初仕事
無一文となったアストは、その日の夜、木の上を寝床とした。
そして翌日。
アストは昼少し前にギルドへ到着した。
トルティアは、アストの姿を見るや否や、
「もう依頼人来てますよ。──お見えになりました」
背後の壁越しに声を投げかける。
奥の扉が遠慮がちに開き、依頼者と思われる人物が姿を見せた。
見た目は七つか八つくらいの少女。
くすんだ金色の髪を肩口で揺らし、くりくりとした丸い瞳が不安げにアストを見上げている。
その背後に、痩せた老婦人が寄り添うようにして続く。
(依頼人ってこの人たちか……)
昨日デモンズイータに因縁をつけられていた二人だと気づくのに、大した時間もかからなかった。
少女はアストの剣を見て、明らかに怯えていた。
老婦人は何かを言いかけたが、結局言葉にすることはなかった。
トルティアが自信満々に口を開く。
「この方がお孫さんをお送りします。万が一野盗に襲われても腕は確かなのでご安心ください」
(知りもしないくせによく言う)
と思ったが、黙っておく。
実際人に剣をむけたことなど一度もないが、依頼人をことさら不安にさせることもないだろう。
老婦人はアストに向けて、深々と頭を下げた。
「少ない報酬にもかかわらず依頼を受けていただきありがとうございます。本来なら私が送り届けてやりたいのですが、この足ではどうにも……」
老婦人の目は、自身の右足に向けられている。
「足が悪いのですか?」
「はい、一か月前から膝が痛くなりまして。最近は歩くのもしんどくなりました」
屈んだアストは、老婦人の右膝に左手を当てた。
「あのぉ、一体何を……」
突然のことで困惑する老婦人に、アストは優しく告げた。
「少しだけジッとしていてください。ちょっとしたおまじないみたいなものです」
「はぁ……」
十秒ほどで膝から手を離したアストは、老婦人の手をギュッと掴む少女に目を向けた。
「名前は?」
「──エミリー」
「俺はアスト。エミリー、これからよろしくな」
「……よ、よろしくお願いします」
か細い声だが、言葉自体ははっきりしている。
(問題なさそうだ)
小さなリナの頭を優しく撫でると、強張っていた老婦人の表情がフッと和らいだ。
アストは老婦人に向き直り、
「お孫さんを無事に送り届けます」
「よろしくお願いします」
アストが頷いていると、トルティアは「へぇ」と、意外そうな表情を浮かべる。
あらためて、トルティアに問うた。
「目的地はどこですか?」
トルティアは手早くカウンターに地図を広げた。
「ここから南東に位置する【ミズ】村が目的地です。子連れでも二日あれば到着できるでしょう。途中街道を外れる峠道もありますが、野盗にさえ気を付けていれば大した危険はありません」
「そう言えばさっきもそんなこと言ってましたね。野盗っていうのは頻繁に出るものなんですか?」
「最近は不景気ですからねぇ。ただ彼らも金のありそうな人間しか襲いません。それほど心配する必要はないでしょう」
気楽な感じで言うトルティア。
暗に金が無さそうなので大丈夫だと言われている気もするが、本当に金はないので反論しようもない。
アストは地図を眺め、道程を脳裏に刻み込んだ。
「では行きます」
言うと、老婦人は手にしている袋をおずおずとアストに差し出した。
「お荷物でなければお持ちください」
「開けても?」
老婦人の了承を得て袋を開くと、ピカピカに磨かれたリンゴが二つ入っていた。
彼女の思いが透けて見えるようなリンゴだ。
「ありがたく頂戴します」
「孫を、エミリーのことをよろしくお願いします」
その声音には孫を託す覚悟と、後ろ髪を引かれるような寂しさが入り混じっていた。
「無事送り届けたらこの子の両親にサインをもらってください。これがないと報酬をお渡しできません。くれぐれも忘れないようにお願いします」
「わかりました」
手渡された書面を懐に突っ込み、二人に見送られながらギルドを後にする。
歩き始めてまもなく、エミリーが小さな声で呟いた。
「おばあちゃん、足が悪いのにエミリーがついていなくても大丈夫かな……」
「今度エミリーが顔を見せるころには治ってるさ」
老婦人のオドがかなり弱っていたので、アスト自身のオドを少しだけ転換して活性化させた。
時間はかかるが、いずれ元通りになるだろう。
「それって、さっきアストさんがおまじないをしたから?」
アストは黙ってエミリーの肩に手を置いた。
彼女の歩幅に合わせ、ゆっくりと街の出口に向かって歩いて行く。
「ア、アストさん」
街を出る直前、エミリーが意を決したような表情で話しかけてきた。
