子犬のワルツ4
自分が目覚めを認識する、いつもより早い時間だ。
昨日の話からフォルの、獣人の能力の高さを思い返す。
衰弱しきった状況でも、匂いと音と気配で状況を把握し、自身の気配を消してやり過ごして生き残った。
十二歳の少女がだ……獣人とはそれほどの物なのか?
完全に覚醒してしまったので寝直すこともせず、リビングに向かうと厨房から大賢者様の声が聞こえてきた。
「緑色がかった部分は厚めに剥くんだ……」
厨房を覗いてみると、フォルが大賢者様と芋の皮剥きをしていた。
「何をしているのですか?」
大賢者様に訪ねと、何故か呆れたような顔が自分に向けられた。
「見れば分かるだろ。ジャガイモの皮を剥いてるんだ」
「それは分かります……」
自分は腰に手を当て、大賢者様を軽く睨む。
大賢者様は視線を自分から外し、フォルの方を見る。
「おれの料理を気に入ってくれたらしくて……下ごしらえをしてたらフォルが興味深げに見て来るからさ、試しにやらせてみたら、なかなか筋が良くてな……」
大賢者様は締まりのない顔をする、大層嬉しそうだ。
「料理が出来れば、将来の選択肢が増えるだろ、飯屋で働けるし店を出してもいい」
果たしてそうだろうか? 獣人が作った料理など、敬遠されそうだが……。
フォルに視線を移すと、何やら困った様子で力んで体を揺らしている。
突然、大賢者様がフォルの腕を強く掴む。
はずみでフォルの手から芋が落ちる、それを大賢者様が空いていた右手で捕らえた。
「あぶねー! いびつな部分は無理に薄く剥かなくていい、そのまま切り落とせ」
驚いて目を見開いているフォルに、先生は芋を渡すと安心させるかのように笑いかける。
「まあ先の事はともかくだ……フォルが料理覚えてくれたら、おれは別の事に時間が使えるしさ」
それは同感だ、だが気掛かりもある。
案の定、自分は夕飯に出た芋の炒め物に、ほとんど口を付けられなかった。
味に問題は無かった、ただ食すのに抵抗があった。
翌日の朝食も、パン以外はほとんど口に出来なかった。
……その手にした物を口に運ぶのに、強い抵抗を感じた。
翌日の朝食も、パン以外はほとんど口に出来なかった。
午前中、大賢者様が山歩きに出かけられている間は、部屋に籠って勉学に励む。
昼前にもリビングには顔を出さずに大賢者様の書斎に移動して、作業の準備をした。
昼過ぎに大賢者様が戻られ、書斎に入ってこられた。
「トマトのブルスケッタだ」
そうおっしゃって自分の前に差し出される。
「これはおれが作った……腹、減ってるだろ?」
少し気まずそうに受け取り、口に運ぶ。
トマトのさわやかな酸味がオリーブオイルのコクとよく調和している。
空腹に加え、バジルの心地よい香りが食欲をそそる。
大賢者様の視線を感じたが、手が止まらない。
「なあマシィ、やっぱりフォルの……獣人の料理は無理か?」
一気に体が緊張し動きが止まる、これは咎められる……。
こうなる事は予想していた、だから自分もいろいろと言い分を考えてもいたのだが……。
「すまなかった、オレが勝手に色々決めちまったからな……」
逆に謝罪をされてしまった……大賢者様が申し訳なさそうな顔をして、ばつが悪そうに頭を掻く。
「君の食事はおれが作るから……だから今後はちゃんと食べてほしい」
そうだ、このお方は……いろいろと無神経なところがあるが、決して他者を蔑ろにはせず、常に気に掛けられている
大賢者様に気を使わせてしまった事に対して、自責の念に駆られた。
「お気遣い無く……今後はきちんとと食べます」
自分は助手だ、大賢者様を煩わせてはいけない。
自制する決意を固める、味に問題は無いのだ。
話題に上がったついでに、兼ねてからの疑問を聞いてみる。
「蒸し返すつもりではありません、フォルがここに住む事に同意してます……その上でお伺いしたいのですが、大賢者様は彼女をどうなさるお積りなのですか?」
大賢者様は少し呆気に取られた表情をしたが、腰を下ろすと腕をだらんと下げて天井を見上げる。
「彼女さあ、率先して家事を手伝ってくれてるんだ、すごく一生懸命で……」
何の話をなさっているのだ?
