3場
「んだよー。起きてるじゃん。電話出ろよなー?」
「あー、ごめん。シャワー浴びてた」
『あ、そ』と興味なさげに当たりをプラプラして、結局近くの段差に目星をつけたらしく、そこに腰掛けてた。
「優柳さー、ちゃんと洗い方わかってる?」
「わかってるってー」
だからこうして、念入りに水を掛けてる。それこそBが、『いつまでやってんの? それ』なんて苦笑するぐらい、ずっと。
「今日、天気、いいよなー」
「そーだね」
Bはあくびを殺さずそのまま空に向かって吐き出してた。きっと猫みたいに、陽の光に眠くなったんだ。
「ラミィと別れたんだってー? 何されたんだよ」
魔女のおばあさんみたいに、嫌味で引きつった笑いを浮かべてた。
やっぱりその話か。だから電話にも出なかったし、顔も、今は見たくもなかった。
私は水で濡らすのはこんなものでいいかな、と原付に向けてたホースを先を、近くのバケツに替える。
「それともー? ようやくオレに乗り換える気になったーとか? あいつより、オレのが早かったんだからなー」
落ちていく水がスポンジを巻き込んで、バケツの底まで沈む。そしてスポンジはまた、浮き上がって、ホースから落ちる細い滝に当たって、また沈む。
「おーい。ツッコミもなしかよぉー? なんか言えってー」
水が溜まった。小さなバケツから溢れ出していく。
「つーかさぁ。――――何考えてんだよ」
無言の私に業を煮やしたのか。Bの声は途端に真剣な声に変わる。
バケツの縁から滴り落ちて、水溜まりを作っていく。その広がっていくのは止めようがない。
「いくらお前でも、冗談で済まされねーぞ? あいつ、マジで壊れちまった」
「冗談じゃないよ」
「そりゃー……その顔見りゃー、なんとなくわかるけどさー……。理由言えって。あいつに言えないって事はさー、オレには言えるだろ? オレに言えない事は、あいつに言える。……オレ達に隙はねーからさー」
水、もったいないよね。私は蛇口まで行って、その栓を固く閉めた。
「もしかしてー、あいつの言ってた事、マジなん?」
「どれの事?」
「この間の先輩……優柳からしたら後輩? とデキてるってヤツ」
私はバケツの中に手を突っ込んだ。骨まで凍るような気がする。そんな中で、スポンジを握ったり開いたりして汚れを落としていく。
「……ハッ! 嘘くせぇぇー! マジで爆笑モンだな!!――――優柳。二度と言わねーぞ。
今ならまだ間に合う。ラミィだって許してくれる。今はちーと、おかしくなってるけどなー」
Bの台詞が、遠く聞こえる。
「全部、考えてる事、思ってる事、ゲロっちまえってー。いつだってそうだったろー? オレも説得するしさー。行こうぜ、説明しに。何度もあったろ、こーいう事。まぁ、Cは許してくれなさそーだけどなー。これは骨が折れんぜー?」
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「説明する必要なんかないよ。思ってる事を言うだけなら『しつこいのイヤ』の一言で済むし」
Bは呆気に取られた。
「は?」
「自分により近しい人に乗り換える、なんてよくある事だと思うんだけど、なんでそんなに納得いかないの? 私にフラれたから? 認めたくないの? 自分より選ばれた人が居て、更にその人もポイされちゃうって事に耐えられないの? そんなに私の近くに居たいの?」
「……………………」
「もうすぐ高等部でしょ? そうすれば色々と解ると思うけど、人付き合いなんてその場で変わるものだよ。当然、無くなる事もある。お勉強になったかな?」
「…………は? 悪い、かよ。変わらねーと思ってちゃ」
「――――別に? どうとも言わないよ。思った事言えって言うから、言っただけ」
あ、バケツに突っ込みっぱなしだった。手が、感覚なくなってる。もう、十分汚れ、とれたよね。そのまま原付を撫でたとしても、汚れが移らないぐらいには。
私はスポンジを絞って、原付に寄って行った。
「それに触んな。原付は、オレ等のなんだよッ! …………返せ」
原付に触れようとしたスポンジの先に、砂粒がいくつか見えた。……まだ汚れがあったみたい。スポンジを放り投げると、バケツの表面に見えた水が飛び跳ねた。
私は挿しっぱなしになってるキーを捻った。シートのロックが外れる。持ちあげれば、メットインの中が見える。
Bは私の行動を黙って睨んでるんだろう。荷物を取り出して、原付を返すと思ってるのかもしれない。
荷物の一番上に置いてあった封筒を手に取り、開ける。抜き出す枚数は十五枚。これでちょうど、百万円になったっちゃった。百万円の厚みはちょうど1センチって本当かな。
私は封筒をメットインに差し込んで、シートを勢い良く落とした。小気味いい音とロックの音が重なる。その音に触発されたのか、後ろに近づかれる気配がする。
「――――触んなって言ってんだろ。さっさと返せ」
襟首を掴まれたのだけは解った。アトラクションの逆バンジーみたいに、私は宙に放られた。
あ、死んだかも。
