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殲滅のデモンズイータ  作者: 彩峰舞人


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9/9

グルメ

 二日目


 アストとエミリーは街道を外れ、峠道を進んでいた。


 左右には切り立った巨大な岩壁がそびえ、見上げても空は細く切り取られている。


 岩肌にはわずかな草がへばりついているだけで、木々の姿もほとんどない。


 吹き抜ける風が岩壁にぶつかり、乾いた音を立てて通り過ぎていく。


 峠を越えれば、目的地であるミズ村はもう目と鼻の先だった。


「──大丈夫か?」


 アストが振り返ると、エミリーは小さく頷いた。


 額にはじっとりと汗が滲み、頬もほんのり赤くなっている。


 ここまで一度も弱音を吐いていない。むしろ、それがかえって心配になるほどだった。


「くどいようだけど、頼むから無理だけはしないでくれ」


「うん。大丈夫だよ」


 エミリーが笑顔を見せた、そのときだった。


 風に乗って、微かな臭いが鼻をかすめる。


 血の臭い。


 それに混じって、どこか覚えのある独特な臭気が漂っていた。


 アストは足を止める。


「どうしたの?」


 不思議そうに見上げるエミリーに、アストは短く告げた。


「絶対に俺の側から離れないように」


「え? う、うん」


 エミリーに念を押すと、アストは周囲に意識を張り巡らせながら、慎重に歩を進めた。


 やがて岩壁の陰に差しかかったところで、視界に飛び込んできたものがある。


 大きな血だまり。


 その中心に、男がうつ伏せで倒れていた。


 身体の状態を見れば、息がないことは一目でわかる。


「死んでるの?」


 エミリーがアストのズボンの裾を、きゅっと掴んだ。


「見ないほうがいい」


 アストの言葉に、エミリーは何度も頷く。


 彼女を背にかばいながら、アストは死体の傍らに屈み込んだ。


 そっと手を伸ばし、首筋に触れる。


(──まだ温かい)


 死んでから、それほど時間は経っていない。


 男のすぐ側には、歪んだ剣が落ちていた。


 刃に血は付着しておらず、抜いた形跡すら見当たらない。


 周囲にも争った様子はなかった。


 まるで上から何かに押し潰されたかのように、男の身体は無残に変形している。


 落石で潰れたのなら、原因である石がなければおかしい。


 死体の状況からして、人間の仕業と考えるのも無理がある。


 ──デモン。


 もはや疑う余地はない。


 だが、問題はそれだけではなかった。


(心臓がない)


 デモンは人間だろうと同族だろうと、関係なく喰らう。


 いわば雑食だ。


 もっとも、中には特定の部位しか口にしない個体も存在する。


 目の前の死体は、そのことを如実に物語っていた。


 アストの知る限り、心臓だけを喰らうデモンは限られている。


 ゼット曰く。

 人の領域に現れるデモンの大半は、コロニー内の生存競争に敗れ、外へ追いやられた個体らしい。


 しかし、アストが考えている通りのデモンなら、個体差を考慮したとしても、コロニーから追い出されるような存在ではない。


(厄介なことになった)


 アストはちらりとエミリーに目を向けた。


 彼女のことを考えれば、悠長に分析している場合ではない。


(どうする?)


 進むか、引き返すか。


 選択肢は二つしかなかった。


 エミリーは恐怖で身体を強張らせ、アストの服を握りしめている。


(騒がずにいてくれるだけ、ありがたいけど……)


 それも、いつまで持つかわからない。


(──ここは引き返して、様子を見るべきだ)


 そう判断し、エミリーに声をかけようとした瞬間だった。


 先ほどとは比べものにならないほど濃密な臭気が、アストの鼻腔を突いた。


(くそっ。判断が遅かった)


