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テントから少し離れて、ファイとシシランは手近な木の根元に腰を下ろす。
「サトミは、本人が信頼出来ると判断した人には、自分が日本人であることを明かします。と言っても今のところ銃の扱いを指南してくれた師匠とあなた方だけですから、よほどあなた方に何か感じるところがあったのでしょう。ですから僕もあなたを信じてサトミのことをお話ししようと思います」
短髪の若いニュートラルはそう前置きをして語り始めた。
「日本人は遠い昔に絶滅したというのが世の常識ですが、実はごく一部の地域に現存しています。そこは人の寄り付かない山奥にある里で、9歳になるまでサトミはその里で育ちました。サトミが何を恐れているのか......残念ながら先ほどのファイさんの言葉の中に、彼女の記憶を呼び覚ましてしまうものがあったようです。里にいる日本人は圧倒的に男が多く、9歳を迎えた日、彼女は......酷いことに、男たちの欲を満たすようにとの命を受けました」
ファイが髭面をしかめた。一瞬脳裏をよぎったのは、母親のために男の欲の犠牲となっていた、ローリーの健気な姿だった。
「サトミは自分の置かれた立場を理解しようと必死に考えたに違いありません。そして幼いながらも気付いたのです。それを受け入れてしまえば自分はこのまま一生、里の男たちの道具として生きてゆくことになるのだと。そこで意を決し掟を破って逃げ出そうとしましたが、すぐに追手に捕らわれその場で陵辱されかけたそうです。その時の記憶が、11歳になった今でも彼女を苦しめているのです」
「酷ぇな......」
ファイは深いため息を吐いた。人は残酷だ────時として、奇形種などよりも。
「でもよ兄さん、サトミは今あんたらニュートラルと一緒にいる。これはどういうことだ?」
「ある方がこっそり逃してくれたのだそうです。それからは僕たちの村でひっそりと暮らしていました。とはいえ、ニュートラルの村でも日本人を軽蔑する者もいて、さぞや居心地は悪かったでしょう。地下の室に閉じこもるように生活していたサトミに、ツチナが時々菓子を届けていました。ただそれだけの縁であったのに、村が奇形種に襲われた時、サトミが僕たちをその室にかくまってくれ運良く助かったのです」
「なるほどな」
「村が崩壊して悲嘆に暮れている僕たちを励ましたのもサトミでした。寄る辺を失った悲しみや憎しみのエネルギーを転換し、これからは世の中の役に立つことをしようと言い出したのも、彼女でした」
「それからのお前さんたちの努力は、銃の扱い方を見りゃ分かるよ。子どもだけでよくぞここまでやってきたもんだ」
まばらな顎髭を擦りながら、ファイは感じ入っていた。
「詳細は言えませんが、保守的なニュートラルの生き方というものに、僕たちはいくつかの疑問を持っています。それから日本人の里にも。奇形種を撲滅しながら新しい時代を切り開いていくことが僕たちの進むべき道だと、今は自負しています」
仮に、ここにヴォイドがいたなら、それはレージュの語っていたことと同じだと思ったに違いない。移り行く時代と共に切り開かれる新たな道────志半ばで散ってしまったレージュの思想は、シシランたちがいつか叶えてくれるのではないだろうか。
2人がテントに戻った時、サトミはツチナの添い寝で安らかな寝息を立てていた。
「悪かった。金輪際、下ネタは封印だ」
バツの悪そうな顔が頭を掻く。そんなファイに、コナギが緑茶の入った湯飲みを差し出す。
「サトミなら大丈夫。それより、今ニュートラルの『奇形種図鑑』についてミチカさんと話をしていたところなの。シオン、ファイさんにも見せてあげて」
呼び寄せられたシー君こと最年少のシオンは、まだ暫定性別も不明瞭なあどけない外見をしていたが、薄っぺらい携帯端末の液晶パネルをテキパキとタッチして、あるアプリケーションを起動させた。
なんとそれは、21世紀には普及していたが28世紀の現在ではニュートラルの手によって葬られていたツールの一つ、電子書籍であり、しかも出てきたのは政府が税金を投入して製作に着手している『奇形種図鑑』だった。
「驚いたぜ。見たこともねぇやつまでズラリと並んでやがる」
ファイが初めて目にする珍種の羅列を驚きの目で追うと、
「私たちはこれを参考にして、ある程度戦略を練ってから奇形種と戦うの。まさかそっちは情報無しで未知の奇形種と戦っていたなんて、脱帽だわ」
