子犬のワルツ8
自分はやるせない思いを抱えながら、フォルと大賢者様を見つめていた。
フォルは立ち合いの興奮から醒めたようで落ち着きを取り戻し、大賢者様を見つめる。
何かを言い出そうとしている様子で口を開きかけたが、俯いて押し黙ってしまった。
大賢者様は静かに彼女を見つめ続ける……フォルは俯いたまま口を開いた。
「賢者様は強かったです……小さいのに凄く強い」
フォルは小さく震えている……。
「わたしも小さいです、賢者様よりも小さいけど……」
フォルは意を決した様子で顔を上げ、大賢者様に強い視線を送ると、震える声で言葉を続けた。
「わ。わたしも、強く……なりたいです、わたしも、わたしにも出来ますか?」
大賢者様はフォルの目を優しく見つめ返す。
「君はどうしたい?」
その言葉に呼応するかの様に、フォルは力強く答える。
「弟子に……わたしを弟子にしてください!」
……。
暫しの沈黙……大賢者様は目を閉じ、腰に手を当てると軽く息を吐く。
「初めてだな、やりたい事を、フォルから言い出したのは」
大賢者様は閉じていた目を開けると、鋭い眼光をフォルに向ける。
「いいぜ、幾らでも教えてやるさ、だが厳しいぞ……耐えられるか?」
「はい! 頑張ります‼」
自分は二人のやり取りに愕然としていた、大賢者様がフォルの弟子入りを許した!
以前、大賢者様は弟子を取らないと仰っていたのに、二つ返事で了承してしまっただと?
大賢者様はフォルの胸元に手の甲を押し当てると、穏やかな表情で続けた。
「徹底的に強くしてやるぜ、そして強くなったら……それでオレを守ってくれ!」
何を言ってるのだ……あのお方は? なのにフォルの顔は晴れやかだ。
フォルは顎に指をあてると首を傾げた。
「これからは、お師匠様とお呼びした方がいいですか?」
大賢者様は、困惑した様子で頭に手を置いた。
「師匠は勘弁してくれ、ガラじゃない……そうだな」
手を組んで大賢者様は少し考え込む。
「先生……でいいか、今後はそれで」
「はい、先生!」
元気よくフォルは返事を返す。
相変わらず、畏まった呼ばれ方がお嫌いのようだ……先生か、悪くないな。
「では弟子よ、風呂を沸かしてくれ、土まみれで気持ち悪い」
大賢者様が襟を引っ張ると土が零れ落ちる、泥に潜った時に服の中まで入り込んだのだろう。
「分かりました、先生!」
そう言うとフォルは風呂釜の方に走っていく、建物の陰に隠れるのを見届けると自分は大賢者様の元に向かった。
「宜しかったのですか? 先生」
「何で君まで、そう呼ぶんだ?」
大賢者様は、露骨に顔を歪ませた。
「大賢者様、と呼ばれるのを嫌がってたでしょう、良い機会だし自分もそう呼ばせて頂きますよ」
これは自分の身勝手な意趣返しだ、そう言い残し、騎士が落とした剣を拾いに行く。
大賢者様と、否、これからは先生と呼ぶ、フォルがやり取りをしている間に、騎士はフッフールさんに小屋に連れていかれたようだ。
自分は騎士が使っていた剣を拾い上げる。
重い……あの騎士はこんな物を振り回していたのか……怪しく光る巨大な刃を間近で見て身震いした。
フッフールさんは先生がはったりで打ち負かしたように語っていたが……こんなものを使う危険な相手に挑むなど、正気の沙汰では無い。
先生の強さは武の技だけでは無い、恐怖に打ち勝つ胆力、戦闘に対する冷静さが勝利を呼び込んだのだと悟った。
***
剣を騎士団長に届けようとドアを開けると、そこには先生が立ちすくんでいた。
リビングのソファーで騎士団長を手当てしているフッフールさんが、先生を鋭く睨み付けている。
「ばっちいから上がらないで、お風呂が沸いた後に土を外で落としてから上がりなさいね、先生」
先生は困惑した様子で眉をしかめる。
「おいおい、君までそう呼ぶのか?」
「住人が増えたんだから、呼称があった方がいい」
フッフールさんが先生から視線を外し、騎士団長の手当てを続ける。
先生は肩をすくめると建物脇のほうに歩いて行かれた、フォルの元に向かったのだろう。
自分は騎士団長に剣を差し出すと、彼は礼を言って受け取り、その脇に置いた。
騎士団長は、シャツを脱いでいて上半身は裸の状態だ。
その体には……無数の痣が刻まれていた。
防具越しでも打撃は通っていたのか、鎧通しという技があると聞くが、それなのだろうか?
