第43話「本音の応酬」
怒り狂うガルドの両腕の膂力によって空中に胸ぐらを掴み上げられたままでも、レイドは一切抵抗しなかった。虚空を見つめるような暗い目を一瞬閉じて、その顔を歪める。
「お前には……お前にはどうせ逆立ちしても分からねえだろうがな、ガルド!」
初めて、レイドも彼らに向かって本当の感情を、吐血するように爆発させた。
「目の前で、何より大切だった親友が見るも無惨な肉塊の山になっていく瞬間を、ただ動けずに見ているだけしかできない俺の気分が! 頼むからこれ以上死なないでくれって血の涙を流して泣き叫ぶ女の子が、身代わりになって俺の一歩先で粉々に吹き飛んで消えるのを見る絶望の気分が! 何も知らねえお前たちに分かってたまるかよ!」
「分かんねぇよ!!」
ガルドの大音声が、レイドの絶叫をさらに上から壁を叩き割るようにねじ伏せて吠えた。
「分かるわけがねぇだろ! 俺たちはこうして見事に生き残ってンだ! その未来で情けなく死んだ『幻覚の俺たち』じゃねぇ! 今ここでお前の目の前で馬鹿みたいに息をして、お前と最高に美味い酒を飲んでる血の通った『俺たち』なんだよ!!」
ガルドは空中のレイドの襟首を乱暴に椅子ごと引き剥がし、そのまま硬い床に向けて力任せに突き飛ばした。
レイドが瓦礫のように床を転がり、背中を石の壁にしたたかに打ち付ける。鈍い激痛が走ったが、心の痛みに比べれば全くなんてことはなかった。
「ガルド、もうやめて! お願いだから! レイドは私たちを守るために……私たちが死なないために、苦しみながら全部一人で背負って嘘をついてやってくれたんでしょ!」
リーネが泣きそうに顔をくしゃくしゃにしながら、床のレイドと激怒するガルドの間に両手を広げて強引に割って入った。
「馬鹿言うな、お前はちょっと大人しく黙ってろリーネ! こいつの根性と性根が、五年って年月でドブみたいに曲がりくねって腐ってしまってんだ。俺が今ここで本気で一発殴り飛ばさねぇと、永遠にこいつは過去の地獄から目を覚まさねぇんだよ!」
「殴るなら、まず何も知らなかったこの私を殴りなさいよ! 私だって……レイドが隣でこんなにも五年間ずっと苦しんでたのに、自分のことばっかりで何一つ気づいてあげられなかったんだから! 一緒に笑ってた私が、一番最低で情けないじゃない……!」
リーネが白いローブを翻し、小さな両手を広げてガルドの巨体を睨みつける。その大きな美しい瞳には、後悔とレイドへの思いから来る大粒の涙がいっぱいに浮かび、ボロリと零れ落ちていた。
「……ガルドは少し落ち着いて。レイド、ちょっと立ちなさい」
重苦しい静寂とすすり泣きの中で、壁際の椅子に静かに座っていたセレナがゆっくりと立ち上がり、床に無様へたり込むレイドを、氷のように冷徹な目で見下ろした。
「あなたは『仲間を一人で背負う』という、とても美しく安っぽい自己犠牲の仮面を被って。最初から誰よりも、私たちの個の力と精神を心の底からナメて見下していたのよ」
一切の容赦のない、冷たく、そして鋭利な刃物のように刺す言葉だった。
「あなたが、自分の身を削ってその未来の記憶の知識で、私たちを何度も全滅の死から助けてくれたという尊い事実にだけは、私は一人の誇り高きエルフとして最大限の感謝をしているわ。……でもね。あなたがその裏の思い上がりで一人やっていようとした最悪の事実は、『私たちに自分自身の人生の結末を選択させる自由の権利を、完全に管理して奪う』という、教団の洗脳と少しも変わらない恐ろしいことよ」
セレナはレイドの前に膝を折ってしゃがみ込み、その決して揺らぐことのない太陽のような金色の瞳で、レイドの黒い絶望の目を逃げ場がないほど真っ直ぐに見つめ返した。
「未来の死の運命を知って、私たちにそれを共有することが怖かった? 自分が黙って背負えば誰も傷つかないと思った? ……ふざけるんじゃないわよ。自分の命の重さは、私自身が自分の意志で決めるわ。あなたが横から親の顔をしてカンペを出して『ここは危険ですから、こっちを歩けば絶対に安全ですよ』って誘導するような。そんな飼い殺しの、お飾りの安い命の操り人形として生きているつもりはないの」
「……違う。絶対に違う! 俺は、ただ、お前たちを……!」
レイドが口を歪めて叫ぼうとした。
「ただ怪我もなく、傷もつかず後生大事に生かしておきたかった。可愛いあなたの無知なペットみたいにね」
