5場
扉を引いて部屋に入る。電気はつけない。部屋の隅に積まれた構成員くんの荷物を尻目にしつつ私服に着替えた。床に放っておいたコートを拾い上げた時、濡れた袖口が気になった。
代わり、あったっけ? そう思いながら玄関横のコート掛けを見る。見慣れない、でも知っている真っ白いロングコート……魔法のコート? が掛かっていた。
これを借りようかな。
そんな事を考えながら暗い部屋の真ん中に立つ。そして辺りを見回す。
この部屋ともお別れかぁ。
使い始めてもう3年近く経つベッド。だった物。(新品)
元は同じ筈なのに、他人が見ても、誰の所有物か解ってしまうであろう机。だったんだけど今は(新品)足元をよく見ればサッチが零したコーラの後が、今でも薄っすらと見える……筈なんだけど(新品、かつ構成員くんのこぼしたコーヒーの跡)。
「あー」
あんまり感慨深くなれなかった。構成員くんめ、余計な事を。本当だったら、あと三ヶ月ちょっと使う筈の部屋。明日からは、もうここに入る事は無い。
こういう時、どうしていいかわからない。だから私はとりあえず、頭を一度、深く下げた。
踵を返して玄関に戻る。読みかけの雑誌も、途中まで終えた問題集も、必要無い。サッチに借りた漫画も、構成員くんが勝手に使ったトリートメントも、化粧品も文房具も教科書も。本当に必要な物なんて存外、少ないものだ。写真ぐらいかな。それはもう、持ってる。
「この魔法のコート? 着てってもいいのかな。……ん。その前に、本当に魔法のコートなの、これ。色が違うけど。構成員くんは凄く警戒してたのにこんな所に普通に置いちゃって」
暗い部屋に私の声だけが大きく響いてる。
「返事、してねー。いるんでしょ? これじゃ私が独り言激しい娘になっちゃうでしょ。チクるからね?」
しばらく待ってみても返事は来ない。あれ? お姉さん、居なくなったのかな。
私は携帯電話を取り出して番号を押し始める。相手は構成員くん。五桁あたりまで来た所で。
「ハイハーイっ! そうだねっ! これは魔法のコート、魔法器『意識迷彩』! だねっ!」
背後の至近距離から、通販番組のテンションを持ったお姉さんが、突然まくし立ててくる。なんだ、居るじゃん。
「元々はそういう亜因果を持った生徒が居たらしいんだよねっ! これはそれを流用、発展させた物……なのかな!? よくわからないけど、とってもベンリ! 話によれば、後々優柳に着てもらう予定だから、今着ちゃってもいいんじゃないカナっ!?」
「ふーん」
私は魔法のコートに手を伸ばした。その感触はずっしりとしてる。天然皮革……? なのかなぁ。
「優柳ィ。マジ頼む。マジで花柄に知られたらヤバイんだって、マジで。オレ殺されるかも」
「構成員くんも殺したがりなの? 流石に実の姉は殺さないと思うんだけど」
「オレ、一日一箱、酢昆布食わないと死ぬんだよ」
「あー、大変だねー」
「おーい、マジでわかってる? 頼むゼ?」
わかんないって。でもちょっと安心した。お姉さんは構成員くんと仲がいいらしい。どんな会話をしたりするのか想像できない……というか、ワンパターンしか想像できないんだけど、その通りらしくて良かった。
なんか私と構成員くん、ノリが合うなぁと思っていた。もしかしたら『手間のかかる年上女子』の扱いを心得ているのかもしれない。
私は手にしてた魔法のコートを着こむ。案の定、丈が余ってる。男物だとしても、異常に大きい。きっと裾を引きずってしまう。余った袖を振り回してるとお姉さんがアドバイスしてくれた。
「いやー、基本、使い回しだし? 小さいと着れない事があるけど、大きくて着れないなんて事はないからなぁ」
え? 使い回し? 私は襟を持って、鼻に近づけた。
「ダイジョブ! 洗いたてなら臭わないよ! ……洗濯がプロ級のヤツがいるから。夏場はヤベーけどな! ほら、色んなとこ、ベルトついてるっしょ? それで余った布地を全部締め込むっつーか? お陰で、夏場はヤベーよ」
