第49話「防衛線の構築」
「いいか、ガルド。北門の城壁の中心から真っ直ぐ百メートル先の、あそこにある視界の悪い大きな土の窪地……あそこに教団のアンデッドによる先行突撃部隊の大群が、城門を破るための助走として必ず水のように押し寄せて溜まる。一周目の俺の記憶のカンペでは、あそこから一気に万の単位でなだれ込まれて、騎士団の防衛線がたった数分で紙切れのように完全に崩縮した」
「おう、任せとけ。じゃあ、俺があの窪地のすり鉢の一番底に、ギルドから持ち出した地雷代わりの超高火力の『爆炎晶』を、数十個まとめて見えないように深く埋め込んどけばいいんだな?」
「ああ、そうだ。着火のタイミングは俺が指示を出す。リーネは北門の上の城壁に上がって、結界の内側にそって君の最大の広範囲である『風の魔力壁』を、物理的な三重に展開して待機しておいてくれ。五柱の奴が歩くたびに背中から噴射して放つ致死性の腐敗の紫の毒ガスを、絶対に一ミリもこの王都の聖域の居住区の中に風で入れちゃいけない」
月すら厚い雲に隠れた、深夜のサンクトゥリア北門外縁。
街からの微かな星明かりとトーチの明かりだけを頼りに。漆黒の闇と同化するようにして、レイドたちは着々と、そして一切の音を立てずに、迫り来る大軍を迎え撃つための防衛の致死の罠の仕込みの作業を粛々と進めていた。
街の内側の城壁の上を巡回する神殿騎士団は、暗闇で泥だらけになって作業する彼らを見て「あの馬の骨の冒険者が、こんな夜更けに勝手に城外で無駄な土遊びをして何かしている」と、ただひたすらに冷たく軽蔑するような視線を送るだけで、一切自分たちの手を汚して手伝おうとはしなかった。
「……罠の仕込みは完了したみたいね。レイド、私の最終的な配置はどこ?」
地上から数十メートルはある見晴らしの良い城壁の上の監視塔の端から、弓を持ったセレナが音もなく木の葉のように飛び降りてきて、レイドの隣に着地して小さく尋ねた。
「セレナの狙撃ポイントは、俺と背中合わせになる最前線の平地だ。『腐敗の巨漢』がその醜い巨体を現したら、まず最初に、あんたの神業の弓の射撃で奴の両目……あの濁った黄色いふたつの眼球を完全に潰してほしい。あいつは図体が十メートルと規格外にでかい分、視覚の情報を奪いさえすれば、攻撃の動きそのものがかなり単調な直線のみになる」
「了解。目潰しなんてお手の物よ。でも、目を完全に潰した後はどうするの? 奴がアンデッドを使役して無限の前衛の壁を作ってくるなら、いくら盲目とはいえ、無傷で本体に近づくだけでも相当に厄介じゃない?」
「そこは、俺とガルドの前衛部隊二人の筋肉で、奴の群れの壁を強引にこじ開ける」
レイドは自身の腰に差した銀の剣の柄をごとりと鳴らした。
「一周目のカンペで、一つだけ奴を倒すための厄介な情報がある。あいつの五柱としての命の『核』は、巨大な心臓や頭部じゃない。腹の脂肪のずっと奥のど真ん中に埋め込まれた『黒い水晶』のコアだ。だが厄介なことに、その水晶は厚さ何メートルもある分厚い何千体というアンデッドの腐肉の鎧の脂肪にガチガチに守られてる。ガルドのシールドバッシュでその前面の肉を物理的に激突して何層も削ぎ落とし……俺がその一瞬の隙に、露出した硬い水晶を一撃で必殺の剣で斬り裂いて破壊する。これが最短で確実な殺し方だ」
レイドの論理的で詳細な殺しのプランの説明に、真剣な顔をした三人は全くの異論なく同時に深く頷いた。
完璧なまでの情報共有と目的の合致。それぞれが、自分の能力でやるべき絶対の役割を完全に理解している。
レイドの指示は変わらず繊細で的確だが、しかし、以前のような「俺が全責任を負って死のルートを背負うから、どうかお前たちは俺の言う通りに安全に動いて生きてくれ」という、あの息の詰まるような痛々しい悲悲壮感のプレッシャーは微塵もない。これは、自分の背中を預ける仲間を心底対等な戦士として信頼しているからこその「最強の作戦会議」だった。
「準備は終わったわ。あとは……私たちの最高の罠にかかる哀れな敵の大群が、この場所に来るのを待つだけね」
