晩餐
(──いきなり好きに生きろとか、ゼットは勝手なもんだよ)
ベッドに腰掛けるアストは、腰裏に手を回し、ホルダーから抜いた短剣を眺めた。
(しかも、紋章まであるし)
髑髏に交差する二振りの大鎌。死を連想させる気味悪い紋章──ヴァレッドストーム家の紋章が柄に刻印されている。
ヴァレッドストーム家はその昔、世界を救った家系だと母が誇らしげに話していたのを覚えている。
が、それ以上のことは何も知らない。
まだ幼かったアストにとっては、世界を救った家系なんてどうでもよく、当時ハイネちゃんが考えだした新しい遊び──屍ちゃんデッド・オア・アライブごっこから、いかに逃げるかのほうが重要だった。
(あれは本当に怖かった)
ゼットとヴァレッドストーム家に何かしらの関係があるのは、これまでのゼットの会話からも薄々察していたが、いつでも聞けるだろうと安易に考えていた。
(結果これだよ。──そもそもなんでゼットは自分の腕を剣にしてまで俺に渡したんだ? ゼットが意味のないことをするとはとても思えないけど……)
長剣も短剣も、色が漆黒に染まっていること意外は普通だ。
ぼんやりと眺めていると、切っ先から黒い霧が漂ってくる。
アストは急いで短剣をホルダーに納めた。
(前言撤回。全然普通じゃなかった。ま、あれこれ考えたところでゼットの考えなんてわかるわけないし、勝手なのも今に始まったことじゃない)
ここ最近は、冥界の門にいないことも多かった。
どこで何をしているのか尋ねてみても、まともに答えが返ってきたためしはない。
(──と、今はそんなことよりも……)
長剣を側に立てかけ、短剣を枕元に置く。
コロニーに放り込まれたときなどは、常に襲われる危険があったため、眠るときも手元に得物を置くのが当たり前になっていた。
小さく息を吐いたアストは、音を立てないようにベッドに寝転がる。
視線の先のミアは、小さな寝息を立てながら眠っていた。
(どうしてこんなことに……)
話は三時間ほど前までさかのぼる────。
「────ここよ」
ミアに連れられるがまま街を歩き案内されたのは、こじんまりとして落ち着いた雰囲気のある店だった。
仄かな光が、カーテンの隙間越しから漏れている。
「入る前に忠告しておくね。この店の女将さんはとっても綺麗好きなの」
「──それで?」
尋ねると、ミアは深い溜息を吐く。
彼女の視線は、アストのマントに向けられていた。
「マントを取ればいいのか?」
貼り付けたような笑顔のミアを横目に、マントを脱ぐ。
ミアが自身の埃を払い落とす姿を見て、アストも同じく埃を落とした。
ミアはうんうんとうなずき、店の扉を静かに開ける。
鈴の音が、アストの耳を爽やかに通り抜けた。
「まだいいよね?」
ミアが遠慮がちに尋ねると、店内から快活な声が聞こえてきた。
「あら、ミアちゃんいらっしゃい。──おや、お連れさんがいるとは珍しい」
「えへへ」
出迎えてくれたのは恰幅のいい、人の良さそうな女性だった。
店内を見回す限り、自分たちのほかには誰もいないらしい。
壁際の席に腰を落ち着けると、ミアは手慣れた様子で料理を注文をしていく。
「まずは絶対にはずせない鶏肉の香草パン粉焼きと、あとは……アスト君は何か食べたいものある」
言って、メニュー表を差し出すミア。
字はゼットから習ったので問題なく読めるが、それがどういう料理なのかはさっぱりわからない。
アストは早々にメニューを閉じて言った。
「任せる」
ミアは即答で、
「任された!──ということで、美味しいものを適当にお願い」
「あんたねぇ、自信たっぷりに言って私に丸投げかい?」
「でも確実でしょう?」
にししと笑うミア。
「はいはい。では精々期待を裏切らないよう腕を奮いましょう。多少時間がかかるのは覚悟しておきなさい」
「大丈夫。ソフィさんの料理だったら朝まで待っていられるから」
