ドッグラン22
自分は、先生が仰った『厄災が来る』という言葉に戦慄を禁じ得なかった。
甘味処からここ、冒険者ギルドの応接室に連れて来られた自分とアドレーだったが、先生と向かい合う形でソファー腰を下ろして言葉も発さずに、ただギルド長の来訪を待つ。
そんな自分達の重苦しい雰囲気に業を煮やしたのか、先生はこれ見よがしな溜め息を付いた。
「そんなに深刻になるなよ、何年か事に起きるんだ、原因は定かでは無いがな」
「そうなのですか?」
そんな話、ヴァーサターム王国では耳にした事は無かった、境界線を有しているのは同様なのにグランディル公国とは条件に相違があるのか?
「対処のしようはあるんだよ……問題が有ったらギルド長はすっ飛んでくるだろ、待たされているのがその証拠だ」
「何故自分も同席の必要が?」
先生に言われるまま付いて来てしまったが、自分とアドレーも只の冒険者の一人にすぎない。
先生はソファーの背もたれに肘を掛けるとテーブルに用意されていた茶菓子を手に取る。
「君はおれの助手だからな、今後の動きを知っておいてほしいんだ」
先生が天井を仰ぐ、頭の中で考えを纏めているようだ。
「厄災ってのは瘴気が活性化から起きる現象なんだ。瘴気の塊が数か月かけて成長し臨界に達すると大量の魔物を吐き出す。ここ、グランディル城下の街付近の境界線のすぐ向こうは、瘴気の活性化が起こり易いんだ」
通称『魔界』と呼ばれる大地は瘴気に覆われており、そこから魔物が生ずる。
境界線とは『魔界』から瘴気と魔物を遮断する、魔術で作られた壁の事である。
境界線は、ヴァーサターム王国とグランディル公国の東側、陸峡の山脈にほぼ直線に南北に約五〇〇粁にわたって延びており、その内の北側の一七〇粁弱の距離をグランディル公国が占めている。
その、グランディル公国が面している部分の効果が、何故か、弱いらしい。
「ヴァーサターム王国付近では起きないのですか? グランディル城下街付近の境界線のみで起きるというのも不自然です」
「大厄災の時代、四〇〇年前のあの時から陸峡の北側の瘴気は特に強かったんだ。東の神殿は、当時の戦いの前線基地でな、まさに地獄だった。その頃の影響は今も生きている」
先生はソファーからずり落ちるように浅く座り、沈痛な面持ちで目を細めた。
「『女神の気まぐれ』……境界線の薄い部分はそう呼ばれてる。ふざけんなよ、おれ達がどんな思いで……」
先生は屈辱感を含んだ声で呟く。
とりあえず厄災の原理は理解した、その想定だと起こり得るであろう疑問が浮かんだ。
「あふれ返った魔物は、弱い物なら境界線を素通り出来るし、強靭な者は薄い部分を見つけて突破して来ます。グランディル全域にはびこるのではありませんか?」
魔物は魔力を持つ人間を襲うが、が近付かないと感知されない、であれば周辺に潜伏する筈だ。
先生は目尻に力を込めた、その視線は何か遠くの物を見るかのようだ。
「そこは心配無用だ、厄災で大量発生した魔物は……必ず城下を襲う。これまでもそうだった」
「何故です? 境界線から城下まで最短でも四〇粁離れているんですよ。魔物共の頭の中に地図でも入っていて、襲えと指示されているとでも?」
「そうだ、厄災時の魔物は本能に刻み込まれているんだ。明確な意思という本能、ヤツ等はグランディル城を狙って来る」
……おかしな事だらけだな、これも納得出来る理由があるのか?
手品の種のような、実は単純でしたという……。
「先生は襲われるのは城下街では無く『城を』と仰いましたね。つまり魔物の狙いは人間では無いと? なぜヤツ等はそこを狙うんです? 川向こうに城が有るのもその理由ですか?」
先生は押し黙った、大賢者は嘘を吐かない、先生が良く口にする言葉だ。
つまり言いたくないのだろう、誤魔化す為の嘘も吐けないのだから。
グランディル城下街は南北に流れる河に隔てられている。
東側は防壁に守られており、神殿・商業区・平民住居住区で構成される。
河を挟んで西側が、グランディル城・官行所・貴族居住区でとなっている。
端的に言えば東側が商業、西側が行政を担っているが、城壁は河の東側、境界線がある方向に建てられている。
つまり、東側の街と壁、河を挟むことで三重にグランディル城を護っているという事だ。
城に何があると言うのだ?
「先生、またなぞなぞですか?」
自分は目を細め。顔をしかめて見せる。
先生はそれに対して、眉を寄せて困った顔をした。
「すまない、マシィ。話せないんだ……だけど、君にはきっと話すよ、時が来たら……大賢者の助手としてでは無く、友達として。約束する」
先生は自分の事を友人と見て下さっていたのか……。
内心、自分はフォル羨んでいた。
大賢者の弟子。
一方、自分は助手で弟子には及ばない、だが友人となれば……さて、弟子と助手と友人ではどれが最も上位なのだ?
それにしても友人として、と言われてしまったらこれ以上は追及出来ないではないか。
相変わらずこのお方は……卑怯でズルい。
「分かりました、詳細は問いません。つまり、厄災により大量発生する魔物は城を狙ってくるのですね」
今は厄災に対しての対処が優先だ、それで良しとしておこう。
「私が六歳の時と一二歳の時……厄災は二回あったわ」
アドレーがポツリと呟く、その顔は真っ青で少し震えていた……脅えているのか?
「大人達はみんな大変そうで、みんな殺気だってて……私、スタンダード・ランクの冒険者だから今度は……」
「君は前線には出さん、後方で待機だ」
先生は無碍も無く言い放った、それもそうだろう、自分もアドレーに前線は無理だと思っている。
「何故ですか? 私は一流の魔術師なんですよ!」
アドレーは眉を吊り上げ、厳しい顔をして抗議するが……。
その時、ドアが勢い良く開いた、ノックも無しとは……よほど慌てていたと見える。
「遅れてすみません!」
冒険者ギルド、ギルド長、ビノーが血相を変えた表情で駆け込んで来た。
体格の良い彼が慌てた様子は直の事、只ならぬ事態を思わせた。
神経質そうな顔がより拍車を掛ける。
先生は先ほど『問題が有ったらギルド長はすっ飛んでくるだろ』などと仰っていたが、文字通りにそうなっている気がするが?
「何故この二人が?」
ギルド長は、自分とアドレーがいる事に対して訝しんだ。
「マシィはおれの助手として同席させてます。アドレーは……別件で聴きたい事がね」
先生はティーカップを手に持ち、自分とアドレーが座っている三人掛けのソファーに移った。
「早速ですが……」
ギルド長がテーブルの上に地図を広げる、街道と街と村が記されているが境界線付近は山岳部であるのに、表記されるべきである稜線が書かれていない簡素なものだ。
それは今どきの地図なのに測量もされていない、誰も立ち入れない場所である事を示していた。
ただ国境線が引かれている……その向こうはだれも住んでいないのに……四〇〇年前の、そこに国があった頃の名残、何とも滑稽だ。
先生はその、何も無い空間に指を差す。
「ここです、城下からおよそ東北東、六〇粁位の所に瘴気だまりを確認しました、一日挟んで経過を確認した限りでは、成長速度がそこそこ速く、かなり大きな物になると予想されます」
「境界様の見立てでは?」
「早くて三か月と言った所でしょうか。特に変化が無ければ……」