言うとおりにしてみた。多少不恰好ではあるものの、動けるぐらいにはなった。
試しにフードを被ってみる。すっぽりと頭が隠れた。
「な、なにィッ!? 消えた……だと!?」
お姉さん、ノリがいいなぁ。でも動いてみても、たまに視線がぴったり合うので、見えてはいるらしい。
「お姉さんは見えなくなるのに、私は見えるんだね」
「おー、これ? これは花柄がちっと改良してくれたからー、オレが着てれば多少無茶が聞くんだよ。ワリ」
最後に空中に軽いチョップをかましてお姉さんは謝った。なら仕方ないかぁ。
私はドアノブに手を掛けた。
「時間、近いよ? 出かけるん?」
「うん。ここからは、出来れば付いて欲しくないなー」
「それ着て外出る時は要注意な。『他人に意識されない』っつーのはすっげー危険な事だからさ。今、事故とかやばいっしょ」
私のお願いは無視された。代わりに忠告が一つ。聞き入れられないって事なんだろう。
私が不満な視線を向けると、お姉さんはその代わりと言いたいのか、呆れ笑いとともに小さい溜息をついてからフードを持ち上げる。姿は映像の様に消えた。何も言わず、何も表さない。それが最大限の譲歩らしかった。
私は部屋を出て廊下に立つ。
暖色の明かりに照らされた、赤いフカフカのカーペットの上を歩く。この感触も明るさも全てこれが最後かもしれなかった。
エレベーターを降りて、エントランスを出て、寒空にさらされた。
コートの前をギュッと握って耐える。この魔法のコートがあれば、あそこに行けるかもしれない。
そういえばサッチは最後に体育館を選んだんだっけ。そこまで思いつめてはいないけど、私もあそこに行きたかった。
切りそろえられた植木も、ガードレールも、ゴミ置き場の網も、その道程は全て見慣れたものだけど輝いて見える。美しいものに映る。掛け替えがないから。
最後の曲がり角を出てた所で、私は驚いて身を引いた。公園に至る道の半ば程。電柱に寄っかかってる少年の影が見えた。……気がした。
もう一度、壁に手をついて覗き見るように少年を見る。間違いかもしれないと思ったけれど、その影は間違いなくCだった。
本当に魔法のコートがあってよかった。私はフードを被りつつ、路地に入っていった。
コートは本当にその力を存分に発揮したらしく、私があと数歩という所まで近づいてもCが気づく事は無かった。時折、私が曲がった路地をちらりと見て、また腕を組み直して電柱に寄り掛る。それをずっと繰り返している。
「あー」
誰かを待ってる。
寮から、公園へ向かおうとすると、必ず通るこの道で。
何も考えず現れるであろう、バカな女を待ってるんだ。
(もう少し待ってて。今日中には無理かもしれないけど)
胸の内でそう話しかけて、私はそこを離れた。
もう公園の入口は見えている。
コンクリートでできた階段を五段も登れば、その小さな公園の全てが見渡せる。
ベンチに座るラミィも視界に入った。いや、それしか視界に入らなかった。
両腕を背もたれの裏に回し横行に座っている……のがいつものラミィだったはずなのに、俯くようにして両手を前で組んでいる。何もない地面をじっと見つめる姿が祈っているようにも見えた。
そして。ベンチの隣が開いていた。真ん中に座ってない。
私はそれを幸いに、隣に静かに座った。
一体今まで何度、何時間、何日、こうして隣に座った事だろう。なのに今ラミィは私に気付かない。それが可笑しくて、少し笑ってしまう。
肩も触れ合わない。ラミィが私を見る事も無い。それでも、もう今ここで死んでもいい気すらした。
ふとラミィが身動ぎして、私は視線を向けた。
ポケットからタバコを取り出して、慣れた手つきで振る。飛び出た一本を咥えて……咥えた所でピタリと止まって動かなくなった。待ってもラミィは動かなかった。
なにしてるんだろう?