ソフィは苦笑いし、
「お世辞ばっかり上手なんだから」
ミアの額をピンと弾く。
ソフィが店の奥に引っ込むと、程なくして鼻歌が聞こえてくる。
アストに向き直ったミアは、アストをまじまじと見つめた。
「なに?」
「アスト君って銀髪なんだ」
アストは前髪を指でつまみながら、
「へん、かな?」
「ううん、ただこのあたりでは見かけない色だと思って。西のほうの出身かな?」
「そうなのか?」
「そうなのかって、私が聞いてるんだけど?」
ミアは苦笑する。
「幼いころにちょっと色々あって、自分がどこの出身かわからないんだ」
覚えているのは【ユング】という村の名前くらい。
見れば、ミアがバツが悪そうな表情で俯いていた。
「どうした?」
「ごめん、悪いこと聞いちゃった……」
「別に気にしてない」
「ほんとに?」
「気にしてたらそもそも話をしてない」
「ならよかった。──それにしても」
言って、ミアは黙ってしまう。
続く言葉を辛抱強く待っていると、
「あ、あはは。なんでもないなんでもない」
「何か気になることがあるなら言ってくれ」
「ほんとになんでもないから」
なんでもないと主張する割には、顔が妙に赤いのは何故だろう。
ミアはコホンと咳払いし、
「瞳は黒い……というかもはや漆黒って感じね。夜はなんにも見えなそう」
「見えるから」
アストが真面目にそう答えると、ミアは目をパチクリとさせ、ケラケラと笑い出した。
何が面白いのか、アストにはさっぱりわからない。
ミアは人差し指で涙を拭いながら、
「ところで、アスト君は剣が使えるの?」
「使えなきゃ持っていないと思うけど?」
質問の意図が分からず困惑するアストに、
「最近はこの辺りも物騒だから、はったりで持つ人も結構いるの」
「はったり? はったりって何だ?」
「えぇと、つまり剣が使えなくても腰にぶら下げていれば、「俺は剣が使えるんだぞ。襲ったら返り討ちにするぞ」ってアピールにはなるでしょ。だからアスト君もそうかな~と思って。あ、気を悪くしないでね。別に他意はないから」
「そのはったりとやらで、本当に相手が引いてくれるのか?」
「個人的な意見を言わせてもらえば、あんまり意味ないって思っている口かな。武器を持ってようがなかろうが、襲う人間は襲うし。中には剣が買えなくて鞘だけって人もいるらしいけど」
「これはちゃんと中身もあるぞ」
長剣を鞘ごと渡すと、ミアは慣れた手つきで鞘から半分ほど剣を抜いた。
「珍しい……剣も瞳と同じ漆黒色なんだ。──これって自分で塗ったとか?」
「塗ってるわけじゃないと思う。一時的に預かっているだけだから、俺にもよくわからないんだ」
さすがに死神の左腕とは言えないので、適当にお茶を濁した。
「ふ〜ん」
マジマジと剣を見つめるミア。
その表情からは、何を考えているのかわからない。
「はい、お待ちどうさま〜」
話が途切れたタイミングで、ソフィが両手に皿を乗せて料理を運んできた。
料理と言えば基本焼くか煮るしかできないアストである。
テーブルに並べられた料理は、まるで別世界の食べ物のように映り、光り輝いているようにさえ見えた。
「うまそうだ」と思わずつぶやくアストに、ソフィはピシャリと言う。
「うまそうじゃない。うまいの」
「すみません」
そう言われたら、アストとすれば恐縮するよりほかない。
ソフィはニコリと笑い、
「熱いから気をつけて食べるんだよ」
ソフィは厨房へと戻っていく。
十五年ぶりに食べた人の料理は想像のさらに上をいく美味しさだった。
とくにミアお勧めの鶏肉料理は絶品で、気づけば皿から消えていた。
「──ねぇ、アスト君から骨を噛み砕く音が聞こえるけど、もしかしなくても食べちゃった?」
アストは口の中のものをゴクンと飲み込み、
「食べちゃいけないのか?」
「いけないってことはないけど……骨まで食べる人を初めて見たから」
