第36話「護るべき者」
上空から放たれた極限の魔法の圧倒的な絶対的破壊力たる光と熱がようやく収束し、チリチリと空気を焦がす白煙が静かに夜風に流れていく。
王都の大通りに面した立派な屋根の上は、その半分が跡形もなく完全に消滅して吹き飛び、周囲の頑丈な石造りの家々も高熱でドロドロに融解して原型を留めていなかった。外壁は溶けた蝋のようにドロリと垂れ下がり、足元の石畳は高熱で黒い不気味なガラス状に変わってしまっている。
魔女が指先から放った、たった一発の理不尽なまでの攻撃。それだけで、栄華を誇る王都の一角が、一瞬にして完全な地獄の廃墟と化したのだ。
その信じがたい惨状の中心で。ただ一つ、黒こげになって煙を上げる巨大な金属板だけが、倒れることなく不格好に形を保っていた。
「……ガルドォォォォォォォッ!!!」
レイドが、自分の胸の穴の空いた肺から致死量の血を噴き出し、喉を破るように絶叫した。
巨大な金属板——今朝手に入れたばかりの特注のミスリルの大盾を両手で構えたまま、ガルドの巨体はピクリとも微かな痙攣すら起こさずに動かない。
前傾姿勢で盾を構えた全身の鎧や肉から真っ白な煙を猛烈に上げ、その厚い肉体そのものが中まで黒く炭化しているようにレイドの目には見えた。大盾を何重にも握る太い手は死後硬直のように硬くこわばり、彼の巨体は文字通り、王都の屋根の上に無骨な墓標の彫像として微動だにせずに固まっていた。
(死んだ……。俺のせいで……俺が未来の記憶の知識を使ったという傲慢さで、不用意に歴史を変えたせいで。結局、またガルドはここで……っ)
一周目の地獄の悪夢が、またしても鮮明に現実となってレイドの心臓を抉りに来る。あの暗い遺跡の日と全く同じだ。この馬鹿で優しすぎる大男が、また俺の前に盾として立ち、俺が死ぬはずだった理不尽な熱線を身代わりに浴びて死ぬ。
この世界で最も恐ろしい『喪失』という名の絶望が、レイドの心臓を氷の鷲掴みにし、完全にへし折ろうとした。
——その時。
バキルッ、と。
黒こげになったガルドの皮膚に見えた黒い何かが、まるで生まれ変わる卵の殻のように、パリパリと細かい音を立てて表面からひび割れ始めた。
その亀裂の裂け目から、まばゆい生命の緑色の光が、夜空に向かって力強く漏れ出す。
「——いっっっってぇぇぇ熱っちぃな!! クソがああああ……!」
炭化して地面にパラパラと剥がれ落ちたのは、ガルドの分厚い皮膚や肉などではなく——リーネが極限まで何重にも圧縮して盾の表面に張り付けて展開した『風と防御の多重結界』の残骸の殻だった。
十重にも二十重にも重ねられた透明な超高密度の魔力の壁が、黒い雷光の直撃をその身で受けて身代わりに炭と化しながらも、その内側で盾を構えていた人間を、奇跡的に、辛うじて致死の熱から守り切ったのだ。
ボロボロに崩れ落ちる結界の殻の内側から。全身に汗と薄い広範囲の火傷を負い、ギプスは完全に焼け焦げていながらも、その両目だけは絶対に死なないとギラギラと燃え盛るガルドが、ゆっくりと泥臭く立ち上がった。
「ガ、ガルド……ッ!? お前、生きて……!?」
レイドが、天地がひっくり返るような信じられない神の奇跡でも見るように、痛みを忘れて大きく血走った目を見開く。
一周目の絶望的な記憶なら、ただの人間が百人束になっても一秒も防げない絶対的な超密度の魔力砲だ。どれだけ高価で頑強なミスリルの盾を持っていようとも、あの五柱の魔女の雷光の直撃を真正面から受けて生還した者など、五年間で一人としていなかった。
「どうして……どうして生きてるんだ……」
「当たり前でしょ!!! 私たちが、ガルドの後ろに絶対に死なせないって立ってるんだから!!!」
ガルドの焼け焦げた広い背後から、リーネの喉から血の混じったような怒号の叫び声が響いた。
彼女は純白だった魔術師のローブを真っ黒な泥と血と煤で汚しながら、両手で白樺の杖を上段に高く掲げて、震える足で必死に踏ん張って立っていた。
杖の先端に埋め込まれた極上の魔石は、人間一人の許容量を遥かに超えた魔力の過剰出力でクモの巣状に無惨にひび割れ、杖を握る細い両手の指からは、極度の圧力で爪が割れ、赤い血がボタボタと流れ落ちている。
だが、その大きな銀色の瞳は、魔女の恐怖など完全に吹き飛ばし、絶対に諦めないという強烈な光を帯びていた。