「どうしてアストさんは仕事を引き受けてくれたんですか? お金が安いから難しいだろうって、おばあちゃんお店の人に言われてたから……」
アストは視線を宙に漂わせ、
「なんとなく──そう、なんとなくだな」
ほかに言い様がない。
そんなアストを、エミリーは不思議なものでも見るような目で見た。
「アストさん、依頼を受けてくれてありがとう」
エミリーが礼を言うと、
「礼を言うのは早すぎる。まだ街も出ていないじゃないか」
後ろ首をかくアスト。
エミリーは蕾のような笑顔を咲かせた。
▼
よく晴れた空の下。
そよ風に吹かれた草花が、たおやかに揺れている。
穏やかな気候も重なり、旅は順調だった。
エミリーの体力に合わせる形で適度に休憩を取りつつ、目的地であるミズ村を目指す。
道中エミリーは、アストに色々と質問した。
それはときに空を飛ぶ鳥だったり、ときに地を這う虫だったり。
アストは、自分の知っている範囲で丁寧に答えた。
「──アストさん、あの木の上にちょっとだけ咲いている花は何ですか?」
「あれは桃源花。止まった虫を食べるいわゆる食虫花ってやつだ」
「あんなに色鮮やかで綺麗な花なのに……」
「綺麗なものは目立つ。目立つってことは、それだけ惹きつける力がある。ただ綺麗なだけならいいけど、あの食中花のようにそうじゃないものもたくさんある。むやみやたらに近づかないほうが無難だ」
コロニーには、デモンすら丸呑みすることができる巨大な花が存在する。
この世のものとは思えぬ幻想的な美しさに誘われ、あやうくアストも丸呑みされそうになったことがある。
それに比べれば、桃源花など可愛いらしいものだ。
「わたし、知ってます。アストさんみたいな人を博識があるって言うんですよね」
エミリーが目を輝かせて言う。
「随分と難しい言葉を知ってるんだな。でもそんないいもんじゃない。俺の知識は生き残るために身に着けたものだから」
最初はぎこちなかった二人も、時間の経過と共に自然と会話ができるまでになっていた。
「──わたし、剣を持っている人はみんな怖い人だと思っていました」
エミリーは、アストの剣をチラ見しながら呟く。
デモンズイータの一件が、彼女にそう思わせているのだろう。
「俺はその中に入ってないと思っていいのか?」
「はい、アストさんは……頼れるお兄ちゃんって感じです」
そう言って、はにかむエミリー。
アストは胸の奥がむず痒くなり、頬をかいて誤魔化した。
「──今日はここまでだな」
アストは適当な岩陰を見つけ、足を止めた。
間もなく、夕闇が辺りを包み込もうとしていた。
「アストさん、わたしまだ歩けます」
そう言うエミリーの額には、うっすらと汗が光っている。
ここに至るまでの間、彼女は一度たりとも弱音を吐いていない。
アストからすれば上出来すぎる。
「十分距離は稼いだ。無理してもいいことは何もない」
エミリーはうつむき加減で、
「……はい、わかりました」
春とはいえ、夜はまだまだ冷える。
アストは問題なくても、エミリーはそうはいかない。
岩陰のさらに奥まった場所を今夜の寝床と定めたアストは、道中拾っておいた木を使って手早く火をおこした。
すぐにパチパチと焚き木の弾ける音が、夜の始まりに溶けていく。
「あったかい……」
赤い火の揺らぎが、エミリーの顔をほんのりと照らす。
「アストさんって旅慣れているんですね」
「旅慣れてはいない。ただこういうことに慣れているだけだ」
エミリーは、わからないといった顔をしている。
これまで経験したことなど、子供に話しても怖がられるのが関の山。
アストは老婦人からもらったリンゴを袋から取り出した。
「エミリーのおばあちゃんから貰った美味しそうなりんごを食べるか」
「アストさん、美味しそうじゃなくて美味しいんです。おばあちゃんが一生懸命作ったりんごだもん」
エミリーは誇らしげに言う。
どこかで聞いたようなセリフに、アストは小さな笑みを漏らした。
「美味いな」
「うん!」
少女と焚き火を囲み、共に食事をする。
半月前の自分が知ったらきっと驚愕するに違いないと、アストは内心で苦笑する。
今までにない穏やかな時が流れていく……。
(──さすがに眠そうだな)
りんごを食べ終えたエミリーは、次第にウトウトし始め、そのまま横になって寝てしまった。
元気に振る舞っていたが、やはり疲れていたのだろう。
(さて、と……)
ゆっくり立ち上がったアストは、エミリーとの距離を一定に保ちつつ、
「そろそろ出てきたらどうだ?」
暗闇に向かって声をかけた。