その言葉には、大いに異論があった。
「それはミアが知らないだけで、この程度の細い骨ならみんな食べると思うぞ。骨に肉の味が染みてて美味い」
「そうなのかなぁ……違う違う! 細くない! これ全然細くないから!」
ミアがこれ見よがしに掲げた骨を掴み、アストはひょいと口の中に入れ、噛み砕いた。
「え!?」
「ダメだったか? 多分食べないだろうと思ったから貰ったんだけど」
「ダメじゃないけど……」
「ないけど?」
「うぅぅ……そんなに平然としていられると、恥ずかしがってる私が馬鹿みたいじゃい」
「恥ずかしい? なんで恥ずかしいんだ?」
意味がわからない。
尋ねると、ミアは恨めしそうな目を向け、
「なんでもない……噂では聞いたことがあるけど、これが天然のたらし……」
後半は声が小さくて、何を言ってるのかわからなかった。
料理は美味しいだけでなく、記憶の残滓にある母の料理のような温かみもあって、慣れない旅の疲れが癒されていくのを感じた。
「やっぱり人の作った料理はいいな……」
「そう言えばさっきもそんなこと言ってたけど、それってどういう意味? ──あ、言いたくなかったら言わなくていいから」
隠す内容でもないので、アストは正直に話した。
「料理を作ってくれる人がいなかった。だから料理はずっと自分でしてた」
(肉を炙ったり煮たりするだけのものを料理と呼んでいいのか自信はないけど……)
アストは心の中で付け加えた。
「そ、そうなんだ……」
その後、なぜかミアのおしゃべりがピタリと止まった。
聞こえてくるのは、ナイフとフォークが食器に当たる控えめな音だけ。
「──どの料理を食べても美味い」
思わずそう漏らすと、
「で、でしょう! 私の言葉に嘘はないんだから!」
突然素っ頓狂な声を上げるミアに、アストは戸惑いながらも首を縦に振ることで同意を示す。
「あ、あはは。ごめんね。急に大きな声を出して。でもほんとにいいお店でしょう? そうそう、いい店といえばね────」
この会話を皮切りに、ミアのおしゃべりが再開した。
人との会話にまだ慣れていないアストは、どうしても聞き役に回ってしまう。
いつしか彼女の話す姿に、ハイネちゃんを重ねて見ていることに気づき、アストの心は揺れた。
「──そろそろ片付けてもいいかい?」
ソフィが声をかけてきたのは、夜も大分更けたころ。
壁にかけてある時計の針は、21時を回っていた。
「もうそんな時間なの⁉」
「遅いからこのまま泊っていくんだろ?」
「安くしてね」
「はいはい、ちゃっかりしてるんだから」
アストは二人の会話を聞きながら席を立ち、壁にかけたマントに手を伸ばした。
「アスト君、もしかして出ようとしてる?」
「もしかしなくてもそうだけど」
「まさかこんな寒空に野宿するつもり?」
「大げさだな。この程度は寒いうちに入らない」
ブリザラが吐く氷のブレスに比べたら、外は小春日和と言ってもいい。
だが、ミアは痩せ我慢だと受け取ったらしい。
困った弟でも見るような視線を、アストへ向けた。
「もう、しょうがないわね。ソフィさん、ベッドが二つある部屋は空いてる?」
「空いてるよ」
ソフィーから鍵を受け取るや否やそのまま二階に上がろうとするミアを、アストは慌てて引き留めた。
「ちょっと待ってくれ。ベッドが二つって……まさか同じ部屋で寝るってことか?」
「そうだけど」
あっけらかんと言うミア。
長らく特殊な環境下にあったとはいえ、もう子供ではない。
若い男女が一つ屋根の下で寝ることがどういうことか、本で読んだので知っている。
「あれあれ〜? も、し、か、し、て。アスト君は私によからぬことをしようとか考えてますぅ〜?」
「か、そんなこと考えるわけない!」
自分でもわかるくらいむきになって反論すると、
「え? 私ってそんなに魅力ないかな……」
