夜の始まり
「そこにいるのはわかってる。用があるなら出てこい」
「……へぇ、気づいていたのか。意外だな」
闇の奥から、二人の男が姿を現した。
一人は細身で背が高く、もう一人は小太り。
どちらも返り血の染みついた服をまとい、腰には所々に錆の浮いた剣を差している。
人のことを言えた身分ではないが、お世辞にも身なりが整っているとは言い難い。
「もしかして野盗か?」
アストが尋ねると、男たちは一瞬きょとんとした顔で互いを見やった。
そして次の瞬間、腹を抱えて笑い出した。
「もしかして野盗か? だってよっ!」
「正面切って聞かれたのは初めてだぁ。うんうん、俺たちはもしかしなくても野盗だよぉ〜」
「静かにしろ。エミリーが起きる。それと、言っておくが金はないぞ」
「こいつ面白いな。普通なら『有り金全部渡すから、命だけは!』って常套句が出てくるはずなのに」
「お前、よく常套句なんて難しい言葉を知ってるな」
小太りの男は得意満面に胸を張った。
「ま、俺は学があるからな」
「ガク〜」
細身の男が茶化すと、二人はまたもやゲラゲラと笑い出した。
(何がそんなに面白いんだか、さっぱりわからない)
アストが内心で首を傾げていると、細身の男がニヤニヤしながら口を開いた。
「金がないなんてのは、一目見ればわかるんだよ。俺たちの目的は、奥でスヤスヤおねんねしているエミリーちゃんだ」
エミリーの名が出た途端、アストの眉がぴくりと動いた。
「なぜだ?」
「なぜ? お前、面白いだけじゃなくて馬鹿なのか?」
「まぁまぁ、ここは賢い俺が、馬鹿にもわかるように説明してやろうじゃないか」
小太りの男は咳払いを一つすると、芝居がかった口調で語り始めた。
「エミリーちゃんは、なかなか可愛らしい顔立ちをしていらっしゃる子供だ。そして一方には、そんな子供をこよなく愛するお貴族様がいらっしゃる。ところが、お貴族様には体面という、飯の種にもならないものを守る必要がある。だから大っぴらに子供を買うわけにもいかない。そこで俺たち仲介役の出番ってわけよ」
「……つまり、エミリーをその貴族に売るということか?」
「少し違うな。丁寧にリボンを付けて、高値で売りつけるんだよ。エミリーちゃんは大きなお屋敷で美味いものをたらふく食べられてハッピー。俺たちも懐が潤ってハッピー」
「まさにハッピーハッピーってやつだ」
「──そうは言っても、夜のお勤めはそれなりに大変だろうな……」
細身の男は、どこか遠くを見つめるような目をした。
「噂だとかなりでかいらしい。普通に裂けちまうんじゃないか?」
「それがまた興奮するって話だ」
「まさに変態極まる、だな」
二人は顔を見合わせ、どぶの底に沈んだ泥のような笑みを浮かべた。
(ゼットに拾われる前の俺は、優しい世界にいたんだな)
今なら、そう思うことができる。
アストとて、もう子供ではない。
人の世界が綺麗事だけで回っているわけではないことくらい、知っているつもりだった。
だが――。
(本当に、知っているつもり、だけだったみたいだ……)
いつの間にか、爪が掌に食い込むほど強く拳を握りしめていた。
胸の奥底で、何かが静かに煮えたぎっている。
アストは男たちに向けて、一歩踏み出した。
「お、こいつやる気満々って顔してやがる」
小太りの男が、余裕たっぷりに笑う。
「命知らずな奴は嫌いじゃねぇぜ。その腰にぶら下げているものも、ついでにもらっておいてやるよ」
「あれも売るのか?」
小太りの男が、アストの腰にある剣を眺めた。
細身の男は自分の剣に目を向け、
「こいつも大分痛んできたからな。俺の新しい相棒にする」
「お前だけズルくないか? 俺の剣も大分痛んでるんだが?」
「俺のよりはまだマシだ」
「まぁ、今回は譲ってやるよ」
目の前の相手が、すでに自分の間合いに入っていることにも気づかず、二人は呑気な会話を続けていた。
「──抜く必要もないか」
「あ゛?」
小太りの男が剣に手をかける。
だが、その手が柄を握ることはなかった。
次の瞬間、アストの姿は男の視界から消えていた。
「……は?」
男が間の抜けた声を漏らす。
すでにアストは、その背後に回り込んでいた。
首を掴み、掌握する。
骨の砕ける感触が、手から腕へと生々しく伝わってきた。
手を離すと、男はその場に崩れ落ちる。
(もろすぎる……)
あまりにもあっけない最期だった。
アストは、今しがた人を殺めた自分の手をじっと見つめた。
(──とくに何も感じない)
恐怖も、罪悪感も、後悔もない。
(死に触れることが日常になりすぎたせいか?)
それとも、ゼットと長く暮らすうちに、人としての倫理観を失ってしまったのだろうか。
考えてみても、答えは出なかった。
細身の男はといえば、地面に倒れた仲間とアストを交互に見つめている。
目の前で何が起きたのか、まだ理解できていないようだった。
アストが一歩踏み出す。
「な、何をした?」
「見ての通りだ」
その言葉を最後に、男は数秒ほど固まっていた。
やがて、弾かれたように踵を返す。
逃げるつもりらしい。
アストは一瞬で距離を詰め、男の裏膝を蹴りつけた。
「ぐあっ!」
膝の力を失った男が、勢いよく地面に倒れ込む。
その背中に跨がると、アストは顎に右手をかけた。
「や、やめ……」
男の懇願を無視し、弓をしならせるように右腕を後方へと引いていく。
見逃せば、仲間を大勢引き連れて戻ってくるかもしれない。
そんな危険を冒す理由はなかった。
間もなく、重く鈍い音が夜の静寂を破った。
男の身体から力が抜け、白目を剥いたまま動かなくなる。
アストは男の背中から降り、短く息を吐いた。
(……やっぱり、何も感じない)
それが、少しだけ気持ち悪かった。
(エミリーが怖がるといけない。死体を片付けておかないと)
二人の死体を、彼女の目に触れない茂みの奥へと運ぶ。
寝床に戻ると、エミリーは膝を抱えるようにして眠っていた。
小さな身体を丸め、身じろぎ一つしない。
(寒そうだな……)
アストは焚き火に薪をくべた。
乾いた枝が弾ける音とともに、炎が勢いを増していく。
揺らめく橙色の光が、エミリーの頬を優しく照らした。
ゼットと共にアストが生きてきた世界と比べれば、人の世界での野宿など欠伸が出るほど生温い。
夜の冷気も、周囲に潜む危険も、アストにとっては慣れ親しんだもの。
それでも、エミリーの命を背負っている以上、眠るつもりはなかった。
アストは焚き火の傍らに腰を下ろし、空を仰ぐ。
コロニーであろうと、人の世界であろうと、星の輝きに変わりはない。
どれほどの年月が過ぎようとも、何十年、何百年と時を重ねようとも、星々は変わらずあの場所で輝き続けるのだろう。
ふと、夜空を横切る影があった。
夜霧鳥だ。
独特な鳴き声を響かせながら、翼を広げて西の空へと飛び去っていく。
その姿が闇に溶けるまで、アストは黙って見送る。
夜は、まだ始まったばかりだった。




