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戦いに終止符を打ち、ヴォイドの手を取り走っているのは、装束に身を包んだケイゴだった。
「ついて来てください」
という一言で、聞き覚えのある声だと分かった。
内部の者のみが知る退避経路は、からくりの連続だった。廊下に出たかと思うと突如壁板が回転し、その先の和室の囲炉裏の下には抜け穴があった。床下を抜けてまた別の部屋に出て、今度は床の間の壁をどんでん返すと屋根裏への階段が現れた。
屋根瓦の上を走りながら隣接する棟に飛び移り、雨樋を伝って地面に降りると、竹垣が行く手を阻んでいた。
ケイゴが垣の手前に立った。目配せ一つでヴォイドがケイゴの両手に足をかけ、そのまま一気に跳躍して敷地の外へ出た。華麗に宙を舞いながら、後からケイゴが一人で越えてきた。
「キャビテーションに向かわれるのですか」
「ああ。その前にスグルを探す。同じ場所に向かっているはずだ」
「それではお二人を安全な場所まで誘導いたします。追手はすぐに来るはずです」
遠くで雷鳴が轟いた。
反逆の罪を背負ってまで、ケイゴはなぜヴォイドを助けたのだろう。
「あなた様のご友人はどのようなお方なのですか」
走りながら、ケイゴが訊ねる。
「日本人だ」
と、ヴォイド特有の乾いた回答。
「ええ。大抵の劣化ニュートラルはそう区分けされ、里に捨てられます。ですがあの方は違う。どう見ても『完全な日本人』でしょう?」
「完全......か。そういう定義付けをして何になる。俺にはモウリもお前もスグルも、同じ人間にしか見えない」
「それは慰めでございますか」
「どう取るかはそっちの勝手だ」
冷たくも温かくも感じられるこの男こそ、完全という言葉が最も似合う。
ケイゴに後悔はなかった。里の掟を破れば厳罰は免れないが、そんなものなどどうでもいいと思えるほどに、爽快な気分だった。
澱んだ空に閃光が走り、直後、雷が地を揺らす。落雷の直撃を受けた一本の大木が、黒煙を上げて倒れてきた。
2人はそれを難なく避けたが、横倒しになった大木の向こうに見えた青い物体に、思わず立ち尽くす。
「何ということ......グリーディがここまでになろうとは」
覆面の結びを解きながら呆然とするケイゴ。出てきた表情は若干青ざめていた。
「グリーディ? どういう奇形種だ」
訝しげに眺めるヴォイドにケイゴが答える。
「最近世に放出された新種で、他生物の器官を取り込んで同化させることができるらしいのですが、多くはその過程で不適合が生じ、小さいまま死んでしまいます。なのに、あれは......」
小さいまま死ななかった、完成形だとでもいうのか。
二足で直立しているそれは、全身を青い羽毛で覆われていても、鳥類だと位置付けるにはもはや大胆すぎる変貌を遂げていた。
嘴からは鋭い牙がはみ出し、鉤爪の間には水かきのようなものがある。角や尻尾も取って付けたように生えている。もとい、取って付けたもののはずだ。
あれもこれもと強欲に略奪した器官の結集が、どこかバランスを欠いて虚しささえ醸し出している。
「人にも通じるところがあるな。欲は身を滅ぼすという良い例だ」
皮肉った当人は、欲しがるものなど無いほどに全てを持っているという皮肉。
その時、ヴォイドに向けて数本のクナイが飛んできた。ケイゴが庇うまでもなく、身を伏せてそれらを避ける。
追手が来たようだ。忍者が7人───そこへ、グリーディの咆哮が加わった。
グリーディは目にしたそれが欲しくてならないようだった。肉食獣の牙や鉤爪も、両生類の水かきも、サイから奪った角も何もかも、それと引き換えにしていいとさえ思ったのかもしれない。
────眩い雷光が映し出した、この世の集結美。
忍者たちとグリーディは、それへ向かって一斉に走り出した。
ケイゴが足元に撒菱をばら撒き、追手数名にクナイを投げつける。
ヨシサダの姿もある。彼はこの裏切り者をどう始末するのだろう。
木の枝に飛び上がり、ケイゴは手裏剣を構えた。それを見てヴォイドは立ち止まり、複数相手に剣を交わす覚悟を決めた。
「先にお行きになってください。ご友人を見つけて差し上げてください」
「行くなら一緒だ」
ああどうして────
どうしてこの方と外の世界で出会えなかったのか。
ケイゴは残り少ない忍具を、狙いを定めて眼下に投げた。宙返りをしていた忍者を手裏剣が捉えた。刃先には一時的に神経を麻痺させる薬を塗ってある。
ヨシサダがヴォイドに切りかかった。鎖鎌をバスタードソードに巻き付け、鎖のもう一方の先の仕込杖から刀を抜き出すと、怪我を負った利き腕に握りしめて横ざまに打ち払った。
ヴォイドはそれを数ミリのところでのけ反ってかわし、鎖鎌に拘束されてビクともしないバスタードソードを手放した。
「ケイゴ、お前この男と寝たのか」
ヨシサダが言った。
「昨夜私の部屋へいらしたのは誰でございましたか」
とケイゴが返すと、ヨシサダは黙り込んでしまった。
ぎゃああっ!