ミアは消え入りそうな声で俯く。
アストは慌てて弁明した。
「ミアはもちろん魅力的だけどそういうことじゃなくてつまり──」
「あはははっ。アスト君って真面目なんだ」
「……からかったのか?」
憮然とするアストを見て、ミアが申し訳なさそうに口を開く。
「だってもしアスト君がこのままいなくなったら、大損しちゃうじゃない」
「そんなことはしない。ちゃんと戻ってくる」
「だめでーす。逃がさないから」
ミアは一歩も引きそうにない。
ならばと、妥協案を提示することにした。
「宿代を貸してくれ。もちろん食事分も含めて明日まとめて払う」
結晶石とやらが本当に価値のあるものならば、ここの宿代の支払いも問題ないはずだ。
だがミアは、アストの想像の斜め上をいった。
「残念なことに、二部屋借りるほどのお金が手元にないの。ごめんね」
「そんな……」
「大丈夫大丈夫。襲ったりしないから」
「──ッ」
ミアは悪戯っぽい表情を浮かべ、手招きする。
ソフィが笑いながら会話に参加した。
「もうあきらめな。一度言い出したら聞きやしないんだから」
「そうそう、人間何事も諦めが肝心だよ」
「そんな無茶苦茶な……」
たとえ冗談だとしても、自分の精神がもちそうになかった。
「待ってるから早くおいで〜」
ミアは夏の残り香のような笑みを最後に、アストの視界から消えていく。
時を置かず、パタンと扉の閉まる音がした。
(今どきの女って、みんなあんな感じなのか?)
立ち尽くすだけのアストに、ソフィが声をかけてきた。
「どういう理由かは知らないけど、あんたはそれなりに信頼されているのさ。少なくともあの娘が自分以外の誰かをこの店に連れてきたのは初めてだからね」
「はぁ……」
曖昧な返事をするよりほかなかった。
数時間前に会ったばかりの人間に信頼されても、アストとしては戸惑うばかりだ。
「わかったらさっさと部屋に行ってちょうだい。このままあんたに突っ立ってられたら、いつまでたっても片付けができやしない。ほらほら、いったいった」
ソフィに急き立てられる形で、アストは二階へと上がった。
目的の部屋を前にし、呼吸すること実に八回。
(よく考えれば一緒の部屋で眠るくらいなんでもない。ハイネちゃんとはしょっちゅう一緒に寝てたじゃないか。よーし、開けてやる。開けてやるぞー)
ドアノブに手をかけてから、さらに十八回深呼吸した。
息を殺しつつ、音を立てないようにそっとドアを開けていく。
(──ってこれじゃあ、どう見ても夜這いじゃないか。何をやっているんだ俺は)
内心で頭を抱えながら素早く視線だけは動かしていると、部屋の右隅に置かれているベッドでスヤスヤと眠っているミアに気づき、拍子抜けして今に至る。
(今日は色々疲れた……)
アストはミアの寝息と同調するように息を落とし、懐から結晶石を取り出した。
結晶石は仄かに青い光を帯びている。
(こんな石ころが……本当に高く売れるなら、金の心配をする必要はなさそうだけど。だからってゼットに感謝なんて絶対してやらん)
コロニーとは、命の選別が絶え間なく繰り返される世界。
デモンよりはるかに脆弱な人間が入り込む余地などない。
そんなコロニーへ、ゼットは実地訓練と称して平然と放り込むのだ。
しかも、一度や二度の話ではない。
(ほんと、よくも今まで生きていられたよ。もう訓練も強制的にコロニーへ放り込まれることもない。今の俺は何をしてもいい)
天井をシミを掴むように手を伸ばす。
(俺は──自由だ)
今後について漠然と考えを巡らしていると、
「アスト君、もうわたしおなかいっぱいだよ~。うへへ……」
寝返りをうったときにシーツがはだけ、健康的な白い太腿があらわになる。
(勘弁してくれ)
アストはシーツを頭から勢いよくかぶる。
それなりに疲れているはずなのに、いつまでも眠ることができなかった。




