子犬のワルツ3
「何か見たのか!」
大賢者様が声を荒げた、顔には驚愕の色が浮かんでいる。
フォルは首を横に振る。
「……大きくて嫌な感じがするヤツが、見てはいませんが……」
自分は、フォルの発言内容に懐疑的になる、気配などと不明瞭にも程がある。
「そなたは衰弱しきっていたのだろ? 錯覚ではないのか?」
彼女がここに連れられて来た時は、生きているのが不思議な状態だったのだ。
フォルは真剣な面落ちで自分に強い視線を向ける。
「ボーっとしてたけど……あのイラっとする気配は間違いないよ」
そう言って自分に向けられた視線には、力が籠っていた。
「耳と鼻はちゃんとしてた……沢山の、数は三十ほど、オオカミ達からは魔獣の臭いがした」
フォルは断言する……少し声が震えている、その時のこと思い出しているのだろう。
大賢者様は机に肘を付き、組んだ指を額に置いて何かを考えてる様子でフォルに問い掛ける。
「フォル、オオカミは魔獣だったのか、野生のものでは無かったのか?」
フォルはゆっくりと大賢者様に向き直る。
「獣臭もしていました。賢者様が言う通り、野生のオオカミだと思います」
「つまり、魔獣化したって事か?……そんな事が……いや、オオカミにしては被害が大きすぎる……魔獣化による強化の影響って事か……?」
大賢者様がひとりごとのように呟く。
「賢者様、今までの襲撃の時間って分かりますか? わたしの時は夕方でしたよね?」
大賢者様が訝しむ表情をフォルに向ける。
「君は箱の中だったはずだ、時間が分かるのか?」
「音と匂いで大体は……」
獣人というのはそこまで感覚が鋭いのか……自分が驚愕している間にも、フォルは言葉を続ける。
「気配が……オオカミ達は興奮した感じがして」
「興奮、夕方……狩猟本能か!」
そう叫んで机に手付いて立ち上がった大賢者様に、おずおずと尋ねる。
「どういう事ですか?」
「オオカミは薄明薄暮性なんだ、活発に動く時間が夜明けと夕暮れ時、つまり……」
大賢者様は手元の資料を確認する。
「過去の出現で十一回、中九回がその時間帯だ、てっきり往来が少ない時を狙ったものだと思っていたんだが別の理由があったのなら……確証は無いが警戒の根拠にはなる」
大賢者様は立ち上がると、懐から亜麻袋を取り出し、フォルに手渡した。
中身を確認したフォルが慌てふためき、袋を返そうとする。
あの様子だと、前回渡した金額より多かったのかもしれない。
「ありがとう、フォル、これでやれることが増えたぜ」
しっかりと亜麻袋を握らせるが、フォルは逡巡していて落ち着かない様子だ。
大賢者様にはそれだけの価値があったのかもしれないが、自分には不信感が残る。
「お待ちください、大賢者様! こんな子供の……魔獣の心象を真に受けるのですか?」
そう言い放つと、フォルはどこか、悲しそうな眼差しで自分を見る。
「わたしは獣人だよ、魔物の事、知らないと思った?」
「マシィ、人里から離れて暮らす獣人族は割と多い……それがどんな場所か考えてみな」
大賢者様が優しい声質で問う。
人里から離れた場所……。
森林や山岳部などは魔物はもちろん、熊やオオカミなどの危険な野生動物も出没する。
つまりフォル達は……獣人は全てでは無いとしても、そんな場所で暮らしているという事。
彼女は、どんな世界で生きて来たのだろう。
侯爵家に生まれた自分が知っている世界は、あまりにも狭い。
「……」
空気が重くなってしまった……。
自分の発した言葉のせいなので、いたたまれない。
大賢者様が手をひらひらさせる。
「獣人に限ったこっちゃねーよ、牧場や畑にだって魔物は出るんだ、エルフ族だって森の中に住んでるし、ノーム族やトロル族も岩山に好んで住んでるんだ」
そうは言うが、獣人族とて好き好んでそんな場所に住んでいる訳では無いだろう。
大賢者様は頭の後ろで指を組み、フォルに視線を向ける。
「獣人族は他種族と比べても感覚が鋭いし体も強い、フォルが千匹オオカミの襲撃で生き残ったのは偶然じゃない」
「はい、気配を消してました」
フォルは事も無げにそう答えたが……魔物は人類が持つ魔力を追跡する。
気配を消すなどと、そんな事が可能なのか?
大賢者様が、意地の悪い笑みを浮かべて自分を見ている。
心の内が見透かされている様で、腹立たしい。
「……それにしても」
自分はそう言いかけると、少し考える。
別の話題を振って、話の流れを変えたい。
「千匹オオカミという名は……垢抜けないというか、なんとも野暮ったいですね」
「みょうちくりん、ていうか微妙だよね」
少々強引だったか……と思ったがフォルが乗って来た。
「なんかすごく弱そう」
フォルが畳みかけて来た、その言葉に乗る事にする。
「変異種の名なら、もっと精悍な方がいいだろうにな」
よし、話題を逸らすことに成功した。
大賢者様を見ると足を組み、頬杖を付いて口元を歪ませた。
「悪かったな……」
苦々し気に、大賢者様がそう漏らす。
「どうせおれはネーミングセンスゼロだよ……」
大賢者様はふて腐れた口ぶりでそう答え、拗ねた顔をする。
その様子に、フォルが口元を押さえ戸惑っている。
やはり名付け親は大賢者様だったのか、予想はしていた。
おろおろしているフォルと、物調面の大賢者様を前に、自分は耐えきれずに、吹き出してしまった。