そんな思いつきが浮かんで、すぐに痛みが現実を教えてくれた。頭から地面に落ちて、三度転がって、奥にあった自転車の固定具にぶつかって止まった。
クラクラしてる。痛い。頭の中で血の味がする気がした。全身、血まみれになったような気がして、呻き声を上げながら全身を抱いて震えた。
擦り傷はあったけど、両手は真っ白で、血なんかどこにも無かった。人間の身体って、丈夫だ。
「なんだ…………これ」
痛みに耐えて、顔を上げた。私の手にあったお札が、投げ飛ばされた時に散ってしまった。それが舞い落ちる地面を、Bは見ていた。
理解出来ない、と止まってる。教えてあげなきゃいけない。
「原付、十四万八千七百六十五円だったでしょ。忘れちゃった? 十五枚あるか、ちゃんと確かめてね。私の分は利子って事で。三人で仲良く分けてね」
その私のセリフを聞いてもBは固まったままだった。口だけが動く。
「おまえさー……。バイトとかしてなかったよな」
「うん」
「親もさー、金、ぜんぜんくんねーってさー」
「うん」
Bの口調には感情が感じられなかった。
「――――じゃあメガネの後輩とかってヤツからか? この金」
「――――ふふっ」
私は思わず含み笑いをしてしまった。Bが何を想像したのかはわからないけど、そしてその想像と実際は全く違うというのに、答えはYESであることが可笑しかった。
含み笑いを、Bは返答として受け取ったみたいだった。
Bは地面に這いつくばった。片腕だけで一枚、また一枚と紙幣を握りこんでいく。
「認めたくねーよ?」
その言葉の意味もわからず、私は何も言えなかった。
「お前、さっき言ったよなー。『認めたくないの?』って。そーだな。認めたくねー」
集め終わったらしいBは私にゆっくり近づいて来た。
「でも認めなきゃいけねーよなー」
未だに座り込んだ私の前に立つと、私の目の前に差し出すように、両手で握る。
その手に力がこもっていき、裂かれていく。
「高い授業料だったわー。――――認めるわ。お前が大好きだった。優柳」
その言葉と共に、Bは投げ捨てた。
二つに裂かれたお札がヒラヒラと私の周りに散っていった。
「そーだ。この事、誰にもいわねーからー」
そう言ってBは踵を返して歩き始めていた。
「あいつらは絶対に傷つけさせねー。こんな――――」
発作でも起きたかのように、ピタリと止まって、猫背になる。苦しそうに服の胸を歪むほど掴みあげてるのが後ろから見ていてもわかった。
「こんなッ!! 気持ちなんて……! 絶対にあいつらにはさせねぇえッ!」
その叫び声は、涙に濡れていた。
「もう現れないでくれ」
私は、そう最後に言われた事を思い出していた。気付けば、私は寮の裏の駐輪場、その近くに立っていた。隣を見れば、原付があった。良かった。コレが無くなったら多分、構成員くんの予定が狂う。私の願いも狂う。
「…………あー」
誰も居ない。駐輪場なんだから、利用者の一人でも居れば良いのに。そうすれば私でも、サッチみたいに強く居られるかもしれないのに。
「なにが『大好きだった』だ。私だって……。私だって!」
値段、暗唱できるんだよ。一円単位だってみんなで決めたのに、細かい持ち合わせが無かったBの代わりに端数を出したの、誰だか忘れたの? 四人でギャーギャー騒ぐからお店の人、すごく迷惑そうだった。全部、覚えてる。
バケツに浮いてたスポンジを拾い上げた。それをぶち撒けるように投げた。吸い切った水がそこら辺に飛沫を飛ばした。
「ラミィも……! Bも……! Cなんか顔見せにすら来ないし……! 簡単に、私を……、見捨てて!」
しゃがみ込んで、原付にスポンジを推し当てた。水が押し染み出されて滑り落ちていく。プラスチックのボディは乾ききってた。乾いちゃいけないんだっけ?
『だぁあああ! 晴れの日に洗車すんなつったろがッ!』ラミィ。
『あーあーあー。どーすんだよー、コレ』B。
『(軽蔑の舌打ち)』C。
「…………ッ!! 好きだって、言ったくせに……! 本当に好きなら、攫っちゃえばいい、よ。私がなんて言っても……」
知らせたくない。危険な目に合わせたくない。
「そんな私の意志なんて、全部無視して。攫っちゃえばいいのに。なんでしてくれないの? ラミィ……B、C……」
いいよ、もう。
そっちが攫ってくれないなら、私が攫うから。
構成員くんの作戦には、ラミィと逃げるってあった。ラミィ自身に亜因果を自覚させない事を条件に、全てを話していいとも言われてる。
ラミィと仲直り出来れば、後はラミィから説明してもらえばいい。
「後悔、させて、やる……! 絶対後悔させてやるから。頭取れるまで、土下座、させてやる! 『何も知らずにヒドイ事言ってゴメンナサイ』って、言わせてやる!」
それで――――私も謝って。許してもらって。
何処だっていい。何だっていい。また四人でいようよ。
それだけで、いい。
私はずっと、拾って汚れたスポンジを原付に押し当ててた。
止めどなく溢れて、滴り、流れていった。