「急所は避けているわね、アイツはちゃんと弁えている」
フッフールさんが包帯を巻きながら呟いた。
「魔法薬のシップを使ったから熱は出ないと思うけど、今夜は泊って養生しなさい」
フッフールさんが付き添い、騎士団長を二階の客室に連れて行くと、フォルが自分の元に駆け寄って来た。
風呂が沸いたのか……と考えていると、フォルは胸元で両のこぶしを固く握り、床に頭を擦り付けんばかりの勢いで謝罪をして来た。
先生が説明して下さったのだろう、誤解が溶けたようだ。
フォルは、自分が神殿に彼女の存在を報告したから、騎士が捕まえに来たと勘違いをしたのだろう。
神殿は獣人を捕らえて、残酷な仕打ちをする恐ろしい所……そう教えられたのは想像に難くない。
もちろん、事実無根だ、神殿は獣人族を忌避しているが、迫害や監禁をするような事は決してしていない。
フォルの必死に許しを乞う剣幕に気おされたが、またクッキーを焼いてくれと言ってその場を離れた。
彼女、獣人に対する疚しさがあったのは事実で、居心地が悪かったからだ。
過ごした時間のおかげで、フォルに対する嫌悪感は減少した。
彼女は温厚で優しく素直で真面目……自分にとって、フォルは他の獣人とは違う存在だ、だが……。
『フォルが獣人である事を忘れるな』
先生の言葉が頭をよぎった。
そもそも、自分はフォル以外の獣人の事を一切知らない……。
***
自分は無意識のうちに、足が脱衣所に向かっていた。
湯を流す音がする、湿度が高くて蒸っぽい……このドアの向こうに先生がいる。
「マシィか、いや~まいるね、何回流しても髪の毛から土が出てくるんだ」
冗談めいた口ぶりに少し安心する、自分はドアに手を添える。
「先生、わが師は大賢者は弟子を取らないと仰っていました、何故なのですか?」
「ガラじゃねえ……」
先生は言葉を切り、暫し間を置いた後に、自ら沈黙を破った。
「おれは大賢者だ、そんな野郎の教えを受けたヤツは、どんな人生を送るんだろうな……」
声の感じが一転して真面目になる、これは先生の、大賢者様の本音……。
「賢者の言葉は重い、その教えは楔となってソイツを縛るかもしれない」
「しかし、あなたはそれでも、人を導くべきでは?」
大賢者であるなら、そうあるべきだと思う。
『賢者』とは、教え導くべき存在では無いのか?
「導きってのは危険なんだ。地図で目的地を示すのは簡単だ。だが、ソイツが地図ばかりに囚われて、目の前の道を見なかったら? 何処にもたどり着けずに迷うだけだ」
それは低く、苦悩を含んだ声……自分を諭すだけの意味合いでは無く、先生自身の戒めなのだろうか?。
「ソイツが持つ信念が、言葉の意味を捻じ曲げることも有る」
先生は湯を流すと、苦しそうな口調で言葉を続けた。
「言葉は無力だ」
自分は学院研究員として、本来なら否定するべきだ……だが何も言い返せない、自分にも思い当たる節がある。
つい先ほどだ、逆上するフォルに何も言えなかった、言葉が出なかった。
何を言っても無駄だと、思ってしまった。
「言葉なんて所詮、情報伝達の手段の一つに過ぎないんだ
だったらおれは、それが通じないのなら、もう一つの意思疎通の手段、暴力もためらわず使わせてもらう」
先生は力強くそう断じたが、その考えは間違っている、その筈だ。
だが、そんな事は先生自身も理解しているのだろう。
その声には、苦痛が混じっているように感じた……。
大賢者が武術を習得した理由……温厚なお方で、決して好戦的では無い。
それしか解決策が無い局面が、過去に幾度と無く在ったのかもしれない。
「巻き込まれた側には、たまったものでは無いでしょうね」
自分は冗談めかした物言いをする、賢者を志す者としては容認出来ないが、今は否定しきれない思いもある。
「あの騎士殿には、後でちゃんとあやまておくよ」
先生の声は、いたずら気味の明るい物に代わり、自分は安堵して気が楽になった。
「なあマシィ……大賢者が頭を捻って、美辞麗句を並び立て必死に口説いても、最終的におれは、このガキっぽい見てくれでフラれるんだ」
安心したのも束の間、何やら話の雲行きが怪しくなったぞ。
「所詮、オンナなんて背が高いハンサムがいいって事なんだよ」
自分は深いため息を付いた……まったく、このお方は。
だが、少し心が軽くなったのも事実だ。
「地本屋のギルド長も言ってましたよ、もっと読み易く翻訳出来ないのかって」
扉のすりガラス越しに、先生はうな垂れて頭を乱暴に洗う。
「あれ以上は無理だって! 元の文体って物が有るんだからさあ……」
「あなたの本を待ってる者達も多いのです、頑張ってください、先生」
自分が冗談交じりにそう言うと、先生は嫌そうな声色で自分に語り掛けてくる。
「なあ、マシィ……その先生って呼び方は決定事項なのかい?」
もちろんだ、あなたは紛れもない、自分の、掛けがえのない先生だ。
この章はこれにて完結です。
プロローグから続く「闘犬4」を挟んでから
新章開始します。ようやくフォルの修行編です。
以後は、日、火、木、土の昼位のペースで投稿します。




