4場
辺りの全てが薄い影に覆われてる様だった。日の温かみを感じたのも、遠い昔の話になっていた。私は立ち上がって同じ所を擦り続けてたスポンジをバケツの中に放る。
「暇なんでしょ。出てくれば?」
誰も居ない駐輪場に声を投げかけた。結局、通行人もお姉さんも出てきたりしなかった。お陰で私はずっと、原付を眺めてしまっていた。
誰でもいいから、近くに他人が居て欲しかった。でないと私は私として、立っていられそうにない。あの妙に意気揚々としてるお姉さんだったら、丁度いい気晴らしになってくれるかと思ったんだけど声に応えてくれる事はなかった。冷たい風だけが寮の裏を抜けていく。
「居るんでしょ?」
私は言いながら、ポケットから取り出したキーを原付に差し込んで、駐輪場に戻す為に押し始める。返事は風だけだった。柔らかく、でも鋭い痛みを手にもたらす冷たさがある。
「出てこないと構成員くんにチクるよ」
その瞬間、原付を押す先にお姉さんが現れた。フードを降ろした手が離れて、ふらふらと漂って、頬をポリポリかいていた。目線はあらぬ方向を向いていて、私になんと声を掛けていいのか解らない、と口を『あー』『んとー』『えとー』とか言葉にならない音を発し続けている。
原付を押したままその横を通り過ぎると、私とは反対方向へそっぽを向いて、何も言わない。 それじゃあ気晴らしにならない。
「辛気臭い顔」
と、私がポツリと漏らすと、
「……はい! 今日の『お前が言うな大賞』に決定!!」
と、振り向きざまに、ビシィッ! と指を指された。
「ん」
私は鼻をすすった。その頭は寒さで真っ赤になってそう。自転車が敷き詰められている隣に原付を押し込む。ロックを掛けて鍵を抜いてから、その袖で顔の周りを拭う。バケツの水の所為で――それだけじゃないのはわかってるけど――冷たく袖は湿っていた。
「あーあ。ぐしょぐしょ」
「濡れるの気にしてたら、洗車なんてできないよ」
きっと私の顔の事を言ってたんだろうけど、私の返答を聞いて苦笑するだけで指摘はしてこなかった。寮のエントランスに着く頃には、お姉さんはまた消えてしまっていた。自動ドアに近づくと、熱風が迎えてくれた。
エレベーターに乗り込んで、降りる。私とサッチの部屋の扉の前に見知った人が立ってた。私が段々近づくにつれ、その脳天気な笑顔が向こうからも近づいてきた。
「優柳ぃ~~! どこ行ってたの?」
ぱたぱたと近寄ってくる右ちゃんだった。
「洗車ぁー」
「車……持ってたの? いや今はそれどころじゃなくて。今日、終業式だったんよ? 何処行ってたんっ!?」
「あー」
そういえば、先週の終わりに言ってたっけ。駐輪場に他人が来なかったのはそれが原因か。区内で借りたでっかい運動場でやってそこで解散。街中だからそのまま遊びに行く人が多いんだろう。…………一人も、って所はちょっと納得行きかねるけど、お姉さんが何かしたのかもしれない。
「時々、私が居ないなんて、よくあることでしょ?」
「いやぁ……そうだけどさぁ」
頭をかきながら、右ちゃんは同意する。
「…………」
ツッコミを期待してたんだけどなぁ。
「んー……。うーあー。……ん~~~ッ」
右ちゃんは何かを悩んでた。
「勉強だったら見れないよ。冬休みの課題は終わってるけど見せないからね」
「へっ!? ……あっ。……いやぁー! 先手を打たれちゃったなぁ、テヘヘ!」
ん? 明ら様にごまかした、というか。私の指摘は違ってたんだけど、とりあえずそれに合わせておこう、みたいな雰囲気。なんだろう。私が廊下を進むと、右ちゃんも付いてくる。本当になんだろう。部屋の前に到着。右ちゃんはニコニコして何も言わない。
「何? なにか用?」
「えぇっ! ナニソレ冷たいなぁ! そんなだから友達いないんだって」
笑えない。つい昨日彼氏を、そしてついさっき友達一名を失った私には笑えない。
「あっはっはっはー」
だから無理やり声に出してみたんだけど、明らかに棒読みっぽくなってしまった。というか泣き出さなかった自分を褒めてあげたいぐらいだ。
「え。……なんか、ゴメン。冗談だったんだけどさ……」
私の渇いた笑いの奥が、少しだけ垣間見えたらしい右ちゃんは、シリアスな感じに謝ってきた。
「笑っていいよ」
笑って欲しい。そうしなきゃ、耐えられないよ。それに、仲直り出来るあてはあるんだ。
構成員くんの報告が終わって、かつ、殺し屋ちゃんを止めておければ。ラミィに言ってもいいって言われてる。そうすれば何もかも……ではないけど、仲直りは出来る。
「え? そう? んじゃ、遠慮なく。優柳マジつれないよなぁ! 友達居なさ過ぎ! そんなんじゃみんな逃げてくって! わっはははは!」
「………………」