「役に立つところを見せたいんだろうな、まったく、追い出したりしねえってのに……帰る場所があるなら送るって言ったんだが……家族ももういないんだろう」
「大賢者様?」
訝し気に声をかけると、大賢者様は自分に視線を向ける。
「まあ、考えてるさ、まだ話す段階じゃ無いというかね」
回答になってない……結局、話す気は無いという事ではないか。
「でしたら、モップも考えてあげたらどうですか? フォルには長すぎですよ」
それを聞き、大賢者様は満面の笑みを浮かべる。
「良いんだ、あの長さに意味がある」
……また適当な事をおっしゃって……。
「フォルが美麗だからって、育てて手籠めにするつもりでは無いですよね?」
その言葉を聞き、大賢者様は下卑た笑みを浮かべた。
「ほほう……君にもフォルは、可愛らしく見えていたか」
失言だった! 意趣返しのつもりが、うっかりした……。
大賢者様は目を細めて、薄く笑みを浮かべる。
その視線に、顔が熱を帯びる、耳まで赤くなっているのが分かる。
「色艶も良くなって魅力的だろ、フッフールが念入りに手入れをしてるからな。行儀もだいぶ良くなった。沢山食わして運動もさせてるから体付きも女性らしくなって、胸も膨らんできたぞ、たまらんだろ」
大賢者様が早口でまくし立てるが、聞き流して仕事を始めた。
「神殿と戦ったのはフォルじゃない」
大賢者様は一転、真剣な表情でそう言い放つ。
……その夜の食事は完食した、不快感は和らいだな気がする。
***
翌日、昼前に大賢者様は山歩きから戻られたなのだが……厨房のテーブルの上に大量の芋が乗せられていた。
かごに小分けされており、全部で五〇個はある。
フォルがその皮を剥き、大賢者様は肉を叩いている。
「今度は何を始められたのですか?」
少々呆れ気味に大賢者様に問う。
「練習用にな、ベイオルフ亭の親父に頼んだんだ。上達には数をこなすのが一番だからな」
ベイオルフ亭とは冒険者向けの飲み屋件食事処で、以前に大賢者様が外套を取り上げられた店だ。
フォルの練習台に、材料を融通してもらったという事か。
「処理した材料は神殿に取りに来てもらう手はずになってる、転移陣を使うから運搬は五分もかからないぞ」
「用意周到ですね、でもいいのですか? 獣人のフォルが下ごしらえしたものですよ」
自分は心配事を告げると、大賢者様は手の平を振る。
「店の親父には説明済よ、食う連中には分からんし……」
それでいいのか? 倫理観に欠けるでは……。
そんな事を考えながら、昨日の大賢者様との会話を思い出しフォルを見る。
すっかり回復して元気になったフォルは……かなりの美少女だ。
顔立ちが整っていて大きな目に長い睫毛、なにより琥珀色の瞳が実に魅惑的で視線を引き付ける。
それと人の物とは異なる部分……細く弾力がありつややかな髪質と、人より高い部分にある大きな獣の耳、長く大きな尻尾も特徴的だ。
イヌ種、トイ族は獣人の中でも小柄らしい……が、ノーム族は更に小柄だ。
ヒトとの差異で計るなら、トロル族の方がよほど異質な見た目だ。
トロルは巨体に硬い肌、馬の顔を短くしたような容姿を考えたら獣人の方がよほどヒトに近い。
中央神殿の学院には、トロル族の賢者がお一人だけ在籍しており、初めて目にした時、その巨体に驚愕した。
容姿だけならフォルの方が受け入れやすい……。
何故、彼女は獣人なのか?
「終わりました!」
当然、フォルが大声を上げたので思考が中断する。
大賢者は処理済のに一通り目を通し、その中の一つを手に取って確認すると、満足げに軽くうなずいた。
「思ったより早かったな、これなら倍に増やしても大丈夫かな」
「倍って、何個ですか?」
フォルは、小首を傾げて大賢者様に訪ねた。
「そうか、計算は出来ないのか……読み書きも出来なかったよな、教えてやろうか?」
「お願いします!」
フォルは両手のこぶしを握り、尻尾を激しく振りながら大賢者様に詰め寄る。
その勢いに大賢者様は気圧されるが、落ち着けと言わんばかりに言葉を返す。
「フッフールには、勉強を教えるのは無理だろうからな……」
確かに……フッフールさんに魔術の手ほどきを受けると、とにかく言葉が足らないのと感覚的な説明をされるので、いつも困惑している。
しかし、大賢者様が勉学を教えるのは……と考え、小さく手を上げる。
「自分で良ければ、引き受けますが」
二人が虚を突かれたような顔でこちらを見ると、フォルが不安げに口を開く。
「いいの? マシィはお勉強で忙しいって、フッフールが言ってたけど」
「かまわぬ、教鞭を取る事も賢者を目指すものとしては、良い経験となる」
大賢者様はフォルの頭に手を置き、自分を見て微笑みを浮かべる。
「じゃあ頼んだ、無理はしないようにな、困ったことがあったらいつでも相談に乗るから」
自分は獣人を、フォルを知る必要がある、そう思えたから申し出た。
だが、のちに少々後悔する事になる。