 正面にそびえる岩壁。


 その陰から、三本の指がぬたりと姿を現した。


 続いて、長く垂れ下がった舌。


 歪な形をした顎。


 そして、何を見ているのかもわからない、空虚な眼窩。


 予想していた通りのデモンが、岩陰から這い出してくる。


 ──グルメ。


 アストは、そう呼んでいた。


 エミリーが息を呑む。


 声にならない悲鳴が、喉の奥でかすかに漏れた。


「後ろの岩陰に隠れていろ。そして、俺がいいと言うまで絶対に目を開けるな。──できるな?」


 グルメから視線を外さず、アストは静かに告げた。


 命令というより、彼女を安心させるための声音だった。


 エミリーは身体を震わせながらも、しっかりと頷く。


「三つ数える。三で一気に走るんだ。──一、二、三!」


 合図と同時に、エミリーは全速力で駆け出した。


 岩陰に身を潜めると、言われた通り、ぎゅっと目を閉じる。


(いい子だ)


 その様子を見届けたアストの前で、グルメが聞いたこともない奇妙な鳴き声を発した。


 烈火弾は使えない。


 この狭い峠道で放てば、エミリーを巻き込んでしまう危険がある。


「勘違いするなッ! お前の相手は俺だッ!」


 アストはグルメを挑発するように、漆黒の剣を抜き放った。


 陽光を受けた刃が、黒い光を帯びる。


 峠道に、戦いの気配が満ちていった。


▼


 剣先をわずかに下げ、無形の構えを取る。


 アストに決まった剣の型はない。


 デモンと戦い続ける中で、相手の動きに合わせて無駄を削ぎ落とし、自然と今の形に落ち着いた。


 グルメの長い舌が地面を舐めるように垂れ下がり、粘ついた唾液がぽたりと滴る。


 空気が張り詰めた。


 風の音さえ遠のいたように感じる。


 まだ剣を交えてもいないというのに、アストの頬を一筋の汗が伝った。


(誰かを守りながら戦うというのは、これほど緊張するものなのか)


 背後の岩陰には、エミリーがいる。


 後退することは許されない。


(守り抜く──)


 決意を胸に刻んだ、その瞬間。


 グルメが甲高い声を上げた。


 四肢の筋肉が一斉に膨れ上がる。


 次の瞬間、巨体が弾かれたように跳躍した。


 岩をも砕かんばかりの勢いで、巨大な前爪が頭上から迫りくる。


(──大丈夫。ちゃんと見えている)


 常人ならば捉えることすらできない速度。


 だが、コロニーで幾度も死線を越えてきたアストにとって、この程度の速さは脅威ではない。


 何より、デモンをも凌駕する死神ゼットのもとで鍛えられた経験が、今のアストを形作っている。


 風圧を伴う爪を半身になってかわす。


 そのまま流水のごとく身体を滑らせ、漆黒の剣を袈裟懸けに振り抜いた。


 どさり。


 地面に落ちたのは、グルメの前足だった。


 グルメは耳障りな悲鳴を上げ、後方へ飛び退く。


 虚無の眼窩が、アストを捉えた。


「そうだ! 俺だけを見続けろ!」


 人間なら人体の構造上、手足の一本を失うだけでもまともに戦うことは難しい。


 だが、デモンは違う。


 たとえ四肢を失おうと、牙が一本でも残っていれば喰らいつこうとする。


 獣ですら本能で悟る引き際というものを、奴らは知らないのだ。


 それなのに、目の前のグルメは違った。


 先ほどまでの猛進が嘘のように、こちらの出方を窺っている。


(この程度のことで慎重になる? 随分とらしくないじゃないか)


 これまでアストが相手にしてきたグルメとは、明らかに様子が違う。


 ただ闇雲に襲いかかるのではなく、アストとの距離を測るように間合いを詰めてくる。


(……まさか、こいつ学習しているのか!?)


 そう考えたときだった。


 突如、峠を吹き抜けた烈風が、地面の落ち葉を巻き上げた。


 舞い上がった葉の一部が視界を横切り、一瞬だけアストの視界を遮る。


「──ッ!」


 考えるより先に、身体が反応した。


 漆黒の剣を盾に構えた直後、閃光が走る。


 グルメの爪が剣に激突した。


 峠に甲高い衝撃音が響き渡る。


 両腕に食い込むような重圧。


 踏みしめた足元から砂利が派手に弾け飛んだ。


 グルメは全体重を乗せ、押さえ込まれた爪をさらに押し込んでくる。


 アストは、これまでに二度グルメと戦った経験がある。


 しかし、今回で三度目となる目の前の個体は、これまで対峙してきたどのグルメよりも、力、速さ、そのすべてにおいて上回っていた。


(個体差と言われれば、それまでだけど……)