「………………ご、ゴメンナサー……ィ」
一瞬、本気で泣きそうで怒りそうで、狂いそうになったけど、身体も顔も全てを無に、ついでに思考までピタリと止まる事によって、ソレに耐えた。
「それでなに? ホントに用がないなら、悪いけどもう寝るから」
「えぇ!? はやっ! あ、じゃあ、さ。少しでいいからあがってってもいい?」
それが目的だったらしい。寝ないけど、これから寝るって言ってるのに、何をする気だろう。右ちゃんは勉強道具も持ってないし。部屋の中には構成員くんが運び込んだ荷物がある。あんまり見られちゃいけないよね。
それに。
右ちゃんの後ろで、お姉さんが飛び跳ねてる。頭の上でバッテンマークを作って。
フードは被ったままなのに、私には見えてる。そのままでもオン・オフが好きに出来るらしい。多分、右ちゃんには見えてない。その証拠に。
私の視線につられて「ん?」と右ちゃんが振り返る。そのまま、何かおかしな所があるのかと視線を泳がせてた。
そして、お姉さんも、頭の上でバッテンをつくったまま、後ろを振り返った。フラフラと視線を泳がせ、誰かを探す。…………いやいやお姉さん、右ちゃんは貴女を探しているんですよ。
「ごめんね。今日はダメ。明日にして?」
多分、明日にはもう私は学園に居ない。でも事後処理、理由作りは構成員くんがなんとかしてくれるらしい。
「えっ! ……うーん。ぐぅぅぅ、おぉぉぉ?」
右ちゃんの悩み方が一段(?)深まった。腕組をして、ヘンテコな声を上げてる。知恵熱が出る前に、なんとかした方がいいと思う。けど、なんとか仕方もわからない。
「よすッ!」
変な気合の入れ方をして、肩を持たれた。ニ、三度辺りを見回して、顔が近づいてくる。内緒の話らしい。
「えー、と、さぁ。なんかあった?」
その言い方に、覚えがあった。私が弱娘に聞いた時みたいだ。『なんか』とぼかしてるけど、その言葉は明確に一つの事を指してる。
「…………なんかって?」
一応、確かめてみる。変な対応をして、私の思い過ごしでしたー、とはいかない。
「えぇっ!? いや、そのぉ……なんか? って言ったらなんか、だよ? うんと、その…………例えば! 例えばだけどさー。……あい――んむ」
右ちゃんが言うより早く、私は人差し指を当てた。今、明らかに『亜因果』って言おうとしたよね。そのまま私の唇まで持ってきてジェスチャーする。『しー』。
なにせ後ろで、お姉さんが腕組をして壁に寄りかかりながら、口笛を吹いてる振りをして辺りをグルングルンと見回してる。けど、私達にだけは視線をやらない。『見なかった事にするよ』とアピールをしてる。
私は自分の人差し指を見てから、右ちゃんに微笑んだ。
「あー、間接キスだね」
「…………へっ? ……はぁぁああえええええッッ!?」
勢い良く三歩程、逃げられた。なにか怯えてる。
「え、ちょ! 優柳ってマジで……そうだったん!?」
そんなワケないでしょ。むしろ、気持ちがるワケでもなく、顔真っ赤にして照れて後退って、すぐさまそんな発想に至った右ちゃんの方が素質あるよ。和気あいあいとした冗談なのに。
「うー、照れる……じゃあなくて。――――もしかして」
右ちゃんは静かに、念入りに辺りを見回していた。さっきまでふざけていたのに、もうその眼は真剣だった。……多分、見つかるわけのない監視員を探してる。
「はぐらかされた、の、かな? それとも庇われた?」
「そうかもね」
右ちゃんは少しだけ寂しそうに、微笑を返してくれた。
お互いに『知っちゃったんだ』と、視線を交換した。
………………。
あまり見ない儚げな表情の右ちゃん。
その後ろで、お姉さんがMr.ビーン並の挙動不審さで首をガクガクさせながら『オレ見てねーから! 聞こえてねーから!』とアピールしてなければ、ちょっといい雰囲気かもしれなかった。
「うーん。……その、大丈夫か? サッチ探しに行った時から、なんか優柳、……おかしい……っていうかおかしいのはいつもなんだけどさ。なんかアップダウンが激しいってか? でも上の空だったり? 変だったから」
そっか。自分では普通のつもりだったんだけどな。
「ほら! あれだ! あたしもよくわかんないけどさ! 悩みとかは分け合える! 喜びはニ倍になるってヤツ? お得でしょ? 何かあったらすぐ言うんだよっ」
「うん、ありがと」
「いやぁ、マジであたしもよくわかないから、あんまり期待しないで欲しいんだけどな? でも言ってな?」
たはは、と困った笑いを浮かべながら、右ちゃんは離れていく。『ま、大丈夫ならそれでいいや!』と終いには元の脳天気な笑顔に戻って、廊下を駆けてった。
私という人間も、捨てたものじゃないかもしれない。
なんて。
理由もなく、思ってしまった。