「ガルドの大盾にあの黒光が直撃するコンマ一秒の瞬間、私が十重二十重に限界まで展開した多重結界——私の命のありったけの残りの魔力を、全部あの大盾の一番分厚い表面の上に信じて叩き込んだのよ! 愛用の杖が完全に壊れかけたけどね! 正直、指の骨が数本イってる気がするけど、そんなこと今はどうでもいいの!」
「それに、あれだけの理不尽な規模の巨大な魔力を空中の狭い一点に一気に練り上げるなら、絶対にどこかに空間の歪みとなる魔力回路の『結び目』ができるわ。私がエルフの限界の目でそこを見極めて、魔力干渉の矢一本で起点の魔力を狂わせた」
射線上から大きく外れた、別の方角の半壊した建物の屋根から、セレナが弓を下ろさずに誇り高く言い放った。
彼女の放った、エルフの秘伝である特殊な『魔力阻害』の術式を編み込んだ渾身の矢が、黒い雷光が指先から放たれるコンマ数秒前に、魔女の展開した巨大な魔力回路の中心の一つを見事に射抜き、僅かに魔力の流れを逸らしていた。光線の絶対的な威力をわずかに——しかし致命的な死を避けるために決定的なパーセンテージだけ減衰させていたのだ。
ガルドの絶対的な前衛としての盾のフィジカルと、仲間を守るという狂気的な意志の力。リーネの自身の指の骨を砕いてまで限界を超えて即座に展開した多重結界。セレナのエルフの神髄たる、一瞬の隙を自動で縫う精密な魔力干渉射撃。
この四人のうち、誰か一人でも、一秒でも決断やタイミングがズレていれば。その瞬間に間違いなく全員が炭化し即死して終わっていた。
だが、三人が互いの命を完全に預け合い、完璧なタイミングで一つの精密な時計の歯車のように力を合わせたことで。文字通りの天災レベルの一撃を、人間の力だけで完全に凌ぎ切ったのだ。
これこそが、レイドが「死に戻り」によって過去をやり直し、不確定な未来を彼らと共に歩むことで複雑に絡み合った運命が新たに生み出した。絶対的な予定調和の絶望の外側にある、人間の底力の奇跡。
一周目の孤独な五年間の戦いでは絶対に起き得なかった。四人の強固な絆が初めて起こした、絶対不可能からの生還だった。
「……ほう」
空の高みから見下ろす魔女が、初めてその氷のような完璧な作られた面に、微かな、しかし明確な驚きの色を浮かべた。
宇宙の深淵のような漆黒の瞳がスッと細められ、瓦礫の山となった眼下の四人を、まるで見たこともない突然変異の不気味な新種の虫の標本でも発見したかのような、冷たく、そして明確な警戒を含んだ目で見下ろす。
「ただの脆弱な人間が、私の『黒雷』を正面から受け止めて、肉体を残して耐え切るとは。しかも一人の力ではなく、三匹の虫の力を緻密に無駄なく計算して合わせて……なるほど、これが私が感知した『ノイズ』が引き起こした、この世界にとってイレギュラーな進化というわけですか。……非常に不愉快ですね」
魔女の言葉と共に、彼女の周囲の夜空に、先ほどとは比べ物にならない密度の、まるで雨粒のような数の漆黒の槍が、音もなく無数に展開され始める。
一つ一つの槍が、先ほどの数倍以上の強烈な魔力密度を持ち、空中に静止しているその黒い切っ先から漏れ出す濃密な瘴気だけで、周囲の空気が腐蝕し瓦礫が音もなく砂のように崩れていく。
「レイド」
ガルドが、焼けただれて皮膚の剥けた右腕で、表面が溶けかけた巨大なミスリルの大盾を力強く構え直し、地面に這いつくばる背中のレイドに言った。
その太く低く落ち着いた声は、先ほどまでの「死の恐怖」に震える怯えた声では全くなかった。目の前の圧倒的な強敵を、どうやって物理的に食い殺すかだけを考える、純粋で獰猛な本物の戦士の声だった。
「お前の『未来予知』とやらを今すぐ俺に教えろよ。あいつの弱点はどこだ? あいつのでかい次の攻撃は、次は右から来るのか、左か? それとも下か!?」
「……無理だ! あいつは他の敵とは全く次元の格が違いすぎる! 弱点なんて一つもない、あいつはこの世界において完璧に殺戮をするように作られた存在なんだ!」
一周目の血に塗れた五年間の光景が、レイドの思考を太い鉄の鎖で縛り付けている。あいつは無敵だった。誰も刃をそのドレスの裾にすら届かせることなどできなかったのだ。レイドの知る数え切れない優秀な他の仲間たちが、同じようにあらゆる限界の策の手を尽くして、それでも誰一人として届かずに、一人残らず無惨に殺されたのだから。
パシィィィィッ!!
