをさせられていた。
モナーク辺境伯領はヴァーサターム王国、隣国である。
「フッフールとマシィは魔術師を二階に運んでくれ、おれはこの男の手当てをする」
二人が気絶した魔術師さんを連れて行くと、わたしは取り残された。
先生は剣士さんを縛ったまま床に座らせられ、治療を始めた。
わたしはとりあえず……夕飯の仕込みでもするか。
わたしが厨房に入ると、先生が質問を始めた。
「モナーク冒険者ギルドの人が、グランディル公国で何をしてたんですか?」
「……」
剣士さんはダンマリのようだ。
「あなたは我々の前で剣を抜いたんだ、それだけでしょっ引く事も出来るんですよ」
「俺が剣を向けたのは獣人に、だ……痛て!」
先生が、巻いてる包帯に力を込めたみたい。
「彼女は住民として登録されている、グランディールの民です。あなたの行為は殺人未遂なんですよ」
先生は感情を押さえているが、イラついてるのが伝わって来る。
「バカを言うな、相手は獣人だぞ!」
「ふざけるな! 家の子に剣を向けたんだ。ぶちのめしてやりたいのを我慢してんだよ!」
「其方は貴族である自分にも剣を向けた」
マシィが一人で戻って来た、フッフールは魔術師さんの看病……見張りに残ったんだな。
先生は肩をすくめる。
「彼はライルラック家だ、聞いた事位あるだろ?」
剣士さんの顔が、見る見る青褪めて行く。
「自分が訴え出れば、確実に投獄。最悪、処刑も有り得るのだぞ」
マシィも、かなり物騒な事を言い始めた。
わたしがモナークにいた頃でも、剣を向けられた事なんて無かったな……やっぱりよっぽどの事なんだね。
先生は剣士さんの髪を掴むと、頭を上げさせて真っ直ぐ睨み付けた。
「きりきり話せ、それとも臭い飯を食うか?」
「あんたらは……どうかしている」
剣士さんの獣人に対するこの感覚は、モナーク辺境伯領では普通の事だ。
彼と同じヴァーサターム王国人だが、マシィの方がずれている。
先生は剣士の頭から手を離すと、無言でぐっと睨み付ける。
「特種だ……」
剣士が小声で呟く。
「俺達は、特種の魔物を追跡していたんだ」
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