14場
「よくもまぁいけしゃあしゃあと『電波が悪くて切れちゃった』等と宣えましたね。信じられません。それに彼を呼び出してどうするつもりですか」
「電話で別れ話なんてできないでしょ」
私は真っ白に輝く息を、掌に吹きつけて、擦り合わせた。辺りはもう黒い。寮のエントランス、各階の窓、道端の街灯が浮かび上がるだけだ。
「そこまで真剣に別れる必要は……。僕が『別れた』と認識していればいい話なんですが。やり直すのが難しくなるのでは?」
「大丈夫じゃない? やり直すのは」
別れるのは想像も出来ないけど、やり直すのは簡単に想像出来るから。
「……そういうモノですか。僕にはよくわかりません」
「いつか、わかるかもねー」
なんでそう思うのか、なんて私にもわからないけどね。
「僕がこうして、普通に隣に居る理由は?」
「構成員くんが『別れた』と認識しなきゃいけないんでしょ?」
「遠くから会話を聞いて、見てるだけで良いと思います」
多分、それじゃダメな気がするんだよねー。
「優柳先輩」
声のトーンが落ちた。眼の色も変わってる。
「わかってるって」
ラミィの姿が、遠くの街灯に照らされてた。ポケットに手を突っ込んで、ふてぶてしく歩いて来る。五つ先の街灯だったのが、四つ、三つと、減っていった。
やがて、寮のエントランスが照らす、大きな光の中にラミィも入った。
「よぅ。待たせたか?」
「うん。遅い」
隣で構成員くんが『僕らも今さっきここに出たばかりでしょうに』と変な眼を向けてたけど気にしない。ラミィは一つ、舌打ちを零してから口を開く。
「悪かったな。夜突然呼び出されて十分も掛かってよ」
愚痴るラミィの耳も鼻も赤い。私や構成員くんと比べて、吐く息の濃さも、量も多かった。多分、走って来たんだ。
「そっちは昨日の、後輩だったか? ……初めまして。灰村巳辰です。優柳がお世話になってます」
びっくりした。敬語? しかも少しぶっきらぼうなもののその口調は丁寧だ。
「こちらこそ。俺は春端花柄。委員会の義務で優柳先輩と知り合った」
さらにびっくりした。俺ってなに? というか。
「なんでラミィが保護者みたいな事言うの?」
「大体、どんな関係か想像つくんだよッ! んだよ委員会って! テメェ、何しでかしたんだよ!」
「あー……別に? 何も」
「嘘つけッ」
鼻を鳴らして、ラミィがそっぽ向いた隙を付いて、構成員くんがボソボソ喋りかけてきた。
「(格好に似合わず、よく出来た彼氏ですね。そして優柳先輩の事を良く理解してる)」
うるさいなぁ、と反論する前に、ラミィの視線が私達に戻ってしまった。
「んで、なんだよ。……別れろって話か?」
「うん。話はやいね。そゆこと」
構成員くんがなんか睨みつけてきた。仕方ないでしょ。
「なんでだよ?」
溜息混じりに聞いてくるラミィ。また変な事思いついたのかコイツはとか、思われてそう。
「理由はないよ。あー、明後日まででいいよ?」
「んだよ、それ。……レンタルビデオか? 委員会つってたな。……高等部のAクラスは交際厳禁なんですか?」
ラミィの視線は構成員くんへ。
「いや。そんな規則は無い」
こら。そこ話合わせてくれてもいいでしょ。……と視線に意志を込めたら、批難気な目つきを返された。ちょっと考えてみる。
ラミィもこの先、高等部へ進学するんだから、そんな嘘はすぐバレる。バレた時、ラミィが不思議に思って調べる内に亜因果関係に辿り着く……のが心配とか?