そう微かに思いながら、私は勝手に溢れてくる思い出に浸っていた。
ある日、私が公園に行ったら三人のテンションは著しく高かった。話を聞いてみればタバコを吸ってみたそうで、私はそれが気に入らなかった。
今思えば、ただ単に仲間に入れてもらえなかった事が気に入らなかったんだろうけど、私は『親の金でタバコ吸うんだ』と冷めた態度で吐き捨てた。三人は絶句していた。
次の日から三人は公園に現れなくなった。
私は泣きそうになりながら(でも絶対泣かず)待ち続けてた。自分から三人を探そうとはしなかった。だって私は間違ってない、と。
四日目。公園に行ったら三人は居た。ニヤニヤしながら近づいてきて、自慢げに、これみよがしに私の前でタバコを吸ってみせた。
中等学生がどうやってお金を稼いだのかは知らないけど、自分たちの手だけで稼いできたみたいだった。『きゃー。自分で稼いでくるなんてカッコイイー。文句なし!』とでも言うと思ったらしく、褒めてくれー褒めてくれーえっへんとふんぞり返る三人に、私は『っていうかクサい』と侮蔑の視線を送った。
三人のショックな顔は見ものだった。忘れられない。
馬鹿だなぁ。って思う。
たった一言、一番最初。『私にもちょーだい』って言えば済む話だったのに。
以来、三人が私の前でタバコを吸うことは無くなってしまった。
ラミィとCはたまに、Bは常に吸ってたみたいだけど。
思い出して小さく含み笑いをして、隣に座るラミィを見る。まだ固まったままだった。
タバコを咥えたまま、手に持ったソフトパックを見つめている。
一瞬、躊躇うような素振りを見せたけど、咥えていたタバコを、そのままソフトパックに戻した。まだ何本も残っていそうなソフトパックを、ベンチの横に置いてあるゴミ箱に投げ入れて。
捨てた。
『オレは! 自分が望む自分より! ――――』
ラミィは私の前じゃなくても、もうきっとタバコを吸わないんだ。
まだ想われている。
「ありがとう」
そう呟いてみても、ラミィがこっちを向くことは無かった。
冷たい風が身体を冷やし切るのに十分な時間、二人でベンチに座っていた。
ラミィはなんの前触れもなく立ち上がった。
その遠のいていく大きな背中を、私は呆けて見ていた。
ポケットに手を突っ込み、一歩一歩気だるそうに進む先に人影があった。ラミィよりはるかに小さい影。
いつの間にかCも公園に入っていた。Cのぶっきらぼうな問いが私にまで届く。
「どこいくんだよ」
ラミィは無視するように歩き続ける。二人の肩がぶつかりそうになってようやく止まった。
返答が来ない事にしびれを切らしたみたいに、Cは短く『オイ』と睨みつけた。
観念したらしいラミィは小さく溜息を落としてから、
「約束があんだよ」
言いながらCの横を抜けていく。抜かれざまにCは、
「ケッ。そうかよ」
歯を剥いてニヤリと笑ってからラミィの背中に投げかける。
「待たせンなよ?」
その言葉に一瞬だけ止まったラミィは「さぁな」とぶっきらぼうに吐き捨てて、公園の階段を降りていった。Cはラミィを見送るように、その背が見えなくなるまで立ち止まっていた。
見えなくなってからは足取りも軽く、公園から出て行った。
「待たせないよ」
私も。
一息ついてからベンチから立ち上がった。おしりの下でベンチが暖まっていたのをようやく感じる。
ふと思い立って、横に設置してあるゴミ箱を覗いた。この公園の利用者は私達ぐらいで、その底も何にもない。錆び付いている金属の底、ポツンと置いてあるかのように捨てられている一つのタバコのパッケージ以外は。
それを拾い上げた。
約束。ラミィが言っていた、約束。
『明後日、どうすんだよッ』
『去年と同じでいいんじゃない?』
去年と一緒なら、私は19時頃、駅の踊り場の時計の下でラミィと合流した。
「あー……やっぱりちょっと遅れるかも」
でも。
十二月二十四日。聖なる夜。恋人たちの日。私達が付き合い始めた日。
そして……また新しく始める日。
出来過ぎだ。奇跡だって起こりそう。
私は持っていたタバコを握りしめて、駆け出した。
満ちていた。何もかも吹き飛ばせるような気がする。今ならBの襟首掴んで延々と文句を言って『ごめんなさい』させる事もできる。
そう思ったんだけど公園を飛び出て曲がり角を曲がった所で、転んだ。