リーネが一歩強く踏み込んで駆け寄り、蹲るレイドの頬を、血の滲む平手で思い切り、首が飛ぶほどの強さで容赦なくひっぱたいた。
「いい加減にしなさいよボケェ!! 現実を真っ直ぐ見なさい! 私たちは生きてる! あなたの過去の絶望の予知じゃあそこでとっくに死んでるはずのガルドも、今ここで立派に二本の足で生きて、盾を構えてあんたを守るために立ってるじゃない!」
「リーネ……」
「完璧な未来なんてないのよ! あんた自身が今日ここで、それを証明して自分の手でぶっ壊したんでしょ! 空に浮かんでるあんな偉そうな女、今からこの四人で協力して徹底的にボコボコにしてやるんだから、一番の武器の頭を使いなさい! あなたは私たちの大切な『最強の頭脳』でしょ! この期に及んで『無理だ』『完璧だ』なんて泣き言、絶対に死んでも言わせないんだからね!」
リーネの涙混じりの強烈な怒鳴り声が。レイドの脳の奥深く、過去の暗い泥の中にずっと凍りついていた負の思考回路を、強制的に、暴力的に叩き起こして粉砕した。
頼りない、守らなければと勝手に思い込んでいた仲間が。実はこんなにも強く、こんなにも頼もしく、俺の背中を全力の力で押してくれている。
その圧倒的な事実の光が、五年間の暗い絶望が分厚く作り上げた「あの魔女には絶対に勝てない」という思い込みの強固な鉄の壁に、決定的な突破口となる確かな太い亀裂を入れた。
——そうだ。
俺が一周目の記憶をただ恐怖でなぞるだけの傍観者なら、ガルドは三十話前のあの洞窟で、キメラに為す術なく殺されていたはずだ。
だが、俺が自分の意志で介入して歴史を強引に斜めにねじ曲げ、そして仲間たちがそれに全生命の力で応えてくれたから、今ガルドはこうして俺の前で生きて大盾を構えている。
未来は、もう俺の知る最悪の未来から既に完全に変わっている。一周目の「絶対に勝てないという法則」は、もうこの四人の前では絶対の理などではないのだ。
(誰にも倒せない、完璧な神のような敵なんていない……あの魔女にだって、一周目では見えなかっただけで。この最高の仲間がいる二周目の世界でなら、俺たちなら必ず攻撃を叩き込める『隙』は見つかるはずだ)
レイドは自身の顔の頬を両手で平手打ちし、無理やり上半身を瓦礫から起こした。
太腿に穿たれた風穴と、肩から肉が大きく抉れ落ちた強烈な痛覚に気力で抗い、戦術指揮官としての冷徹で濁りのない眼力を総動員して、空の玉座に浮かぶ魔女の全体の姿を、その毛穴の一つから魔力の流れの一筋まで徹底的に観察し分析する。
彼女の目に見えない魔力の流れの還流、空間を歪める黒い触手の僅かな動き方、強力な魔法を構築し攻撃する前の微妙なコンマ一秒の予備動作——。
一秒、二秒。一周目では本能的な恐怖で数秒と直視することすらできなかった魔女の絶対的な威圧感を、今度は逆に食い殺す蛇のように、ただの『討伐すべき標的の弱点を探る目』として食い入るように見つめ続けた。
「……見つけた。ある。完璧な壁の中にも、絶対に綻びはある。あいつの左の肩口だ」
レイドの血に塗れた口角が、最も頭のおかしい作戦を立案した時の、不敵で獰猛な笑みの形に吊り上がった。
「空中の巨大な魔法陣に魔力を展開する時、奴は必ずと言っていいほど無意識に左肩の後ろに伸びるメインの大きな黒い触手から、大量の魔力を吸い上げている。あそこが全ての魔力供給の起点でありハブ球だ。……つまり、あそこがおそらく奴の唯一の、突破可能な物理的弱点だ!」