「意味わかんねぇ。まぁ、なんでもいいけどよ。どんな理由があっても、別れねぇし」
一歩、ラミィが近寄ってきた。二歩目で私はラミィを見上げる様になる。三歩でもう、お互いの手が届く距離。
「何があったか知らねぇケドよ、話せ。行くぞ。――――すみません。そういう事なんで、コイツ借りて行きます」
構成員くんに軽く会釈して、ラミィは私の手首を掴んで引っ張った。
強引だなぁ、ほんと。そういう所が――――あ、いいこと思いついた。
「…………そういう、強引な所」
「…………は?」
地下で、構成員くんが言ってた事を思い出した。サッチの好きな所、ひっくり返してまくし立ててた事。
「なんかどーでもいい事しか話さないし」
私の、どーでもいい話に付き合ってくれるの、ラミィ達だけだったし。その中でも面倒臭い顔しないの、ラミィだけだったし。
「女慣れしてないし」
ラミィが目の前で私以上に恥ずかしがるから、照れ臭さが誤魔化せた。そんな顔見る度、なんか専有感があった。
「一緒に居てもドキドキしないし」
その癖、意表をつくように心を掴まれたりする。
「――――――総じて、カッコ悪い。別れて?」
「――――――よく、わかった」
ぴたりと止まったラミィは、私を睨む様に歯噛みしたあと、ぶちまけた。
「全部、直しゃいーんだろうがッッ! 直してやるッ! すぐにだ! 待たせねぇ!」
「そうやって無理やり合わせられても、嬉しくない」
それが私の為にだけだと思うと、ちょっと嬉しい。
「…………ッ! オレは! 自分が望む自分より! テメェが欲しいんだよッ! 悪いかッ!」
「悪い。私は要らない」
私も。必要なかったけど、ラミィの為なら変われるよ。
いつだって、私は微笑んでたと思う。意地悪しても嘘ついてもからかっても。
だから私は、真剣な表情を作る。構成員くんのマネだ。ムスっとした表情を作る。
私のこんな顔、見たことないでしょ、ラミィ。
いつだって楽しかったから。
別段、何かするわけでもない毎日だったけど、それは満ち足りてたから。
「なん…………は? ウソだろ?」
それでもダメか。本当に信用ないなぁ、私は。
このままじゃ、ダメだ。
でも、ラミィの声は細くなってる。ウソだろ、と疑いが半分、自分にそう言い聞かせてるのが半分だ。もう一押し、かな。
なら、最後にキスしてあげる。
私は振り返って、数歩進む。
肩に手を伸ばして、引き寄せる。でも逆に、私の身体が近寄るだけだった。軽く胸がこすれ合う。冷たく乾いた唇同士が触れ合って。湿り気を交換し合う。そのまましっかり五秒くらい、数えよう。
息を飲む気配が、伝わる。
――1。
――――2。
――――――3。
――――――――4。
――――――――――5。
ぷはっ。
私がラミィを好きな気持に、
「根拠なんてないよ。ただ、そう、ってだけ」
だからこんな事だって――――私から構成員くんにキスする事 だって――――出来る。
だってもう――――
血に汚れた道路、肉に変わった死体の写真。
記憶を消されて別人になった私の夢。
――――――――あんな思いはしたくない。
ラミィはたっぷり三分くらい、立ち止まっていた。不意に動いて、構成員くんを一瞥する。 多分、私が最初に構成員くんを見た時と、印象に違いは無いと思う。
硬い決意。燃える意志。『楽しい』『ふざける』なんて事を考えたりするのかすら疑問を抱かせる、強い眼。それを見たラミィの口から、言葉が漏れる。
「そう…………か。――――――悪かった」
その声は小さいのに、大きく漂ってた。
「終わった……んですか。あれだけで?」
構成員くんの声で、意識が戻った。それでやっと、自分も放心してた事に気付いた。エントランスの明かりが、私と構成員くんだけを照らしてた。視界にあった街灯も、その奥の街灯も、その奥も、歩道だけを照らしてる。
「あー、うん。そうみたい」
そう、ってなんだろ。自分で言って、疑問に思った。
「キス1つでですか? 貴女方は性行為もしてたんですよね? なのにキスだけで、別れられるモノなんですか」
「あー…………私から、キスした事、今まで一度も無かった」
「…………は?」
「私から、キスした事、今まで一度も無かった」
「交際を始めてどれくらい経つのですか。今まで何度キスしてきたんですか」
「もうすぐ一年。回数は……数えた事無いよ。363回ぐらいじゃない?」
「――――何故ッ!?」
よくわからないけど、怒られた。なぜって、どれ? 交際日数? キスの回数?
