プロの店 2
(何だかよくわからないことになった。──あれ? 自分の名前なんて教えたっけ?)
振り返るのとほぼ同時に、カーテンが素早く引かれてしまう。
(……ま、いいか)
こちらの事情を察しているかのように、意味深なことを言う人だった。
気にはなるも、今の問題はそれじゃない。
(また、無一文に……)
しかも、大金を手にしてから僅か一時間足らずでだ。
このことをミアが知ったら、また馬鹿と言われてしまうのだろうか。
(コロニーに行けば、結晶石が手に入るのは確実だけど……)
楽して金を得られるなら、それに越したことはない。
その一方で、人並みに働いてみたいという気持ちが少なからずあった。
そう思うのは、亡き父が『仕事のあとの一杯は最高だ』と、美味しそうに酒を飲んでいたことを覚えているからだ。
アストは、道を挟んだ真向かいの店に目を向ける。
(俺ならタダで切ってくれるとか言ってたけど、そんな都合のいい話がほんとにあるのか?)
外観は小綺麗だが、散髪屋を示すような看板は出ていない。
(──ダメならいつもみたく自分で切れば済む話だし、ダメ元で行ってみるか)
人に髪を切ってもらうという行為に興味を覚えたことも、行動を後押した。
扉を開けると甘ったるい匂いが鼻をくすぐり、鏡の前で化粧をしている女が目に飛び込んできた。
「今日はデートがあるから臨時休業〜〜」
女は髪を梳かしながら、アストを見ることなく気だるげに言う。
「わかりました」
早々に退散しようとしたとき、一瞬女と目が合う。
すると、女がゆっくり立ち上がった。
「どうしてここにきたの? 散髪屋ならほかにいくらでもあるのに」
「真向かいの服屋さんに紹介されて……」
肝心なタダでという言葉が言えずにいると、
「あいつが? ──ふーん、そういうこと……」
物言いこそ未だ気だるげだが、彼女の目が一瞬鋭くなったのをアストは見逃さなかった。
「特別に切ってあげるからそこにかけなさい」
「でも今日は休みなんじゃ……」
「いいからさっさと座りなさい」
慌てて指定された椅子に座るアスト。
女はカットクロスを手早くアストにかけると、いつの間のか手にしていたハサミで髪を切り始めた。
(──あれ? このハサミ……)
違和感を抱いた次の瞬間には、アストの髪は見る見るうちに整えられていく。
「──まぁこんなもんでしょう」
女はハサミを小気味よく一回転した。
時間は体感で一分もかかっていない。
それなのに鏡に映る自分が、まるで別人のように変わっていた。
「なんだか俺じゃないみたいだ……」
「あんた、鏡なんてろくに見ないでしょう」
「見ませんね」
即答すると、女は苦笑した。
「清潔感は何よりも大事。素材の良さに胡坐をかいては駄目よ」
わしゃわしゃと、乱暴に頭を撫でられるアスト。
不思議と悪い気持ちはしなかった。
「ありがとうございました。──それで代金のことなんですけど……」
アストが言い淀んでいると、察した女が口を開く。
「もしかして、あいつにタダで髪が切ってもらえるとか言われた?」
後ろ頭をかきながら認めると、女は小さく舌打ちした。
「見透かされているようで腹が立つ。あいつの思い通りになるのも癪だけど、実際楽しませてもらったのは事実だし、今回の代金は結構よ」
その言葉に、アストは内心でホッと息を吐く。
代金を請求されたら、コロニーに舞い戻らないといけないところだった。
「さっきも言ったけど、これからデートだからさっさと帰って」
もう女はアストを見ていなかった。
鏡の前で仕切りに左手を動かしながら、空いている右手をアストに向け、ハエでも追い払うような仕草をする。
アストは去り際にもう一度礼を言い、散髪屋を後にした。
▼
(なんだか不思議な雰囲気を持っている人だった)
気分を一転し、アストは街の散策を再開した。
借り物ではあるが服も綺麗になり、髪もさっぱりしたことで、嫌な視線は嘘のように消えた。
が──
(──どうして)
今度は女性からの視線をやたら感じるようになった。
歩いていた女の子二人と目が合うと、女の子は「キャッ。ちょ、ちょっとあれ見て!」と叫び、逃げるようにアストから離れていく。
(もうわけがわからない)
アストは考えることを放棄した。
視線を一切無視して歩いていると、【子守りから傭兵の斡旋。トルティアの商人ギルドはこの先の十字路を左】と書かれた案内板を目にした。
(商人ギルド……たしか仕事を紹介してくれる場所だった、はず)
渡りに船だと思った。
アストが旅をする目的は、村を襲ったデモンを見つけて殺すこと。
たとえ殺したところで、死んだ人間が生き返るわけではない。
これは、ひとり生き残ったアストなりのケジメであり、両親と村人たちに送る鎮魂歌でもあり、そして結局は自分のためだということもわかっている。
散々コロニーに放り込まれたアストだが、村を襲ったデモンと遭遇することはなかった。
(商人ギルドは世界中に情報の網を張ってるとゼットは言ってた。商人ギルドで仕事を受けていれば、あのデモンのことを知っている人間がいるかもしれない)
長く人の世を離れていたアストにとって、人並の暮らしへの憧れも少なからずある。