忍者の一人がグリーディの鉤爪にやられて絶叫した。喉を抉り取られていたなら声も出せなかっただろうが、持って行かれたのは顔だった。ここは果たして地獄なのか────無残にも、下部の崩れたケンシンの顔は、上部まで形を失うこととなってしまった。
鍛錬を積んできたはずの精神と肉体が怖気づいたのか、地面を転げ回るケンシンを見て、忍者たちは一歩も動けない。日本人の隠れ里ヤスクニは、たった2人の客を招き入れたばかりに、今や崩壊の危機に直面していた。
「怯むな! モウリ様のお言葉を思い出せ。我らに存在意義を与えてくれたシンラ様をお守りするのだ!」
鎖鎌を右手に、ヴォイドから奪ったバスタードソードを左手に構えて、ヨシサダが雄叫びを上げる。
ヴォイドが背中の大剣を抜いた。スグルが形作った剣の柄は、すっかり手に馴染んでいた。
「俺はもう里の人間とは戦わない。人の殺し合いほど無益なものはない」
ヴォイドの目はヨシサダではなく、その向こうに迫り来る強欲の塊を見据えていた。
奇形種は、身体の割には細い足でひどく滑稽な動きで歩いてくる。
それを見れば誰もが思うはず。
鳥は鳥らしく、生きればよかったものを────
「あれを見ろ。完全とは何だと思う? 欲するもの全てを手にして完全になるのか? 何かが足りないから不完全なのか? 何かが違うから欠陥だとでもいうのか」
ヴォイドが叫んだ。
グリーディは「欲するもの」へと真っ直ぐに向かってくる。視界の邪魔になるものは、たちまちケンシンの二の舞になってしまうだろう。
「俺は、壊れたものを直す日本人の手先の器用さを見てきた。使う者の気持ちを考え、誰にも真似ができないほど精密に物を作り出す日本人の技術を見てきた。それでも、物はいつか壊れる。壊れないものなど、完全なものなど、そもそも存在しない!」
それは人も同じなのだと、ヴォイドは言いたかったのか。
この世に完全な者など......
”私の身体はほぼ完全なニュートラル。性の優劣が無いのです。確かめてみますか?”
そう言った彼女でさえ、人の子を産むことはできなかった。誰もが羨むほどの知性と美貌を手にしながらも、最後は絶望感に打ち拉がれ、自らの手で自らの命を絶ったのだ。
グリーディの、もはや翼と呼べない太い腕がヨシサダを払い除けようとした時、ヴォイドが走り寄って大剣でその衝撃を食い止めた。
ケンシンの顔を砕いた鉤爪の威力は、チタンの刃先までをも砕く凄まじいものであった。
ヨシサダは鎖鎌を握り直した。ヴォイドの首は、すぐそこにある。
だが────動けないのは利き腕に負った傷のせいではない。容姿も技量も、すべてが完全無欠かと思われる人間が、完全なものなど無いと言い放ったのだ。そして彼は今、シンラが作り出した「強欲」と戦っている......
踏み止まったヨシサダは、
「ケンシンの手当てを」
と下忍に命じ、自らも武器を薬へと持ち替えた。
ヴォイドは歯を食いしばり懸命に耐えていた。暴れ狂うこの鳥はいったい何を飲み込み生成したのか。羽毛の下は、ただの鳥の皮ではなさそうだ。
刃が立たない────パドルスク一の名匠が鍛えた刃でさえも。
グリーディはぱっくりと口を開き、涎を垂らして今にも「それ」に噛み付こうとしている。貪欲な獣が何より欲したもの────神に愛された者のみが有する、それは「孤高の美」であった。
「ヴォイド様!」
頭上から舞い降りてきたのはケイゴだ。
彼は「鳥の子」と呼ばれる、火薬を和紙で巻いた爆弾を手にしていた。その名が示す通り、鳥の子ほどの大きさの手榴弾だが、もとはこれくらいの形状だった鳥に「鳥の子」を用いることになろうとは、洒落にもならない。
ケイゴはグリーディの口の中へそれを捻り込んだ。
無理だ。大量の唾液ですぐに火が消えてしまう......いや、大昔ならともかく、今は28世紀。火縄に着火するのではなく、ちゃんと時限装置が組み込まれてある。
だが肘の辺りまで突っ込んだ右腕を、ケイゴは抜けなかった。抜こうともしないのは、初めからそのつもりだったのかもしれない。
牙に挟まれた腕が食い千切られる前に、ケイゴの親指が起爆装置のボタンを押した。
3秒後、奇形種の体内で爆弾が炸裂した。外皮は超硬質だったが、内部の皮下組織は脆かったようだ。グリーディは地面に転倒してもがき苦しんだ。
爆風で吹き飛んだケイゴをヴォイドが抱き起こし、右腕の傷口に布を巻いて止血する。
「口と食道をやってしまえば、もう何も飲み込めないでしょう」
とケイゴは半分笑って言った。
「歩けるか」
「はい。足は2本とも無事のようです」
グリーディがこと切れたのを確認して、2人は歩き出した。
追手の姿は、もうどこにもなかった。