「何故それだけ付き合っていたのに、貴女からキスした事が一度も無いんですかッ! 一度くらい…………あるでしょうッ!?」
なんで? ってそれかぁ。そんな事考えた事も無かった。でもなんとなく、なら理由はある。
「ラミィ、背、高いでしょ。いつも威張ってるし。……なんか私からするの、恥ずかしいでしょ?」
「そ……それだけですか? 当然、そういう理由であると、彼には伝えてあるんですよね?」
「言うわけないでしょ。恥ずかしい」
「…………か、彼から強請られる事はなかったんですかッ!?」
「あったよ。……だから、結婚式でしてあげるって言ってた」
「結婚……? そこまで考えていたんですか?」
「そんなワケないよ。ノリで」
私のその言葉を聞いた途端、構成員くんがすごい勢いで歩き出した。驚きつつも、後を追う。
「貴女はノリで言ったんでしょうがッ! 男はッ! ……男はそういうの、忘れません。本気にしてます。まだ中等学生なんですよ。…………それなら尚更ですッ!」
そんな事――――――あっ。
自分の足に躓いて、地面が一気に視界に迫ってきた。転んだ。歩道のアスファルトに、額をぶつけた。擦れて、皮膚が削れる。ひりひりとした。
「そんな事、わかってるよ。だからキスしたんでしょ」
冷たい地面に手を付いて、起き上がろうとしてたら、構成員くんの背中が見えた。早歩きは止めてくれたらしい。立ち止まってる。私はそれを見ながら立ち上がって、膝を払う。
構成員くんの背が語る。
「この作戦は……彼に何も知らせず、かつ貴女と交際を続けられる為に立てたんです。彼とやり直せるんですか?」
「やり直す? よくわからないけど、大丈夫じゃない?」
「よくわからないッ!? 貴女は――――ッ!」
構成員くんが勢い良く振り返って、私の顔を見て、言葉に詰まった。そして何もない植木を見て、街灯を見上げて、しばらく何か言いたそうにしてた。
「構成員くんが言ったんでしょ。別れろって」
「もっと穏便に別れる方法は無かったんですか」
「だめ。ラミィ、しつこいから」
真っ白な息を、構成員くんは吐き出した。流れて、そして散り消えていく間をもってから、言う。
「そうですか。『大丈夫』という貴女の言葉を信じます」
目線を合わせずに、私の横を通りすぎて行った。寮に戻るらしかった。私も戻ろう。寒い。
階段を登って、自動ドアの前に立つ。その名前の通り、自動的にガラス戸が動いて、出迎えてくれる。エントランスの奥で、私の姿を確認した構成員くんが再び歩き出しているのが見えた。温かい空気に迎え入れられた。
ラミィはどう思ったのかな。わりぃって、謝ってた。悪い? 何が悪いんだろう。そういえばラミィが泣いた所なんて見た事ないな。きっと今も泣いてないんだろうな。
ただあふれる涙を堪えて、歯噛みして、負けないように歩いてるんだろうな。
足が止まった。三つ数える。
そしてくるりと、踵を返す。フェイントを掛けられた自動ドアが、閉じきる前に、もう一度動いて開く。
私はまた、黒い空の下に戻ってきた。
なにしてるんだろ。
なに……って、そんなの決まってる。
大きく、息を吸い込む。冷たい空気を爆発させるように、
「ラミィィィィィィィッ!!!」
「なッ!? 何を!?」
叫んだ。
もういい。もういい。もういい。耐えられないよ、こんなの。私はラミィにつらい思いなんてさせない。
全部言ってしまおう。
構成員くんは後ろで何か言ってた。
だって、ラミィはしつこいし。
私は『危機管理が出来ない馬鹿女』だし。
ラミィは私を――――――見てくれているんだから。
私はずっと、立ち竦んでた。
「あ…………れ?」
「優柳先輩……?」
ラミィ……? じゃない。これは構成員くん。
「……優柳先輩ッ!? 返事を!」
身体がゆすられる。
ラミィじゃない。ラミィが居ない。
もう、ラミィが私を見ることは無い。
もう、突然のぶっきらぼうな電話も来ない。
放課後、公園で待っててくれる事もない。
そっか。これが『別れる』って事か。
全部、無くなるのか。
そう思ったら、私は駆けだしてた。自動ドアにぶつかりながら、中に入って。何か叫んでる構成員くんも無視して。
エレベーターに駆け込んで、ボタンを押した。
知らなかった。こんなに簡単に、無くなっちゃうものだったなんて。
だって、隣に居るのが当たり前だったから……お互いの顔を見合わせて、ちょっとずつ詰め寄っていくのが、ずっと続くんだと思ってたから。
それがもう無いの? 本当に?
付き合うって、なんだっけ。
あれ? 本当に付き合ってたの?
部屋に戻った。自分の机を漁る。一段目、二段目。その奥便箋とか筆記用具とかメモ帳とか。 その奥。もっと奥に。
――――――あった。
うん。付き合ってた。この日から……私達は……付き合うって事になって。それで……それ で?
どんな事、話したっけ。どんな事、したっけ。
キス、いっぱいした。えっちだって、した。
そう、だよね? 私が勝手にそう思ってたんじゃないよね? ならなんでもう見てくれないの? それは別れたからで。――――よく思い出せない。そんなの一々覚えてないよ。覚える必要も無かった。だって次の日だって楽しいんだから。もっと、近づいて行くんだから。
『ほーら。おまえらの写真、とってやったぜー』
『いらなーい』『いらねぇ』
『ハァ? 二人共かよ。もうちょっと素直になれよー』
だってそんな写真を残そうとするなんて、馬鹿らしいって思った。
そんなの必要無い。だって、会えない時間は短い。ちょっと我慢すれば、本人に、すぐに、 簡単に――――絶対に。
会えるんだから。
でも、もうそれは無い。
なんで、写真とか断ったんだろう。恥ずかしがらなければよかった。
もっと、もっと。――――もっと。
ラミィと私が付き合ってた事。
私がラミィを想ってた事。
ラミィが私を見てた事。
その。
――――――――消えない証が欲しかった。
第三幕 消えない証 了