脳裏に焼き付いたあのデモンが、簡単に見つかるとも思っていない。
(仇は絶対にとる。でも仇のデモンを探すだけの人生なんてのはごめんだ。俺の人生は俺だけのもの。みんなだってきっとわかってくれるはず)
仕事を受けながらデモンの情報を集めつつ、同時にこれからの人生も大いに楽しむ。
そうアストは心に決めた。
(長い旅になりそうだけど、時間だけはたっぷりある)
自然と足は看板の示す方向へと進んでいく。
目当ての建物はすぐに見つかった。
「いらっしゃい」
店内はさほど広くなく、カウンターに男がひとり。
他には誰もいなかった。
男はニコニコと愛想のいい笑顔を見せるその一方で、値踏みするような視線を向けてくる。
(この手の視線にも大分慣れたな)
内心で苦笑するアストは、年季の入ったカウンターに歩み寄り、
「二週間くらいで終わる仕事はありますか?」
「短期をご希望ですか。ちなみに希望の仕事は?」
(仕事の希望か……全然考えてなかった)
あらためて考えるも、すぐに思いつきそうにない。
体力だけはそれなりに自信があるので、
「体を使う仕事なら何でもいいです」
「お客さん、旅人かい?」
「そんなところです」
男は親指の先を舌で濡らし、カウンター内から取り出した紙の束を小気味よくめくりながら、顔を上げることなく尋ねてくる。
「その腰のもの。偽物じゃないようですが、腕に自信があるのかい?」
幸か不幸かゼットと出会った結果、幼少の頃より容赦なく鍛えられたアストである。
コロニーでは幾度となく死線を潜り抜けてきた。
自信があるかと問われれば──ある。
「デモンを殺せるくらいには」
そう言うと、男はフスと笑った。
「自信があるのは結構なことです。でも、さすがにデモンは言い過ぎでしょう。私が知る限り、デモンとまともに戦える人間は、後にも先にもデモンズイータだけです。それともデモンズイータですか?」
「まさか」
アストは即座に否定した。
「そうでしょうとも。歴戦の傭兵だってそんな大それたことは言わんです。あまり吹聴しないほうがよろしいかと」
アストが反論するよりも早く、男は二枚の依頼書を差し出した。
「お客さんは運がいい。希望に合う仕事がちょうど二つあります」
依頼書に目を落とす。
一つは商隊の護衛。
もう一つは、祖母の代わりに孫を生家に送り届ける仕事だった。
「商隊の護衛ですが腕に覚えがあるなら問題ないでしょう。往復で一週間前後、提示された条件は満たしています。しかも雇い主はかなり気前のいい御仁で、報酬も単なる護衛にしては破格ときている。すでに三人決まっているようで残りは一枠。どうですか?」
「護衛ですか……」
人を守る経験なんてもちろんないが、デモン相手でなければ問題ないだろう。
「もう一つの報酬は?」
「子供を送り届けるだけなので報酬は微々たるものです」
護衛と違い、説明にかなりの温度差があった。
(きっと護衛の仕事を受けてほしいんだろうな)
そう思いつつ、アストは男に告げた。
「子供を送り届ける仕事でお願いします」
護衛に自信がないわけじゃない。
なんとなく子供を送り届ける仕事のほうが、初仕事に向いていると思ったにすぎない。
アストの選択が意外だったらしく、男は慌てて金額の提示をしてきた。
「護衛の依頼は金貨二枚、もう一つの依頼は銀貨五枚です」
「もう決めましたから」
アストの意思が硬いと見るや、男はガックリと肩を落とした。
「護衛を受けてくれたほうが、こちらとしても実入がいいんですがね」
隠すことなく本音を零す男に、アストは好感を覚えた。
男は諦め切れないのか、懇願するような目を向けてくる。
目だけで譲るつもりがないことを伝えると、やがて男は小さく溜息を吐いた。
「まぁこちらも受け手がいなくて、塩漬けになっていた依頼だからね……」
男は自分に言い聞かせるように言い、依頼書にサインを求めてきた。
「──アスト・ヴァレッドストームさんですね。私はトルティアと申します。今後ともご贔屓に。──ところでアストさんは西大陸の出身ですか?」
「髪の色でそう思ったんですか?」
「ええ。この辺では滅多に見かけませんが、西大陸ではそれなりに見かける色なので」
「そうらしいですね。実際自分がどこの出身かおぼえていないんですけど」
ミアと違い、トルティアは気にした様子もなく、
「まれにそういう方もいらっしゃいます。旅をする理由は出身地探しですか?」
「そんなところです」
「でしたらサージバルに行くと手がかりが得られるかもしれません。西大陸でも屈指の大国ですから」
「サージバルですか……」
思いもかけずよい情報を得られた。
「おっと、行くなら依頼をこなしてからにしてくださいね」
トルティアは依頼書を手早く巻き取ると、背後の扉に声を投げかけた。
「おーい、仕事だ」
のったりと出てきたのは、覇気のない女だった。
トルティアから手渡された依頼書を一瞥すると、女は一言も発さず外へ出て行く。
女の態度を気にした様子もなく、トルティアは話を続けた。
「明日のお昼ごろにまた来てください。あらためて依頼者と引き合わせます」
アストは小さく頷き、商人ギルドを後にする。
こうして、彼の「人の世界」での最初の仕事が決まった。