セレナの真実を突く厳しい言葉が、レイドの胸の奥底の急所を、見事に容赦なく深く抉り抜いた。
「……違うッ! 俺は……!」
「違うと叫ぶのなら、今この場ではっきりと私たちに証明してみせなさいよ。私たちを『自分が背負い、守るべきだけの弱い存在』じゃなくて、『共に肩を並べて最前線で理不尽な世界に抗う、対等で最強の仲間』として、命の底から信頼しているってことを。もうお前の知る五年も前の古い私とは、強さも覚悟も違うのだと」
セレナの突きつける言葉は、氷のように冷たくも、命の芯を燃やすような確かな熱と信頼を帯びていた。
レイドは冷たい床に座り込んだまま、ギリッと歯を食いしばり、床の石材が割れるほど拳を固く握りしめた。
五年間の、誰にも言えなかった逃げ続けた地獄の孤独。そして今、三人が全く逃げることなく、真っ直ぐに自分という人間の弱さに向けてくれる、この本気の「怒り」。
それは、レイドが無意識の内に「俺が守らなくては崩れてしまう」と勝手に見くびっていた、彼らの強靭すぎる『魂の強さ』そのものだった。
レイドの中にある一周目で弱く無惨に死んでいっただけの彼らではない。今ここで、運命の理不尽に怒り、本気で抗う覚悟と生命力を持った、美しく生きている戦士たちなのだ。
「……ごめん」
長い、長すぎる数分の沈黙の後。レイドの口から、張り詰めていた強がりの糸がプツリと切れたような、掠れた弱々しい声がこぼれ落ちた。
「俺が、俺だけが完全に間違ってた。自己満足で、お前たちを自分の都合のいいように見てたよ。……お前たちが死ぬ運命をここまで変えられたのは、俺の持ってたインチキな未来の知識なんかのおかげじゃない。お前たち自身が、俺の知識を遥かに上回るそれ以上の底力で、あの最悪の運命をぶち壊してくれたからだ」
古代遺跡のキメラ戦で見せた、三人の限界を超えた怒りと力。
五柱の魔女戦での、レイド一人では想像もできなかった、絶体絶命での奇跡的で完璧な連携。
どれも一周目の五年間の記憶にはただの一行も記載されていない、人間が変わるという彼ら自身の『選択』と『底力』がもたらした奇跡だった。
「俺は、お前たちを心の底から頼り切るのが……正直ずっと怖かったんだ。何も知らない自分の判断でお前たちに選択を任せて、また俺の目の前で残酷に失うくらいなら。このまま何も気づかれないように誘導して俺が一人で秘密ごと死んでやるって、神にでもなったみたいに勝手に思い上がってた」
レイドはゆっくりと顔を上げ、袖でグシャグシャに涙と鼻水を拭いながら、自分の胸のつかえが少しだけ取れたような、最高に不恰好な男泣きの笑みを作った。
「……本当に情けないリーダーだが、今度こそ腹の底から頼む。俺を助けてくれ。一周目でお前たちが死に、俺が死んだあの最悪のバッドエンドを。俺の独りよがりの頭脳じゃなくて……この世界最強の四人で、完膚なきまでに一緒にぶち壊してくれ」
その血の通ったレイドの情けない最後の言葉に。三人の怒りと悲しみで強張っていた表情が、まるで春の雪解けのようにすっと柔らかく解けた。
「……やっと本音で言ったわね、この世界一の大バカリーダー」
リーネがそのまま彼への怒りも忘れてへたり込むように座り込み、レイドの真っ黒な服の袖を強く両手で掴んで、まるで子供のようにワーッと声を上げて大声で泣き出した。
「ハッハッハッ! 最初っからそうやって土下座して泣きながら一言頼んでりゃ、俺がぶん殴ってこんな余計に面倒なことにならなくて済んだのによ!」
ガルドが大口を開けて天井を見上げて笑い、床のレイドの前に、その巨大な熊のような温かい手を力強く差し出した。
「ええ。対等で絶対的な信頼の契約ね、これでやっと成立したわ」
セレナが小さく、心の底から嬉しそうに微笑み、テーブルの上の二つの最高級ワイングラスを指に引っ掛け、一つをレイドの前にスッと差し出す。
レイドは差し出されたガルドの太い手を両手で強く握り返して立ち上がり、泣きじゃくるリーネの頭の白銀の髪をポンポンと優しく撫でてから、己の過去に決別するように、セレナの差し出す自分の赤いグラスを取った。
今度こそ、何も隠さない四人だけでの、本当の意味での乾杯の音。
レイドの心にへばりついていた一周目の亡霊は、今ここで、完全に光の彼方へと消え去った。
最悪の未来というカンペを知る策士と、その不確定な未来を自らの手で切り拓く最強の仲間たち。
彼らが真の意味で、互いの命を背中合わせに置く『絶対の信頼』で結ばれた、美しい瞬間だった。