と、逆にコナギの方も感心している。
『ステップワート』────2日前に見つけたばかりのイボイボの新種に、ちゃんと名前が付いている。解説文にもその悪臭体液は人体には無害であると書かれてある。
腕組みをしたミチカは、疑問というより不満に近い文句を中年オヤジにぶつけた。
「新種の報告を受けて名前が付くのは一週間後。わたしの持っているパソコンのリストが更新されるのもその時。なのに、このステップワートは少なくとも3か月前にはニュートラルの図鑑に掲載済み。それだけじゃない。どこのチームからも報告されていない種がこの図鑑の中にたくさん載ってる。これはどういうことなの?」
「んなこたぁ......」
「どうでもいいこと? おかしいじゃない。図鑑は既に存在しているのよ。それじゃ、わたしたちは何のために......」
ヒートアップしそうになって慌てて口を閉じる。サトミの眠りを妨げないように、ミチカは声のトーンを落とす。
「コナギたちはまだこの仕事を始めて日が浅いから、村にあった図鑑を頼りに主に卵の収集で賃金を得ていたらしいの。学者が卵を買い取ってくれるのは共通だとしても、図鑑の有無はどう説明すればいいのかしら」
「これ、ロックかかってた。僕がこじ開けた」
ボソリと言ったのはシオンだった。その平坦な口調はまるでロボットを思わせ、ミチカは一瞬アシモがしゃべったのかと錯覚した。
「......ということは、この図鑑はかなり重要なもので、もしかするとまだニュートラル以外の目には触れていないのかもしれないわね。政府はそれを知らないで独自に図鑑を作ろうとしてるってことかしら」
「分かんねぇ。まさか知ってて俺たちに危険な狩りをさせてるってことはねぇだろうが、こりゃ、一度ヨークの総督にでも訊いてみるか」
ミチカとファイのやり取りを聞いて、コナギが意見する。
「政府にこの図鑑を提出した方がいいかしら?」
「待って。ニュートラルが隠し持っていたものを容易に人に渡してはダメよ。きっと何か理由があって人目に触れないようにしていたはずだから。それに、私利私欲だらけの腹黒タヌキにいつ悪用されるとも限らない。人間はニュートラルの100倍貪欲だってことを覚えておいて。わたしたちの依頼主にそれとなくカマをかけてみるから、それまでは口外しない方がいいわ」
100倍とは言い過ぎだが、ミチカが想像した人間とはヨークに住むとある親子であって、この場合100倍という数字は近似値だ。
「分かりました」
横で会話を聞いていた兄のシシランも従順にうなずいた。ミチカを見る目は相変わらず微笑んでいる。
ファイはそれを見ながら湯飲みの緑茶を一気に飲み干した。ニュートラルが好き好んで飲むこの飲み物は、健康に良いというが渋すぎて正直口に合わなかった。
「よく眠ってるわね」
一通り図鑑を見せてもらった後、ミチカは黒髪の少女の寝顔にしばらく見入った。
仕事を優先するあまりに忘れがちだが、幼い子を見るとつい、母のように普通に恋愛をして結婚をして子どもを産んでみたいという思いが込み上げてくる。天命だなんてカッコいいことを言ってはみたが、できることならこんな天命なんて背負いたくはなかった。
パドルスクで出会ったローリーは、今頃ラーシャオで頑張っているだろうか。彼女たちのような子どもが安心して暮らせる未来を作るためにも、これはまっとうしなければならないことなのだと改めて自分に言い聞かせる。
「サトミちゃんにはまだ訊きたいことがあったんだけど、それはまた今度にするわ」
大掛かりな仕事が一つ残っていた。もちろんスグルとヴォイドを見つけ出すことも。
「ミチカさんたちはこれからどちらへ向かわれるのですか? よろしければ図鑑を共有して僕たちと一緒に行動しませんか」
ミチカの返事を待つまでもなく、ファイはもうテントを出ようとしていた。シシランの提案にミチカが賛同するはずがないのは分かっていた。
「そうね。あなたたちと一緒なら心強いでしょうけど、仲間が先に目的地へ向かったみたいだから、わたしはそっちと合流するわ」
「目的地はどこですか?」
「ここから北東に150㎞の何も無い場所。そこに何かがあるはずなの」
「北東────ダメです。そこには絶対にたどり着けない」
シシランだけでなく他の4人も、一斉に険しい表情をミチカに向ける。
「なぜ?」
問いかけたミチカを、そしてファイを見て、シシランが言った。
「道中に里があるのです。通行しようとする者は例外なく皆殺しにされる、日本人の里が」




