ドッグラン19
自分の眼前広がる、漆黒の荒野……。
山小屋から北西に下った先にあるこの地は、かつての大災厄当時の古戦場であった。
山間の中にあって不自然なまでの平たい大地は、その時の激戦を彷彿とさせる。
この地でどれだけの命が奪われたのだろう……その黒々とした土壌には死力を尽くして戦った戦士達の血がしみ込んでいるかのように思えた。
人類存亡をかけた死闘、お国を、家族を、恋人を、信念を、名誉を、尊厳を……護る為に戦った、名も無き英雄達に安らかなる眠りが有らん事を切に願う。
忌まわしい記憶が残る、不毛の大地で……。
先生とフォルが、キャッチボールをしていた……。
「こらー、肘が下がってるぞ~!」
先生がフォルの投球姿勢に注意を与えている。
「コントロールは気にするなー、フォームに気を付けろー」
先生はボールを投げ返すと、フォルは手を伸ばして補球する。
「胸でキャッチするんだー、体が逃げてるぞ~」
はたして……自分は何を見せられているのか?
フォルの訓練に、協力してほしいと乞われたから来てみれば……。
「まさか、自分もキャッチボールに参加しろと?」
先生の背後から声を掛けるが、自分の存在に今気付いたと言わんばかりの白々しい顔で振り返る。
「いや、それは依然断られたからな、期待はしてないよ」
フォルからの返球、大暴投だが先生は軽やかに補球する。
「これは投げる訓練なんだ。物を投げる行為には、意外と慣れが必要なんだよ」
「先生が楽しみたいだけでは?」
そう言うと先生は歯を見せて、満面の笑みを見せた、否定はしないのか……。
先生はフォルを呼ぶとグローブを地面に置いた、分厚い牛皮で色褪せてる状態から年季を感じさせる。
フォルもグローブを置くと自分達から距離を取った、もう説明は済ませてあるようである。
対・魔術訓練。
そう先生からは聞かされている、先生の魔術は特殊だしフッフールさんは容赦がなさそうだから、自分に白羽の矢を立てたのだろう。
さて、フォルとの距離は三〇米程か……。
この訓練は、通常は最低でも五〇米は距離を取るのだが。
「いいですよ~」
フォルは木製の模造ナイフを逆手で右手に握り、手を大きく振って合図を返した。
フォルが準備を終えた事を確認すると、先生がゆっくりと手を上げる。
「よし、では……はじめ!」
手を大きく振り下ろした、と同時にフォルが漆黒の地面を蹴る。
「畏き翠、かげろいて、惑え」
視覚誤認、自分の周囲の空気の、光の屈折率を操作し、敵にこちらの位置を誤認させる術だ。
フォルは感覚が鋭いが、眼前物体の認識には視覚に頼っている。
だから術中にはまる筈だ。
この術の利点は詠唱が早い所だ。
術は発動したが、接近するフォルの攻撃射程にはまだ入っていない。
素早く次の術を行使する。
「畏き翠、さがなしあしの……」
フォルのナイフが傍らで宙を切る、自分の幻影は自身との距離が近い。
いくらフォルの感覚が鋭いとはいえ、一、二米の位置の誤差までは気付くまい。
「放ちのけ……」
フォルは詠唱の声で位置を掴んだようだ、自分の方に振り替える。
「打て!」
フォルの動きよりも早く、詠唱は完了した。
発動した術の効果で、とフォルは見えない壁に弾き飛ばされた。
衝響。
風の壁を作り、目標に叩き付ける、単純で簡単な術だけに発動が早い。
フォルは小柄で体重が軽い、こんな術でも効果がある。
彼女は体を翻して背中から落ち、転がりながら衝撃を吸収している、さすがだ。
「清浄せしむる畏き翠、巡りも排し、あしを掴して失せにけり、縛れ」
フォルに反撃のいとまを与えない、自分は空かさず次の術を放つ。
術が発動した……フォルは首を押さえ、その場に倒れて激しくもがく。
風縛。
この術も、それほど難しい物では無い。
目標周辺の大気の動きを塞き止め、呼吸を奪う魔術だ。
欠点を上げるなら、術の効果が発動しても、息を止めれば反撃が容易なところだ。
無呼吸でも活動出来る、反撃は可能、この術は敵魔術師の声を奪って詠唱を止めるのに使うのが普通だ。
だが不意打ちで、しかも立て続けに術を受けたフォルは面食らった事だろう。
彼女は己の身に何が起きたのか、理解出来ずに狼狽えている。
狙い通りだ。
「止め!」
先生から戦闘停止の合図が下された、自分が術を解除すると、フォルはぐったりして横たわった。
フォルは息を切らしながら仰向けになると、茫然とした面持ちで困惑を秘めた瞳で空を仰ぎ見ている。
「君も大概だな……初対戦で今のフォル相手に、魔術で勝ち切るとはな」
先生があきれ顔で笑みを漏らす。
「ギルドで重宝される訳だぜ。接近戦に臆せず、正確に術を行使する胆力は見事だ」
魔術師は支援が原則だ、接近戦ではまず勝ち目が無い。
呪文の詠唱に五秒掛るとしたら、暴漢であればその五秒で襲い、盗み、笑いながらその場を立ち去るだろう。
戦いの中の五秒は、それほどに長く、重い。
今回、フォルとの距離は三十米、彼女の身体能力なら三秒もあれば接近可能だ。
なので発動が速い『視覚誤認』で接近前に位置を誤認させて攻撃をそらし、『衝響』で弾き飛ばして距離を取った上で、『風縛』で動きを封じてとどめを刺した。
「あーー悔しい! 何よ、あれ……ずるい、ずるいーー!」
呼吸を整えたフォルが、その場で手足をバタづかせて悔しがっている。
その姿は滑稽で、また年相応の姿に思わず吹き出してしまった。
フォルは眉をひそめ、ふくれっ面を向けて来たが、自分は勝ち誇った顔を返して見せた。
接近戦特化のフォルに、後れを取る訳にはいかない。
魔術が使えない獣人にとって、呪文の文言から術の効果を想定するのは困難なはずだ、容易には対応は出来ないだろう。
だがフォルには、遠くない未来に攻略されるだろうと予感はしていた。
大賢者の助手と弟子……。
兄貴分としての貫禄を、出来るだけ長く見せ付けてやろうと思った。