すべての準備を終えたリーネが、高い城壁の上から地上に向かって小さく手を振った。
レイドと弓を構えるセレナは北門の少しだけ前の広大な平地に立ち、防壁となるガルドはそこから数メートルさらに前に出て、巨大な純ミスリルの大盾を正面に構えて、嵐を待つ大木のように両足を開いて仁王立ちになっている。
夜明けまで、あと数時間。
街は平和な寝静まりの静寂に包まれているが、城外の空気は異様に重く、すでに教団の接近を感じさせる死の嫌な湿り気を帯びていた。
「そういえば、レイド。ずっと聞きたかったんだけど」
いつ始まるかもわからない静かで研ぎ澄まされた待機時間の中、セレナが弓の弦の張りを確かめるように何度も弾きながら、視線を外さずにふと隣のレイドに尋ねた。
「一周目の歴史で私たちが全員死んだ後。あなたはどうやって、たった一人で絶望の世界を五年もの間、生き延びていたの?」
「……生き延びるなんて大層なもんじゃない。ただ、情けなく逃げ回ってただけだよ。一つの街が化け物に落ちて灰になったら、次の街へ。誰もいない廃村を見つけては、そこで腐ったパンをかじって数日息を潜めて、また魔物に見つかって追われて逃げる。その繰り返しだ」
レイドは遠い目をして、真っ暗な荒野の果ての彼方を見つめた。
「ガルドが遺跡で死んで、リーネが自爆して死んで。行く先々で新しい仲間とパーティーを組んで抗おうとしても、教団の幹部や五柱に見つかればその日のうちに俺以外が全員全滅した。最後は、俺一人だけ生き残って……泥水をすすって、何がなんだか分からないまま、教団の底辺の雑兵が持ってた錆びた槍で後ろから心臓を突かれて殺された。それが俺の五年間だ」
「……そう。本当に地獄だったのね」
「でも今は違う」
レイドは焦点の合っていなかった過去の視線をゆっくりと現在に戻し、隣で寄り添うように立つセレナを見て、それから一番前に立つガルドの頼もしい分厚い背中を見た。
「あの最悪で情けない、誰も救えなかった結末を俺の意志で完全に回避してやり直すために、俺は過去のここへ戻ってきたんだ。そして、お前たちが俺の荒唐無稽な予知の言葉を信じて戦ってくれた。……もう、俺がお前たちを置いて一人で無様に逃げ回る必要は、どこにもないんだ」
「ええ。その通りよ」
セレナが夜闇の中でも分かるほど優しく、そして誇り高く微笑み、レイドの黒い服の肩を軽く手で叩いた。
「あなたがもう絶対に過去の幻影を恐れて後ろを振り返らないというのなら。私たちが代わりに、あなたの果てしない『前』だけをその手でずっと切り拓いてあげるわ」
その言葉が、夜の空気に美しく溶け込んだ時。
ドンッ……!
重く、非常に低く鈍い異常な地響きが、サンクトゥリアの北側の果てのない漆黒の荒野の向こうから、波のようにズンッと響いてきた。
「……ついに来たぜ、レイド」
ガルドが額に浮かんだ汗を拭うこともなく、低い声で言い、全神経を集中させて大盾を構え直した。
地平線の向こうの視界の果てから。夜の闇よりもさらに濃く、さらに吐き気を催すような悍ましい紫色の瘴気の霧が、まるで生き物のように地面を這ってこちらへ這い広がり始めていた。
そして、その濃密な毒霧の中から、まるでの墓場から蘇ったような数え切れない無数の赤い不気味な眼光が、蛍の群れのように次々と浮かび上がる。
教団の使役する、兵器としてのアンデッドの兵士たち。その数はざっと見渡すだけで優に一万を超える。
そして、その終わりの見えない赤い眼の群れのど真ん中に——。
周囲の木々より遥かに高い、身の丈十メートルはあろうかという、無数の人間の死体の腐肉と骨の塊のパッチワークでできた常軌を逸した異形の巨人が、一歩ごとに凄まじい地鳴りを立てながら、こちらへゆっくりと着実に歩みを進めていた。
「第二の五柱、『腐敗の巨漢』……!」
レイドが銀の長剣を腰から抜き放ち、静かな空気に鋭く澄んだ金属音を響かせる。
王都での魔女との激闘からわずか数週間。
未だかつて誰も破ったことのない聖なる都の城壁の前にて。再び、この世界のすべての命の未来の命運を懸けた、巨大な絶望との果てしない死闘の幕が、静かに開こうとしていた。