 グルメの圧力が、さらに増す。


 だが、もとより力比べをするつもりなどなかった。


 アストは相手の力が最も強まった瞬間を見極める。


 そして、わずかに身体をずらしながら懐へ踏み込み、その勢いを受け流した。


 同時に、右足を踏み込む。


 オドで強化した左足が、グルメの顎を下から跳ね上げた。


 人間なら頭を吹き飛ばしかねない一撃。


 しかし、グルメにとっては脳を多少揺さぶられた程度に過ぎなかった。


 歪んだ顎がだらりと開き、血に濡れた牙が覗く。


 その空虚な眼窩が向いていたのは、アストではなかった。


(こいつ、まさかッ!)


 アストは即座に俊足術を発動した。


 次の瞬間、鞭のようにしなった長い舌が、エミリーへと襲いかかる。


「やらせるかッ!」


 舌が届くよりもわずかに早く、アストはエミリーの前に立ち塞がった。


 叩きつけるように漆黒の剣を振るう。


 間一髪。


 舌は剣に弾かれ、甲高い音を立てて跳ね返った。


 肉の塊とは思えないほどの硬さだった。


(エミリーは!?)


 振り返ると、エミリーは今も必死な形相で目を閉じていた。


(上出来だ)


 安堵する間もなく、アストは再びグルメに向き直る。


「俺を倒さない限り、この子は奪えない!」


 デモンに人間の言葉など理解できるはずもない。


 これは、アスト自身の覚悟を言葉にしただけだった。


 その覚悟が通じたかのように、グルメの攻撃は再びアストへと集中する。


 長い舌が、間断なく襲いかかってきた。


 わずかな判断の遅れすら致命傷になりかねない速度。


 アストはそのたびに剣を閃かせ、舌を受け流し、あるいは弾き返していく。


 攻防が続く。


 そして──。


(────ここだッ!)


 舌が限界まで伸びきった瞬間を狙い、アストは漆黒の剣を突き立てた。


 剣が地面を貫き、グルメの舌を縫い留める。


 異物を取り除こうと、グルメが剣に向かって身を乗り出した。


 瞬き一つ分にも満たない猶予。


 アストはその隙を逃さなかった。


 瞬時に身を低く沈め、地面に固定された舌をさらに深く穿つ。


「ギャアアアアアアアアアアッッッ!!!」


 峠道に絶叫が轟いた。


 グルメの巨体が大きく跳ね、動きが止まる。


 千載一遇の好機。


 アストは地面に突き立てた剣から手を離し、そのまま大きく跳躍した。


 空中で腰裏のホルダーから漆黒の短剣を抜き放つ。


 狙うは、グルメの頭部。


「──終わりだ」


 落下の勢いを乗せ、漆黒の短剣を頭頂部へと突き立てた。


 刃が深々と沈み込む。


 グルメの巨体が一度だけ痙攣し、それきり動かなくなった。


▼


「──エミリー、もう目を開けてもいいぞ」


 耳に馴染んだ温かい声。


 エミリーは、おそるおそる目を開いた。


 目の前には、少し疲れた表情のアストさんが立っている。


「俺との約束、ちゃんと守ったな。偉いぞ」


 優しく頭を撫でられた途端、堪えていたものが壊れたように、涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。


 怖くて、怖くて、たまらなかった。


 それでも、アストさんとの約束を守ろうと、ずっと必死に耐えてきたのに。


 これでは、アストさんに笑われてしまう。


 エミリーは歯を食いしばり、袖で涙をぐいっと拭った。


「あの怪物をやっつけたの?」


「なんとかね」


 アストさんの視線を追う。


 そこには、長い舌をだらりと伸ばした怪物が、地面に横たわっていた。


「アストさんは神様なの?」


 気づけば、そんな言葉が口からこぼれていた。


 少し驚いた様子のアストさんは、苦笑いを浮かべる。


「神様か……。死神ならよく知ってるんだけどね」


 困ったように頬をぽりぽりとかきながら、アストさんはそう言った。


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